ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

愛することが追いつめることになってゆくバスルームから星が見えるよ

2020年05月24日 16時07分35秒 | owarai
二回だけベルを鳴らして切
りました。

宙ぶらりんの「おやすみなさい」

空は、どこか寂しい、もの哀しい
寒さと季節はずれの
せいだけではなかったんだと

木という字を一つ書きました
一本じゃかわいそうだから
と思ってもう一本ならべると
林という字になりました

淋しいという字をじっと見て
いると

二本の木が
なぜ涙ぐんでいるのか
よくわかる
ほんとに愛しはじめたときにだけ
淋しさが訪れるのです

YouTube
恋音と雨空 / AAA (cover)

https://www.youtube.com/watch?v=TBqujyl4ja0







午前四時夢のつづきを抱き合えば少し濃くなる我の輪郭

2020年05月24日 15時05分47秒 | owarai
人がめぐり逢って結ばれる
のは、とても不思議。

今、私が見ている星の数以上
の人間がこの世界で生きている。
その中のたったひとりに出逢って、
愛し合って結ばれる。

なんという奇跡。

それを考えただけで、私は
また衝撃を覚えた。


YouTube
Toots Thielemans - Midnight cowboy - Toots 90 21-10-12 HD

https://www.youtube.com/watch?v=Nb-5aQ1EIgc

道をつくろう

2020年05月24日 12時55分05秒 | owarai

世界が生まれたとき
そこに道はなかったはずだ
たくさんの人が歩けば
その足跡は
やがて道になる

たくさんの挫折と
たくさんの不屈と
たくさんの覚悟と
たくさんの夢中が
たくさんの足跡になって
それはいつか道になる

道をつくろう

それが君のうまれた意味だ
君はひとつの足跡だ
その毎日は足跡だ
その別れは足跡だ
その悔しさは足跡だ

歩け歩け歩け歩け




あした晴れたら 友達になろう

2020年05月24日 11時35分11秒 | owarai
春のはじまりは、わりと
誰もが春ぼっち。
友達の作り方は、自転車
の乗り方とおなじだよ。
君と私はちがうから、友
達になろう。

君に影響されたい。影響
与えたい。
仲良くなるって、ちょっと
泣きそう。おかしいね。

私の人生に、登場してくれ
てありがとう。
君がいると、愉快で心強く
て、ごはんがおいしい。

YouTube
Marcos Valle, Stacey Kent - Amando Demais (Video Ao Vivo)

https://www.youtube.com/watch?v=7IJPlLQCyl0

学校という文字さえ知らない子どもたち。

2020年05月24日 09時26分59秒 | owarai
生まれた国の言葉さえ、
読むことができない。
という大人が、世界には
6人に1人いる。

学校を知らない。
学校という文字さえ知らない。
という子どもが、世界に
は7200万人いる。


ジョン・レノンは、4歳の
ころ、育ての親である伯父
から新聞を使って読み書き
を教わっています。
それからジョンは新聞を
読むようになり、のちに
作詞のアイデアにもなっ
たそう。
彼のように幼いころに触
れた文字の量が、人生に
大きく影響することもある
ようです。

YouTube
CHRIS BOTTI IN BOSTON | Shape of My Heart Sting & J. Groban

https://www.youtube.com/watch?v=DpYYJgvgDmo

「遠 恋」真夜中の雨音―Ⅲ―

2020年05月24日 04時51分40秒 | owarai

嫌いになって、別れたわけじゃ
ないんだ。ふたりの見つめる先
にある「理想」が、いつの間に
か大きく、食い違ってしまって
いたんだね。彼女は安定を求め、
俺は飛躍を求めた。

お互いに、相手の変化を受け入れ
られなかったんだと思う。
そんなあのひとの言葉が、今は
まったく違った意味を持って、
迫ってくる。

「嫌いになって別れたわけじゃ
ない」。その言葉がわたしに、
尖ったナイフの切っ先を突きつ
けてくる。

「運命の出会いが」が、昔の彼
女との再会だったとしたら・・・・。

嫉妬、猜疑の心、不信感、自己嫌悪。
打ち消しても打ち消しても、膨らん
でいくばかりの「どろんこいかだ」。
醜い灰色の塊を、わたしは身のうち
に抱え込んでいた。

この「どろんこいかだ」を浮き上が
らせ、澄みきった心を取り戻すため
には、どうしてもあのひとの声が、
必要だと思った。

ぜひ電話で話しを聞かせて、と、
LINEに書いて送った。
そばにいて欲しいと願うだけでは
なくて、わたしは、もしもあの
ひとがわたしを必要としている
のでれば、そばにいてあげたいと
思っていた。

父が亡くなった日、あのひとが
わたしにしてくれたことを、わ
たしもしてあげたかった。
LINEの最後には、こう書いた。
「わたしにも話したいことがあり
ます」と。

夏以来、会社で、いやな出来事が
積み重なっていた。あのひとには
そのたびに話しを聞いてもらい、
そのたびに慰められ、元気づけら
れてきた。

けれど、つい最近、追い打ちをかけ
るように、理不尽で不条理なことが
起こった。わたしはそれに巻き込ま
れ、もみくちゃにされ、窮地に立た
されていた。問題は悪性腫瘍のよう
に増殖し、もうわたしの手に負えな
い状態になっていた。

会社を辞めようと、考え始めていた。
会社を辞めて、アメリカへ――――。
そのことを、あのひとに相談したか
った。

LINEを送って、一週間待った。
返事は届かなかった。