セイショウ坊のブログ

埼玉県飯能(はんのう)市 真言宗智山派・円泉寺住職です。
円泉寺ホームページにもブログがございます。

聖徳太子の掛軸と懸仏

2019-11-09 06:34:40 | 仏像
中村秋湖画・中村不折讃の掛軸

不折の書を探していると、この掛軸に出会いました。中山秋湖
中村不折





聖徳太子の像や画像は、稚児の姿をしている場合が多く見られます。
中には明らかに40代の図のはずが、美豆良姿で描かれてることがあります。
知られていませんが、中世には子供や老人は神であるとの考えがあったようです。
大人になっても髪の毛を長く、背中まで伸ばしている人は、特別な能力のある人か、罪人でした。
平安時代の牛飼い童は、成人なのに髪の毛を伸ばしていました。根来寺の行人も同じです。他にも童の姿をした大人がいました。
また、江戸時代の占い師などがそうです。


大工神

聖徳太子が大工の神様として信仰されていることは知っていましたが、どのようないわれかは知りませんでした。
いままで図も見たことがありませんでした。
この大工神は聖徳太子らしいのですが、柄香炉を持たずに「さしがね(曲尺)」を持っています。







指金を中国から移入し、大工を集め講義を開いて建築の基礎などを教えたのだそうです。
あくまでも伝承と思いますが。
室町時代から太子講が大工、木工職人により、聖徳太子の命日・2月22日に行われていたようです。 今でも組合として祭礼を行っているところもあると聞きました。

信州安原山宝幢院と書かれています。


聖徳太子掛軸



この掛軸もよく見られる聖徳太子の画です。
おそらく版画に着色したのだと思います。


>聖徳太子懸仏


ひょっとすると懸仏でなく、厨子に祀られていたのかもしれません。
時代は不明です。後ろの板は後世の物だと思います。







懸仏は多くが廃仏毀釈のおり、数多くが流出したり埋められてしまい、いわれが分からない御尊像も多いようです。
かつて都下のある神社で、境内から発掘された小さな仏像をお参りする機会がありましたが、宮司さんも廃仏毀釈のことは一切言いませんでした。


この聖徳太子の御尊像がどこに祀られていたのか知りたいのですが、無理でしょうね。





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