KONASUKEの部屋

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この間観た映画から・・・「海難1890」

2016年01月29日 | 映画
1890年のエルトゥールル号海難事故と、1985年のテヘラン邦人救出劇を通して、日本とトルコの絆を描いていて、今だからこそ、観る価値の高い映画だと思います。
憎しみの連鎖ばかりが目立つ昨今、真心の連鎖が美しい。
ISの問題とかあって、まともなイスラム教徒には受難の時代だけど。
人間には、思想・信条・人種・国籍を越えたものがあって、手を繋ぐことができると思う。

エルトゥールル号海難事故:オスマン=トルコ帝国の軍船エルトゥールル号が、和歌山県沖で座礁・爆発した事故。
漁村の住民達が、命懸けで救助に当たり、食うや食わずの貧しさの中から、食べ物を分け与えて看護した。

実は私、エルトゥールル号海難事故を、あまり詳しく知りませんでした。
トルコでは教科書にも載っているそうだけど、日本ではあんまり知られていないんじゃないですかね。
オスマン=トルコは、高校の世界史で習ったんだけど、15世紀、16世紀あたりの印象しか残ってなくて。
二十世紀まで存続してたんだね。
映画では、村人たちが命がけで船員たちを救助し、なけなしの食料を分け与え、漁にも出ずに遺留品を拾い集め、血と泥で汚れた遺留品洗う。
医師は無償で治療をする。
実際、この事件当時の医師達の書き残した文書が残されている。
救出活動後、トルコから治療費の請求をして欲しいと言われた時、
「目の前の苦しむ人たちを見るに見かねて当たり前のことをしただけ、その金はトルコの船員の家族のために使ってほしい」
と受け取りを拒否しています。
当時の日本人って、こんなに美しい心を持っていたんだ、と誇りに思う。
でもね、イスラムの人達にも似たようなものがあるらしく。
昔、聞いた話なんだけど、ある日本人がイスラム教徒に世話になって礼をしようとしたら、「善意が穢れる」って怒ったって話。
まぁ、何にせよ、無償の愛というのは美しいですな。

1985年テヘラン邦人救出劇:1985年、イラン・テヘラン。
イラン・イラク戦争の膠着状態の中、イラクのサダム・フセインが、48時間後に、イラン上空の飛行機への無差別攻撃を宣言。
民間機も自衛隊機も飛ばせず、邦人がイランに取り残されてしまう。
各国が自国民の救出を最優先させる中、トルコが日本人救出のために救援機1機を追加派遣。
215名の日本人が、攻撃2時間前に脱出に成功した。

トルコの大統領の英断によって、救援機が飛ぶことになったワケだが。
映画では、側近が、そんなことをしたら、混乱が起こります、と諫める。
しかし大統領は「我が国民を信じている。」と述べて、救援機を飛ばす決断をする。
空港でのムラト(在イラン・トルコ大使館職員)の言葉が胸を打つ。
「今、絶望に陥っているこの日本人を助けられるのはあなたたちだけです。決めるのは、あなたの心だ」
困っている人を救うのは、自国の誇りある伝統だという、トルコ国民の根底に流れるモノを感じた。
誇りとすべきは、軍事力や経済力ではなく、こういうことだろう。

「邦人救出」の話が出ると危惧するのは、「自衛隊機が国会決議がないと飛ばせない」、「だから戦争法だ」という論理に持っていかれること。
1985年のケースでは、「無差別攻撃」の予告がされるという特殊な状況だったのであって、普通は民間機の方が安全。
軍用機は攻撃を受ける可能性が大きい。
当時、就航してなかったとはいえ、JALの対応が問題だったんじゃないかな。

で、現実の話。
日本とトルコの真心の連鎖は、その後も続いている。
1999年のトルコ北西部大地震では、日本から緊急救援隊が派遣された。
そして2011年の東日本大震災では、トルコの救助隊が約3週間にわたって活動した。
トルコでも東部ヴァン県を震源とする大地震が発生。
日本は緊急救助物資の供与、緊急無償資金協力を行った。
憎しみや疑いの連鎖ではなく、平和の連鎖を作りたいものだ。

映画そのものについて。
忽那汐里さんにしても、ケナン・エジェさんにしても、二役を見事に演じ分けている。
美しい映像と、しつこい位に月のモチーフが繰り返され、トルコの国旗を連想させる。
自然に物語の中に引き込まれる。
映像作品としても一級品だと思う。

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