10月に入り、またまさかの東京マラソン当選から1週間が経ち練習にも身が入るようになってきました!(笑)
さて、私にとって「東京マラソン」は実に15年ぶりの凱旋となります!
・・・あれ、東京は来年まだ7回目のはずだぞ? それに初出場じゃないのか!?
いやいや、現在開催されている東京マラソンは私にとっては初出場となりますが、「東京」凱旋は実に15年ぶりとなる訳ですよ(笑)
すなわち1998年1月に開催された「東京シティハーフマラソン」に3度目の当選出場して以来の出場となります!
あ、荒川市民(現板橋City)や青梅マラソンも東京都内の大会ですが(笑)、ここでは「東京都心での公道レース」という意味といたします。
さて、この「東京シティハーフマラソン」(1992~1998年)は現在の「東京マラソン」(2007年~)との開催連続性はないのですが、ハーフとはいえ東京都心を走れる大都市市民レースとしての先駆けであり(日本国内でみても当時は画期的な大都市レースでした)、主催が東京都であったことからも実質的には前身レースということになります。
私も走り初めの頃はこの東京シティハーフに憧れ、完走を大きな目標としていたのです。
実は現在の東京マラソンと過去開催された東京シティハーフには共通点も多くあります。
共通点を挙げると、
1.抽選大会であること
2.スタートが都庁前であること(ただし位置は異なります)
3.国内外から一流ランナーが多数出場すること(東京シティハーフは当時の世界最高や日本最高を毎年出すまさに「記録製造レース」でしたね)
4.車椅子の部があること
5.テレビの全国生中継があること(ただし東京シティハーフはTBSで中継)
といった感じです。そういう意味でも現在の東京マラソンは「シティハーフ」の経験が運営にも活かされてのでしょうね。
一方、当時と現在では違いもあります。(種目はもちろん違います)
1.シティハーフは東京都民限定(招待選手を除く)の大会であった。すなわち都内在住・在勤・在学の必要がありました。
2.持ちタイムの資格もあり大会の記録証提出が義務付けられていた。ゴールの制限時間も1時間57分と初心者ランナーには厳しく、実はいまより非常にシビアな大会でしたね…。
3.日比谷通りまでのコース。当時は水道橋の東京ドーム前、そして大手町を通過(現在は皇居外周経由のコース)。どちらかというと旧東京国際マラソンに近いコースでした。
4.ゴールは大井競馬場であった
などなど…。
あと、当時は交通規制にもシビアで車を通すため交差点でのランナー足止めが行われていました。開催最終年はまさかの女子トップランナーを止めてしまい(ロスタイム考慮もなし)、これが大会廃止の遠因となってしまいました。
(実際には翌年はお台場で大会開催したもののこちらも廃止)
何はともわれ15年ぶりの「東京」凱旋です!
当日に向けてがんばっていきますよ!!
さて、私にとって「東京マラソン」は実に15年ぶりの凱旋となります!
・・・あれ、東京は来年まだ7回目のはずだぞ? それに初出場じゃないのか!?
いやいや、現在開催されている東京マラソンは私にとっては初出場となりますが、「東京」凱旋は実に15年ぶりとなる訳ですよ(笑)
すなわち1998年1月に開催された「東京シティハーフマラソン」に3度目の当選出場して以来の出場となります!
あ、荒川市民(現板橋City)や青梅マラソンも東京都内の大会ですが(笑)、ここでは「東京都心での公道レース」という意味といたします。
さて、この「東京シティハーフマラソン」(1992~1998年)は現在の「東京マラソン」(2007年~)との開催連続性はないのですが、ハーフとはいえ東京都心を走れる大都市市民レースとしての先駆けであり(日本国内でみても当時は画期的な大都市レースでした)、主催が東京都であったことからも実質的には前身レースということになります。
私も走り初めの頃はこの東京シティハーフに憧れ、完走を大きな目標としていたのです。
実は現在の東京マラソンと過去開催された東京シティハーフには共通点も多くあります。
共通点を挙げると、
1.抽選大会であること
2.スタートが都庁前であること(ただし位置は異なります)
3.国内外から一流ランナーが多数出場すること(東京シティハーフは当時の世界最高や日本最高を毎年出すまさに「記録製造レース」でしたね)
4.車椅子の部があること
5.テレビの全国生中継があること(ただし東京シティハーフはTBSで中継)
といった感じです。そういう意味でも現在の東京マラソンは「シティハーフ」の経験が運営にも活かされてのでしょうね。
一方、当時と現在では違いもあります。(種目はもちろん違います)
1.シティハーフは東京都民限定(招待選手を除く)の大会であった。すなわち都内在住・在勤・在学の必要がありました。
2.持ちタイムの資格もあり大会の記録証提出が義務付けられていた。ゴールの制限時間も1時間57分と初心者ランナーには厳しく、実はいまより非常にシビアな大会でしたね…。
3.日比谷通りまでのコース。当時は水道橋の東京ドーム前、そして大手町を通過(現在は皇居外周経由のコース)。どちらかというと旧東京国際マラソンに近いコースでした。
4.ゴールは大井競馬場であった
などなど…。
あと、当時は交通規制にもシビアで車を通すため交差点でのランナー足止めが行われていました。開催最終年はまさかの女子トップランナーを止めてしまい(ロスタイム考慮もなし)、これが大会廃止の遠因となってしまいました。
(実際には翌年はお台場で大会開催したもののこちらも廃止)
何はともわれ15年ぶりの「東京」凱旋です!
当日に向けてがんばっていきますよ!!
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