二日目
天候:一時ガス
行程:西穂5:00-天狗岳6:55-ジャンダルム8:35-奥穂9:40-北穂13:25-南岳小屋キャンプ場16:15
午前3時起床。
4時には出発するつもりでいたが、まだ暗く二度寝してしまうが、これは失敗。
もたもたしているうちに、早くも2時に西穂山荘を出発した組が続々と上がってくる。
結局、西穂を三番目スタートとなる。
ここから奥穂までのコースは、多くのHPで紹介されているので、詳細は省く。 (←単に面倒くさいだけ?)
一応、一般登山路では「最難関」と言われているだけあって、それなりのことはあると思った。
主な点としては、
・乱雑に積み重なる岩は最初のうち、どれもこれも浮いているように見えるが、割としっかりしていた。
・皆が気を張っているだけあって、落石はそれほど無い。
・ただ、やはりところどころで大きな岩が浮いていて、それが崩れたりして、本日も流血事故は二件。
・うち一件は額をけっこうパックリ切ってしまい、ヘルメットを被っていれば防げたかも。私は今回ノーヘルで行ってしまったが、大体八割方がメット着用。
・ルートは要所要所に白や黄ペンキで「○」とか「→」、ダメな方には「×」と表示してあり、これを見失わないこと。つまりガスや雨の時はわかりづらく、けっこう危険。
・岩は乾いていれば、逆層でもフリクションは快適。ロープはまず使わないが、奥穂から西穂へ向かうコースの場合、「馬の背」の下りなどパーティーによってはあった方がいいかも。
・思ったよりはしっかりした岩とペンキの表示、鎖などの安全要素はあるが、私は北鎌上半部とほぼ同等と感じた。ずっと昔に冬にトレースしたはずだが、不安定な残雪期などは同時期の北鎌や前穂北尾根などより悪いのではないか?
といった感じ。
結局、奥穂までの間に二人抜き、一人に抜かれて本日は二着でゴール。 (別に競争したわけじゃないけど・・)
西穂山荘から奥穂までは早い人で5~6時間、遅いパーティーで10時間、平均して8時間が大体目安ですかね。 (ヘボオヤジの私が軽荷にして実質7時間ほど)
奥穂は、1979年冬(西穂経由)、2002年GW(南稜経由、単独)に引き続き、今回で三度目。
それにしても着いた山頂は物凄い人!おそらく200人はいるんじゃないだろうか。
小栗くんが映画「岳」の中で「山においでよ!」と言ったせいか知らないが、山ガール(それも一昔前には考えられなかったような美女)もかなり多い。
あまりの混雑にいたたまれず、写真を少し撮っただけでスルーし、穂高岳山荘前で小休止。
涸沢岳まで一登りし、ここから北穂までの鎖場を含むアップダウンがまた、かったるい。
北穂山頂では、居合わせたトレイル・ランナー氏と話をする。
今日のコースを聞くと、今朝、上高地の帝国ホテル前からスタートして西穂-奥穂-北穂と駆け上がって、これから下るとか。マジですか!
でも、その人によれば「自分はハセツネにもフル・マラソンにも出たことなくて、この程度ではまだまだ並」とのこと。
本当にやっている人はさらに槍まで行って、その日のうちに上高地へ帰るとか。
こちらがウルトラライトなどと粋がりつつ二泊三日もかけてしまうコースをわずか一日で・・・。
「荷物が軽けりゃ行けますよ。」とその人は謙遜していたが、うーん・・・改めてトレイル・ランナー恐るべし!
さらに、ここでもう一人、西穂方面からやってきたグリーンTシャツのニイちゃんと出会うが、このニイちゃんがまたパワフル。
彼は大型ザックの一般登山スタイルだが、昨日は新島々から入って徳本峠越え、西穂山荘前でキャンプ。この日は私同様、西穂から奥穂を経由し、南岳まで。さらに後二日で槍-大天井-常念と回って下山するつもりとか。
しかも裸足にトレッキング・シューズだし。 (←石田純一か!)
それにしても強者は、ホントどこにでもいるもんだ。つくづく自分の年齢と非力さを痛感させられた。
で、ここから先の大キレットは、まず見た目からしてウンザリ。
あんなに下って、また登り返すのか。
北穂からの下りは所々ザレていて、やはり気を抜けない。
今日一日、岩稜続きでの精神的疲労に加え、そろそろ足にも来ていてペースは遅々として進まず。
よほど途中のスペースにテントを張ってしまおうかと思ったが、酒を目当てに何とか頑張る。
夕立も来そうな雰囲気だったが、何とか天気ももちこたえ、ようやく南岳小屋へ到着。
さっさとテントを張り、小屋で缶チューハイを買い、やっと落ち着く。疲れた・・・。
写真集(二日目)