寂しい時には寂しい夕暮れ
嬉しい時には豊かな夕暮れ
明日を夢見る時には決意の夕暮れ
見えてくるものは見る者の心の反映
あなたも私も気持ちの持ち方で風景がガラッと変わる
寂しくて苦しい時には優しさや寛容な眼差しを持った風景に出会いたい
そして、希望の灯火を持った朝を迎えたい
寂しい時には寂しい夕暮れ
嬉しい時には豊かな夕暮れ
明日を夢見る時には決意の夕暮れ
見えてくるものは見る者の心の反映
あなたも私も気持ちの持ち方で風景がガラッと変わる
寂しくて苦しい時には優しさや寛容な眼差しを持った風景に出会いたい
そして、希望の灯火を持った朝を迎えたい
何歳から老人というんだろう。この問いはとても難しい。
何歳から高齢者というんだろう。この問いはとてもやさしい。
高齢者というのは、便宜的な区分であるのに、老人というのは、肉体も精神も「しぐさ」も「振る舞い」も含めて実に相対的な区分だからだ。
例えば、65歳の人が「私は高齢者ではない」という方便は成立しない。高齢者医療の文言には、「65~74歳を前期高齢者、75歳以上を後期高齢者」と明記されている。
一方、老人というのは、主観的すぎる。
私の教えている75歳の生徒は、自分のことを老人とは思っていない。自分は75歳なのに、80歳の人を指差して、「あの人は、80歳になったら、急におばあさんになっちゃったのよ。どうしたのかしら?精神がどうかなっちゃったのかなあ」なんて言って平気な顔をしている。
老人というのは、単なる肉体年齢ではないのだ。肉体が年齢を積み重ねても、それだけでは老人ではないのだ。
老人とは、精神が老いて意欲や目標を失った人のことを言うのだ。
インターネットで「高齢者イラスト」を検索すると、同じようなイラストが23600000枚も出てくる。
よくまあ、こんなに似たようなイラストが集結しているという事実にあきれてしまう。
日本中の小中学生に画用紙を配って高齢者の絵を描かせても似たような絵しか出てこないと思う。
高齢者のイメージが画一化しているのだ。
今や日本人全人口の27.6%が高齢者だというのに、世間の高齢者に対するイメージは、ずっと貧困のままなんだ。
日本人の高齢者は、みんな同じ。
高齢者はみんな負のイメージ。
日向ぼっこ、杖をついての歩行、男性は、髪の毛が無いか、ちょこっとだけ残っている、杖をつきながら頭の周辺には?マークがぐるぐる回っている、なんか汚らしい感じ、一見高そうな服だけど全然似合っていない。そんな老人イメージの垂れ流し。
これじゃあ、「私たちの日本」はますますダメになってしまう。高齢者は、どこを向いて歩めばよいのか。