25日山行の続きです。
側川本谷を上りきると、三国山方面から下りてくる軽トラが通れる位の林道に突き当たります。
さ、槙尾山を目指して進みます。
途中、道沿いに「センチコガネ」が居ました、台高方面に居る物ほど色は鮮やかではありません。
上山への分岐、上山谷への分岐、十五丁石地蔵、五ッ辻への分岐と過ぎ、休憩していると、70代紳士と小学生の男の子が誰かを探している様子。
探しているのはどんな方ですか?と声をかけると、70代のご婦人とメガネの女の子らしいが、で槙尾山公園口から五ッ辻に上がってきて、先行したがあまり遅いので戻ると居ないと・・・いつも槙尾山のこのコース良く通るんだと・・・地図を見せながら分岐は無いように思うのだが、施福寺辺りで待ってるのではないでしょうか?とは言ったものの・・・私たちは側川から上がってきましたがそれらしき人は見ませんでしたよ。
向こうは携帯を持っているがその方たちは持っていなかったでも、連れが貸してあげると家に電話して番号を聞こうとした様だがかからないみたいで・・・中高年の女性の登山者も通りかかりましたが、その人も会わなかったらしい。
で結局、施福寺に行く様子で。私たちも休憩後に向かいました。
施福寺に着くと売店に子供さんを置き先ほどの女性がいて、紳士が一人で探しに行ったようで、他の登山者が奥宮の道を下ったのではないかと?
奥宮に行く道ってどこですか?と聞くと、私の持っている、昭文社の紀泉高原の地図には載っていなかった、売店の奥さんが地図を持ってきてくれたがその地図にも^^;
その登山者とさっきの女性の話だと五ッ辻に行く手前を右折し、右手に槙尾山口売店に出る道があるという。今はその案内板も無く、はぐれたご婦人と女の子はそこから下ったのではという話だった。
私たちももし見かけたらこの売店に行くように伝えますという事で、売店の横で昼食、ゆっくりしました。売店前のテラスからの岩湧山方面です。
1時半頃出発、蔵岩から降りてきたと思われる登山者に行く道を尋ねた。
売店からダイトレに出る道の途中、右下に建物が見えてくるその右手を真っ直ぐ上がると道が急になりほんの100m位登るだけだが・・・上まで登ると捨身ヶ岳の看板が、あれ蔵岩を行き過ぎたかな?見ると山頂から北西方向に蔵岩の看板が。
友人は山頂で待つという事だったので私だけ言ってみる事に、かなり急勾配を50m程下ると蔵岩が見えてきた。
ここはロッククライミングの練習で有名なところらしく、岩には沢山の金具が刺さっていた。岩上からの眺めも良いが、友人を待たせているので、写真を撮って引き返す。
その後、尾根沿いの道を五ッ辻目指して進む、トラ尾を目指して右折、次の分岐は思ったより早く来た。でこれを右か左か迷ったが、地図どおり右を取る。
五ッ辻や槙尾山周辺は以前に何回も来たことがあり、五ッ辻にはベンチやはっきりした道標がある事を覚えていたのだが、しばらく下っても見えて来ない、それどころか滝の音が右から聞こえて来るではないか?私も友人もぼちぼちバテテ居るようで・・・これはひょっとしてさっき聞いた、奥宮の道を降りてるんじゃないだろうか?
しかし今は4時近く登って降りるには時間切れ、とりあえず下ろう。
確かに奥宮と思われる建物が見えてきた、しばらく行くと道路や建物が・・・こりゃ槙尾山口に降りてきたな^^;
車は側川駐車場、軽装なら根来谷を上って五ッ辻に行き・・・よし友人に荷物を預けて車を取りにいく事に。
水と地図を持って私だけ出発、4時をまわった森の中はかなり暗い^^;30分で五ッ辻に到着、ここからは尾根沿いなのでまだ明るい5分ほどで駐車地点に到着。
無事5時までに友人と荷物を向かえに行けました(^^ゞ
今回の山行は解っていたとはいえ、予想外の道を降りたこと、地図とコンパスでもっとこまめに位置確認する必要性や地元の良く知ったる山でも気を抜かないように、経緯線を地図を準備する事、ライトはどんなところでももっていく必要性を感じました。
基本から地図とコンパスの使い方を勉強する必要が(中学時代にはオリエンテーリングで叩き込まれたんですが(^^ゞ)
登山者でも最近は地図すら持っていない方も多いですが・・・
後で調べてみると槙尾山施福寺は役ノ行者が最後の巻物を奉納した事に由来する名前で、行基が修行したとか、空海が髪の毛剃したところでもあり、織田信長の焼き討ちに会いその後、豊臣秀頼に再建されたとか由緒あるお寺でもあるようで。
境内は本当の山頂ではなく601mの捨身ヶ岳が本当の頂上であるとか、岩場は蔵岩だけじゃなく仏岩というのもあるとか。
地元でもまだまだ知らないスポットがありますね(^^ゞ
さて、あのはぐれたグループはどうなったのだろう?無事会えて下山してる事を祈りますが。