本日も3連休を利用した強化練習を実施。走行距離を減らした分、登り坂を利用したトレーニングを実施。
さて、仙台国際ハーフはまだ申し込みに余裕があるみたいです。一次申し込み(抽選)でも定員にならなかったことからも、理由は「ハーフ」だからなのでしょう。大都市マラソンでも異常に人気が高いのは「フルの部」ということの裏付けですね。。。
(といいつつ東京近郊の手賀沼ハーフとかは異常人気ですが・・・。)
私が走り始めたころ(1992年当時)など、フルマラソンなどそんな簡単に挑戦できるような世界ではなかったものです。
そもそも「ランニング」という種目自体が、「スキー」などと比べて全然マイナーな時代でしたが・・・。
創設当時のクラブをみても、多くの人はハーフまでは挑戦したもののはやりフルへはなかなか進出できずに終わってしまっていたものです。
私だってフル挑戦には5年を要しています。
フルが市民ランナーにとって挑戦しやすくなったのが1998年に第1回東京・荒川市民マラソン(制限時間7時間)が開催された頃からでしょうね・・・。それでも第1回は5000名規模の大会でした。
この頃から比較的「誰にでもフルは完走できるもの」という空気ができあがったのだと思います。私もちょうど本格的にフルへ進出した時代。
そして、2007年、東京マラソンや湘南国際マラソンの誕生により、またエアロビ運動のブームに乗ってフルマラソン人気は爆発しました。
時代は変わったものですね。
さて、仙台国際ハーフはまだ申し込みに余裕があるみたいです。一次申し込み(抽選)でも定員にならなかったことからも、理由は「ハーフ」だからなのでしょう。大都市マラソンでも異常に人気が高いのは「フルの部」ということの裏付けですね。。。
(といいつつ東京近郊の手賀沼ハーフとかは異常人気ですが・・・。)
私が走り始めたころ(1992年当時)など、フルマラソンなどそんな簡単に挑戦できるような世界ではなかったものです。
そもそも「ランニング」という種目自体が、「スキー」などと比べて全然マイナーな時代でしたが・・・。
創設当時のクラブをみても、多くの人はハーフまでは挑戦したもののはやりフルへはなかなか進出できずに終わってしまっていたものです。
私だってフル挑戦には5年を要しています。
フルが市民ランナーにとって挑戦しやすくなったのが1998年に第1回東京・荒川市民マラソン(制限時間7時間)が開催された頃からでしょうね・・・。それでも第1回は5000名規模の大会でした。
この頃から比較的「誰にでもフルは完走できるもの」という空気ができあがったのだと思います。私もちょうど本格的にフルへ進出した時代。
そして、2007年、東京マラソンや湘南国際マラソンの誕生により、またエアロビ運動のブームに乗ってフルマラソン人気は爆発しました。
時代は変わったものですね。
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