今年のトリエンナーレの展示は
少し ”重いメッセージ” のこもった
作品が多かった様だ。
そんななか、「表現の不自由展」
が中止され、世間の注目を集めた。
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これは、その「不自由展」中止に際し
”皆さんがこれまでに、不自由を感じた
時のエピソードを 書いて下さい”
という呼びかけに対し、
書き込まれたカード。
その中のひとつに、こんな書き込みが有った。
”自分はストリートで全裸パフォーマンス
を行い、2度逮捕された事が有ります”
これを読んだ時、Ken坊は思った。
それはムリもないだろう💦
自由とは、何をしても
良いという事ではない・・と。
で、さらに思った。
となると、表現の自由とはなんだろう?
どこまでが自由として許されるのだろう?
自分は ”表現や言論” に対して
検閲や越権行為(暴力含む)が
加えられる事に
強く反意を抱く者だが、
さて、自由の範囲とは?
それを考えた時、
答えを持たぬ自分に気が付いた。
今年のトリエンナーレ。
行って良かったと思いました。
なにかと話題の、
今年のトリエンナーレ。
に、行って来た!
こう見えて、Ken坊はアート好き❤
さぁ、Ken坊を探せ!
ところで今年は、
メッセージ色の強い作品が多い様だ。
ただ、ぱっと見では何が言いたいのか
わからない作品も多い。
そういうのを見て、
個人として感じたのは、
説明書きを見ないと分らないアートって
どうなんだろう?という事。
それはそれで有りなんだろうけどね。
自分が思うアート(美術)とは、
色彩や造形や構図などがユニークだったり
斬新だったり、美しかったり。
まずは視覚に訴求するもの?
作品にそういうのが感じられず。
なんとなく物言う風だけど、
観ても判らず、説明書きを読んで初めて
「・・ふぅ~ん」と思う。
そういう風にメッセージを伝えたいなら、
文学とか映画とか、
他により適したメディアが有るのでは?
と感じてしまった。
話題の「表現の不自由」
については明日書いてみたい。
先日、大手SNSのFBを始めて8年経つ、
というアナウンスを受け取った。
始めたキッカケが卒業後初の
高校同窓会だったから、
あれから8年も経つんだ・・
という感慨。 (*´ω`*)ふぅ~
8年の間にSNSはその裾野を広げ、
多様になったと思える。
好き嫌いを超えて、
社会に必要なインフラに
なった感もある。
そして各メディアには、
それぞれ使い方について
勘所が有る様に思える。
メディア=道具だから
上手に使ううちは便利だが、
勘所を誤ると痛い目にあったりもする。
しかも多くの場合、
本人の気づかないところで・・💦
便利な道具ほど、威力があって危険。
刃物や自動車の様なものだろう。
気を付けて使おうと、
あらためて思うのであった( ̄▽ ̄)
Ken坊、ラグビーの試合を見るのが
割と好きである。
どんなスポーツも面白いけど、
見る球技について
個人的な意見を言えば、
・野球はプレーの間が長すぎる。
・サッカーはシミュレーション的プレイが気になる。
・バスケは点が入りすぎ。
・アイスホッケーは選手の顔が見えない。
・バレー、テニスetc.. 試合終了時間が読めない。
ラグビーの場合
・プレイや判定がはっきりしている。
・終了時間が明確。
・戦術・得点パターンが多彩で、知的に楽しめる。
・ボールのつながる時の様子が美しい。
・選手のフィジカルが素晴らしく、男的に萌える(笑)
・多少の事では選手が痛がらない(笑)
元々が荒っぽいスポーツだからね(笑笑)
1か月少々、楽しめそうである ♪
Ken坊の、高校時代の恩師は
ラグビー部の顧問だった。
背はちっさかったけど足が速く、
身体が鍛えられていたのは、
遠目からでも分かった。
日焼けした肌に、短髪。
精悍な顔つき。
ラガーシャツの似合うその姿は、
体育の先生そのものだった( ̄▽ ̄)
Ken坊が柔道部の練習で
ボロボロにされていた時。
先生に叱咤激励されたのが
忘れられない。
昨日の開幕戦勝利、先生に
観せてあげたかったなぁ。
てか、あの世から、
のぞき見してないか(笑)?