人は精神から老いていく。 ねえ、何歳から老人というんだろう。新しいシニアを目指して素敵に老いる力を

新しいシニアを目指して素敵に老いる。高齢社会というけれど、高齢者が何を考えているかわかりますか?老いる力と幸せを考える

背骨呼吸 シニアの学校 からだの学校

2019-10-31 06:07:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ


背骨呼吸ができない。

背骨で呼吸ができる人って本当にいるのかという疑問と

出来る人は意外といるかもしれないという肯定感の二つが脳内にあるが

どちらかというと「背骨呼吸は存在する。」という方に傾いている。

というより,私は背骨呼吸ができるようになりたいのだ。


背骨呼吸という呼吸法に書物でであったのは、15年前。


その時から、「へーっ、そんなことできるんだ」「できるんだったら、自分もできるようになりたい」っていう思いがずっと続いている。


背骨呼吸をしてみたい。だけど、私の周りには、そんなこと出来る人いないし、そんなことを話題にする人もいない。


15年前、野口晴哉のこんなことばに出会ってから、もう背骨呼吸ファン。


「私自身の風邪に対する処理方法は極めて簡単なのです。

背骨で息をする。息をズーッと背骨に吸い込む。吸い込んでいくとだんだん背骨が伸びて、だんだん反ってくる

反りきると背骨に少し汗が出てくる。その間は二分か三分くらいです。

汗が出たらちょっと体を捻ってそれで終える。」

「背骨に気を通すと、通りの悪い処がある

そこが偏り疲労の箇処であり、それに一生懸命行気をし、そこで呼吸をする。」

「処理方法はそれだけですが、たいていは背骨で息をするというだけで通っている。

だから他の人がいろいろなことを言っても私は自分の健康法として、また心の拠り所として背骨で息をするということをやっています。」 (風邪の効用)


どうですか。背骨呼吸をやってみたいでしょ?やれるようになりたいでしょ?


私は、今まで何度も挑戦してみたけど、全部ハズレ。

どうすれば出来るようになれるんだろう?

誰か、このブログに返信してほしい。





そう強く願って、いろいろ調べてみたら、斉藤孝も呼吸法入門の中で次のような引用をしている。


『余談ですが、私は野口整体も経験しているのですが、野口晴哉の呼吸法は、「背骨で呼吸する」というものです。


背骨の真ん中に、中心管という管があります。

そこへずうーっと息を吸い込む、息が通って満ちれば大丈夫なのです。

他の人でも、背骨を触って椎骨の一つ一つに弾力がなく、硬張ったり、弛んでしまっている人は丈夫ではないのです。』


『そこで私は、背骨に息を吸い込み、背骨で呼吸することを始めました。


背骨が曲がっているときは、息を吸い込むと背骨がポキポキッといって直るのです。』(整体法の基礎)』


そして、こう続けている。


『とてもユニークな方法です。私も疲れた時のリラクゼーションとして、この呼吸法をよくやってます。


実際に背骨で呼吸しようとすると、尾てい骨のあたりで呼吸している感じがします。


歌を歌う時に、「ここから声を出せ」といわれる下腹部や背骨のまわりが、ゆったりと動く。


背骨の感覚を感じるには、水の中に漂って背骨が浮かんでいるような感じをイメージします。すると安らいでくる。


かなり回復力の早い良いやり方だと思うのですが、「背中で呼吸する」という感覚は、一般には理解しにくいし伝えにくい。


私自身、この感覚を会得するまでに何年もかかりました。』



うーん、出来るようになりたい。またまたこれも挑戦です。




「今」を懸命に歩いていく


昨日の栄光にすがるのでもなく

明日に過剰な期待を込めるのでもなく


今の今を懸命に歩いていく


見えるのは、今

見えているのも、今

その「今」を

今日も懸命に歩いていく


いのちあるもの こころあるものに

励ましと優しさの果実を手渡しながら


「今」を懸命に歩いていく
  (くろほとき)


•••••


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含み飲み シニアの学校 からだの学校

2019-10-30 06:48:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ


「朝起きる。コップ一杯の水を飲む。」

以前、健康に関するブログに、そう書いたことがある。

今日は、この「水を飲む」ということについて書く。


「朝起きる。コップ一杯の水を飲む。」というのを、もう少し細かく言うと、

「朝起きる→お手洗いに行く→生ぬるいお湯で口をすすぐ(数回)→水をゆっくり飲む」ということになる。


①生ぬるいお湯で口をすすぐというのは、寝ている間に口の中に繁殖した雑菌を口外に出すということと、実際に飲むまでからだに冷水の刺激を与えないということを意味する。


②水をゆっくり飲むというのは、いきなり冷水で内蔵を冷やすのは良くないということばかりではなく、むしろ、寝起きのからだが水を吸収しやすくするためである。




三枝龍生は、「体は何でも知っている」の中で

『知って得する「含み飲み」』と「高級ワインは唾液と一緒に飲むべし」のチャプターで、次のように書いている。


「含み飲みとは、どんなものでしょうか?一般的には、水を少し口に含んでから、やおら飲むことぐらいにしか思われていませんが、本格的にはもう少しややこしいものなのです。」


中略


「だから、冬場に水をそのままガバガバ飲んでも、体に吸収されず、単におしっこに変身するだけになってしまうのです。
そのときに飲む水を、体の敵ではなく、仲間なんだよと体内に教えるには、唾液という調整役のコーディネーターが付いていないといけません。そうして初めて、水の吸収力が良くなるわけです。

ですから、これから述べる含み飲みとは、唾液をいかに水に絡ませて飲むかという技術だと思ってください。」




「まずはじめに、少な目の水を口に含み、できたら一分ほど口の中で遊ばせます。

そうすると、どろっとした濃いめの唾液が出てきますので、これを一回、下品ですがペッと吐き出してしまいます。

こうすることにより、体は水分受け入れの準備に真剣になりだすわけです。」


「次に、舌の裏を湿らせるように少量の水を口に含み、しばらくおいてからゆっくり飲み干します。
 
確かにこんなことをしていると、コップ一杯の水を飲むだけでも五分以上かかってしまいますが、その効果たるや歴然です。」


(おまけ。以下、おまけで引用。

「たとえば、ワインのソムリエが試飲するときには決まってと言っていいほど口をグジュグジュとしたあと、唾液を混ぜてワインを飲み干します。 

ワインは、唾液入りの味で競うのです。もし、あなたの恋人や友人が高級なワインを含み飲みもしないで、がぶがぶ得意げに飲んだのなら、アホと思ってください。」)



朝起きて、コップ一杯の水を飲むという行為が何となくわかってきたように思うのですが、どうでしょうか。 

・・・・・

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くろほときの短詩

2019-10-29 13:09:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ



今朝は、くろほとき(このブログ主)の短詩を少し。
(添えた写真は、季節を問わず)



手に入れたいのは

「誰かに受け止めてもらっている」という実感。

「誰か」とは

あなた、あの人、すぐそばの君。

その実感を

今日こそ手に入れたいと願って目を覚ます。



幸せになりたい。



あなたが見る青空と

私が見る青空

つながっている空の青だけど

同じ青ではない

あなたにとって喜びの青空でも

私にとっては悲しみの青空かも知れない

あなたの青空

私の青空

もっともっとたくさんの青空
 
それをつなぐのを思想と言う



人の悪口を言うような者になるな

妬みや軽蔑を養分にするな

そこにいるだけで

周りに影響を与えながら

自分の存在を主張している花のようになれ



忘れ物をするな

下を向くな

背骨を伸ばせ



相手に寄り添って

相手の気持ちを理解しようとする

〜これができない

相手の喜びを一緒に喜んでみる

〜これもできない

批判ばかりしていると

ステキな事に出会えないかもしれない



寒さの中に屹立している薔薇に
胸が熱くなる

生きること
生きること

逃げないこと



ポカンと暮らしていれば

何も気づかない

奇跡だって

当たり前のように過ぎていく

あの娘が美容院で髪型を変えてきても

野原に花が咲いても

ポカンと暮らしていれば

何も気づかない



気づかないのに偉そうなことを言ってはいけない



あたりまえのことが
あたりまえのように流れていく

あたりまえのものが
あたりまえのように在る

幸せは、遠い山の向こうにもあるけれど
あなたや私の足下にも
あたりまえのようにある

私たちは、そのことに気づかないだけ

見ようとしないだけ



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前進しながら終わる

2019-10-28 09:24:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ



人間いつかは
終わりがくる。

前進しながら
終わるのだ。
(坂村真民)



村真民という仏教詩人がいた。

97歳で永眠するまで前進した。

毎日午前1時に起床して近所の重信川のほとりで地球に祈りを捧げるのを日課としていた。

53歳で月刊個人詩誌『詩国』を創刊し、95歳まで通算500号を発行する。

自宅を「たんぽぽ堂」と名付け、晩年まで創作活動を続ける。



坂村真民の詩を三つ


日の昇るにも
手を合わさず、

月の沈むにも
心ひかれず、

あくせくとして
一世を終えし人の
いかに多きことぞ。

道のべに花咲けど見ず、
梢に鳥鳴けど聞かず。

せかせかとして
過ぎゆく人の
いかに多きことぞ。

二度とないこの人生を
いかに生きいかに死するか、

耳をかたむけることもなく
うかうかとして、

老いたる人の
いかに多きことぞ。

川の流れにも風の音にも
告げ結う声のあることを
知ろうともせず、

金に名誉に地位に狂奔し
終わる人のいかに多きことぞ。


・・・

「念ずれば花ひらく」


念ずれば
花ひらく

苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった

・・・

「鈍刀を磨く」


鈍刀をいくら磨いても
無駄なことだというが
何もそんなことばに
耳を借す必要はない
せっせと磨くのだ
刀は光らないかもしれないが
磨く本人が変わってくる
つまり刀がすまぬと言いながら
磨く本人を
光るものにしてくれるのだ
そこが甚深微妙(じんしんみみょう)の世界だ
だからせっせと磨くのだ

・・・

坂村真民は、言います。

一生懸命生きなさい。

自分らしく花を咲かせなさい。

二度とない人生だから、どんな失敗をしても、どんな挫折をしても、どんな病気になっても、
生きねばならぬ。
その力を信仰から頂かせてもらうのだ。
わたしが詩を作るのも、生きがたい世を生きたいからである。



大切なのは、
かつてでもなく、
これからでもない。

一呼吸一呼吸の
今である。
(坂村真民)



人生は、一本の線のようだ

(くろほとき)


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人生100年時代は、天国か地獄か?

2019-10-27 05:35:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ



2016年


英国のリンダ グラットンと アンドリュー スコットによって、


ライフシフト

「100年時代の人生戦略」が刊行された。


そこには


「2050年までに、日本の100歳以上人口は、

100万人を突破するみこみだ。」



「2007年に日本で生まれた子どもの半分は、

107年以上生きることが予想される。」


と書かれていた。


その衝撃はすごかった。


私の周辺では、



「地獄だ」



「地獄の時代の始まりだあ」という声が



あちこちであがっていた。



107歳まで生きれば、


仮に60歳定年として、



「あと47年も生きなければならないんだよ。」


人生80年なら(それでも長すぎるけど)


定年後は20年がんばれば、



『彼の地』に行けたんだから。






人は、あてもなく



何十年もの人生を漂流することはできない。



お金もなく希望もなく



ただフラフラと生き続けることの地獄。



場合によっては、



寝たきりで自分で自分をコントロールできないまま



何十年も生き続ける無間地獄。



人は長生きしたからと言って



幸せになれるとは限らない。



長生きすることによって



年々歳々大きな不幸がふくらんでいくことだって



いくらでもあるのだ。




(ライフシフトは、100万人と言ってるけど、日本の厚生労働省は、この数字を出している。)

それにしても、すごい数字だ。

この数字を見て、何にも感じない人はいないだろう。


まだ100歳以上人口が、極々少なかった頃の日本。



いろんな市町村で、



100歳の誕生日を迎えたご老人たちに



現金100万円を配ったことを覚えているよね。



その後、100歳以上人口の増加に伴って



100万円が銀杯に



銀杯が銀メッキ杯に



銀メッキ杯が



「100歳の誕生日を祝す、紙ペラ一枚」に



変わっていったんだけどね。


・・・・・・・・・・・・・

老活というけれど



終活というけれど



エンディングノートというけれど



何を目指して生きればいいの?




『返事』

風が耳元で

「もうそろそろ

あの世に行きましょう」

なんて猫撫で声で誘うのよ

だから私すぐ返事したの

「あと少しこっちに居るわ

やり残した事があるから」

風は困った顔をして

すーっと帰って行った
(柴田トヨ)




風を見たか(揺れる草木ではない)


雨音を聞いたか(雨が何かにあたる音ではない)


わきたつ雲の根元に触れたか(恐らくではなく確かに)


己の闇の正体を突きとめたか(あなたのその眼で)


私は、まだ何もできない


ずっと生きてきたのに 
(くろほとき)



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