2日の日曜に歩きで行ってきました。
ご近所さんの半日歩きで行けるマイナーな神様ばっかりですが・・・失礼かな?
岸和田 今木町 菅原神社→忠岡町 北出 菅原神社→和泉市 府中町 泉井上神社→和泉市 和気町 妙泉寺→照姫稲荷大明神→牛神跡。
これでも4時間は歩きましたから^^;
神様たちに何もお願いはしませんでした。
4月29日(日)に古民家に興味がある友人と泉南市周辺の史跡、寺社、古民家などに行って来ました。
9時半に友人を迎えに行き、まず、サツキで有名な「林昌寺」に。
良く通る岩出線だったので、右に愛宕山を頼りに行けばたぶん大丈夫でしょうと、あんまり考えず。R26線の砂川変電所の交差点を右折、阪和線を超えて次の信号を右折、愛宕山を右に間近にみて細い道を右折。しばらく行くがどうも道が細い・・・で畑仕事をしている高齢のご婦人に道を聞くとお寺はすぐそこだが、車で行く道はないと・・・で聞いたとおり牧野から入ると看板があったので解りやすかったです。
道が細かったので、池の傍の墓地の駐車場に止めそこから徒歩で阪和線を超え5分ほど行くと見えて来ました(^^)
中に入るとまだサツキは咲いていなかったですが斜面を利用した、日本庭園が綺麗でした。
本堂に参拝して、山の斜面を登ると良い景色です。
山道を少し登ると山の頂上の広場には「愛宕山権現」があり中を覗かせて頂きましたが^^;ご本尊は無かったです。麓にお寺があり山頂に神社ってのも面白いですが。
途中の小さな踏切からです。
さて、次は新家方面へってところでお昼になったのでとんかつ屋さんで昼食。
途中、重要文化財「山田家」の看板をみたので山田家はこの近くだろうと。でとんかつ屋さんの店員さんにちょっと見てくるだけならと駐車場に車を止めさせてもらう承諾を得たのですが、地図を見るともっと遠くにあるように思って・・・で海会寺跡に先に行くことに。
海会寺跡は今は「岡神社(丘神社)」になっており
発掘調査から1350年前のかなり巨大なきらびやかな寺院だったらしい。今は柱の跡の石や柱を再現したモニュメントが残ってますが。
隣の古代史博物館は日曜休館なので見れませんでした。
さて、なにか地図を見て勘違いしたのか、本陣と山田家を間違えて、本陣の方面に一路歩いていきました。でもこれが幸いして。。。
海会寺跡から本陣までの道は旧熊野街道。
新しい家もありますが結構古い家もある、どこかに昔の町並みを感じさせる通りでした。
でここまで来たんだから、長慶寺に寄ろうと言う事に。
「長慶寺」は立派な格式のあるお寺で庭園も綺麗に整備されていて。
山門です。
その後、本陣跡→真如寺と巡り
でもう一度、新家の駅近くの重要文化財「山田家」に行きましたが、第二、第四日曜は公開してるものの、今日は第五日曜日で未公開。
写真を撮るのをあきらめて、道を歩いて帰り際、農作業中の高齢の紳士にいろいろ話しを聞くことが出来ました。
何でも新家のこの地区は昔幕府直轄の天領だったとかで、その庄屋さんの家らしくその御主人曰く「ここは泉南の東京なんやで」と。
その後駐車場まで戻り、泉佐野駅前の新川家は駐車場が無く寄らず。
神通温泉に入って帰って来ました。
大阪の足元にこんな名所旧跡が沢山あったとはなんとなく驚きです。
今回の車&歩き&寄った名所をカシミール3D登山道で作成(大体で荒いですが^^;)。ポイントは「Google Earth」で作成まとめてセーブしました。(Google Earthをインストールしてなきゃ見れませんがm(__)m)
「ココ」です。
6時半に家を出立、池木屋山や迷岳にいく、いつもの道を(五条→東吉野→飯高町)行く。
中央構造線が露出してると言う、月出ノ里に寄る。これが結構、山の奥で急な坂道の途中にあって、下からは900m回っていけば3.5Kmで上に着き、そこからさらに400m下ると言う、どうも不便なところにあった。国指定の天然記念物らしいが・・・
これ以外にもR166沿いに16箇所ほどあるらしいが・・・
道の駅「飯高」で休憩。
ここは温泉も一緒になっていて、中には当地の特産物、野菜やなんかも売っていて、ファーマーズマートなみ^^;
さて、ふと目に付いた、「山友館」。
入ってみると高見山や池木屋山、迷岳、布引の滝や結構なじみの深い場所の写真が飾ってあるではないか?で地元の山友会の人にいろいろ情報を貰った。熊の出没や危険箇所、迂回路など親切に教えて頂いたm(__)m
次にこちら方面の山に行くときは、絶対寄ろう。
それからゆっくり観光しながら、松阪に着いたのが11時頃、とりあえず今夜の宿である、松阪スーパーホテルに車を止めさせて頂いて、松阪市内を見ることに、駅の前の観光センターで4時間400円のレンタサイクルを借りる。これが快適で大活躍。
松阪商人の館に行くと、松阪では4件ほど江戸時代に江戸の町に本社?を建て、大成功した商人があるらしくその一つの木綿問屋、小津家の屋敷だとか?
大阪にも商人の町と言えば「堺」、我々の職、薬種問屋の町と言えば「道修町」、繊維の町と言えば「船場」があるがそんな成功者が出たのだろうか?これは帰ったら調べないと・・・
説明は懇切丁寧にしていただきましたm(__)m
中には千両箱ならぬ万両箱が^^;
さて木綿のお話、実は先日、同業の人に、綿の種を頂いたところで少し興味があります。ここ松阪も気候が温暖で質の良い綿がとれたとか?でその綿に藍染をして花嫁衣裳も紅白ではありませんでした(^^ゞ
近くには、かの三井財閥の発祥の地が
「町の駅」って言うところで以前聞いた事のある、古い薬屋さんはないかとたずねましたが結局解らずでしたが親切にお茶まで出していただきましたm(__)m
松阪郷土資料館、松阪城址、御城番屋後、本居宣長記念館、小津安次郎青春館など回りました。
本居宣長はやはり商家の出で、商売はうまくいきませんでしたが、京都に出て医者の勉強をし、医師の傍ら、日本の古書を勉強し、古事記の編纂は有名で、今回のたびは神話の熊野にも行くので感慨深いものがある。
以前、高見山の峠にも本居宣長が詠んだという詩碑があった。
小津安次郎青春館では私一人の為にビデオを流してくださり、資料もいろいろ頂いて親切にして頂きましたm(__)m
4時半頃にはレンタサイクルを返却しましたが、松阪市内の自分が当初予定していたところには全て行けるし、自転車自体も軽くて非常に乗り心地のいい物でした。
これからの観光にはレンタサイクルは欠かせないかも・・・但し坂道、雨には弱いですが・・・
普段運動不足の私には疲れが後でやってきましたが(^^ゞ
夜はホテル前の一升瓶で松阪牛を頂きました(^^ゞ