ガッツせんべい応援団のみなさまへ
大阪公立大学の辻野けんまです。先日までドイツで調査滞在していたのですが、出発時にガッツせんべい応援団の方々から「現地レポート待ってるよ」とお声かけくださり、ありがとうございました。現地からリアルタイムで報告するという機会は私にとっては稀有な経験で、Facebookでの簡易報告にもかかわらずコメントや質問をいただき、貴重な示唆を多くいただきました。何よりも、良い意味で緊張感を持つことができましたので、心より御礼申し上げます。
さて、ガッツせんべい応援団につきまして、あらためての所信表明をさせてください。久保敬氏の「大阪市教育行政への提言」をめぐって活動を続けてきましたが、大阪市教育委員会との団体協議や情報開示・公開請求などの活動から見えてきたことは、当初の想定よりもさらに深刻で問題の根が深い地方教育行政の姿でした。日本の地方教育行政は、歴史の反省から〈指揮・監督・命令〉を廃して〈指導・助言・援助〉への転換から執り行われてきたはずでした。そのために、「民衆統制」と「専門職リーダーシップ」の調和を理念とする教育委員会制度が存在し、法治主義・民主主義に依って立つ地方教育行政を担っているはずでした。ところが、大阪市では「特別顧問」を中心とした人治主義・権威主義による統治の実態が浮かび上がってきました。
そうであるならば、大阪市の教育政策は制度にもとる異常な意思決定を経て実施されてきたことになります。学校教育がゆがめられているという久保氏の「提言書」にも通じるわけですが、問題はそれをはるかに超えて学校だけに限定されえない問題であることが分かってきました。なぜならば教育委員会は、学校だけを所管しているのでなく、広く図書館や博物館、公民館などの社会教育にかかわる公共施設をも所管しているからです。
つまり、教育委員会が換骨奪胎されているとすれば、その教育委員会が担ってきたはずの教育・文化、すなわち人間の豊かな暮らしの基盤そのものが、一部の人間の恣意によって決定されてきたということに他なりません。私たちは学校教育の現場やコロナ禍で負担が先鋭化した家庭、そして久保「提言書」が何よりも重視する子どもの幸福を念頭に活動をしてきたわけですが、社会教育はじめ学校以外の文化・教育の現場の声は必ずしも把握できていません。地方教育行政の実態が明らかになった以上、これら学校外のさまざまな現場でも、新自由主義や競争主義、短視眼的な成果主義などの弊害が出ているのではないか、との思いを強くしています。
久保「提言」は市民に向き合う教育行政を「提言」しているのであり、ガッツせんべい応援団はその理念こそ支持しています。単に久保氏の訓告の撤回だけを求めているのではなく、市民の声が無視され続けてきた教育行政によって数多の人々の人権が損なわれていることに、久保氏は心を痛めています。そのようなことで、もし学校にかぎらず「教育行政への提言」の思いを持たれている方々がおられれば、ぜひ一緒に活動できればと願っています。
10月に開催された久保氏関連のイベントでは、夜間中学校、民族教育、不登校支援者、など実に様々な方々が声を寄せてくださいました。そうした声に触発され、一筆思いを書かせていただきました。長文・乱文のほどご容赦ください。