淡交社から当寺掛軸にある『たずねる・わかる聖徳太子』の中で、「大工神」(聖徳太子)の画像使用を依頼されました。
10月10日に発売されます。
指金を中国から移入し、大工を集め講義を開いて建築の基礎などを教えたと伝えられ、いまでも大工神の掛軸を掛け、祭礼を行っている組合があるそうです。
掛軸は信州安原山宝幢院とあります。長野県松本市の安原山大安楽寺と思われます。寺は廃仏毀釈で取り壊された後、明治24年に紀州根来大伝法院の宝憧院を移し、再興したそうです。
大安楽寺のホームページに「聖徳太子殿は手職人方々の講員によって守られ、信仰信者を多く集めております。」とありますので、ここだと思います。
5月に「お太子講」が行われています。
普通は柄香炉を持った姿が知られています。
大人であるはずの聖徳太子が、子供の美豆良姿をしているのは、中世に於いて老人と子供は神とされていたからだそうです。『中世の童子形』津田徹英著に詳しく書かれています。ネットでもPDFが掲載されています。
www.gcoe.lit.nagoya-u.ac.jp › result › pdf › 290-298#津田
※2020/10/11
10月10日に発売されます。
指金を中国から移入し、大工を集め講義を開いて建築の基礎などを教えたと伝えられ、いまでも大工神の掛軸を掛け、祭礼を行っている組合があるそうです。
掛軸は信州安原山宝幢院とあります。長野県松本市の安原山大安楽寺と思われます。寺は廃仏毀釈で取り壊された後、明治24年に紀州根来大伝法院の宝憧院を移し、再興したそうです。
大安楽寺のホームページに「聖徳太子殿は手職人方々の講員によって守られ、信仰信者を多く集めております。」とありますので、ここだと思います。
5月に「お太子講」が行われています。
普通は柄香炉を持った姿が知られています。
大人であるはずの聖徳太子が、子供の美豆良姿をしているのは、中世に於いて老人と子供は神とされていたからだそうです。『中世の童子形』津田徹英著に詳しく書かれています。ネットでもPDFが掲載されています。
www.gcoe.lit.nagoya-u.ac.jp › result › pdf › 290-298#津田
※2020/10/11