新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

お寺コミューン

2011年06月07日 | 読書
 『ビッグイシュー』168号の特集「お寺を開く 新しい公共空間になれるか」が、おもしろい。

 「人間社会に対する人々の信頼度を高めていくためには、国家と個人の中間の領域を分厚くしていくことが必要です。その時に、お寺というのは重要な意味を持つ。お寺は、人と人の絆や信頼を築き上げていくための貴重なインフラなんです」

 こう語るのは、この特集のゲスト編集長・中島岳志さん(北海道大学大学院准教授)。『中村屋のボース』の著者といえば、通りがいいだろうか。

 エンゲイジド・ブッディズム(社会参加する仏教/社会貢献する仏教)。最近のエントリで、「社会の組織化」ということを語ったけれど、かっこよくいえば、人間に連帯は可能なのかということだ。このとき、「信頼」や「絆」がキーワードになる。
 
 お寺カフェやブログサイト「彼岸寺」を運営する松本圭介さんと、中島さんの対談より。

 松本 ニーチェとかが好きだったんです。ポストモダンにも入っていったんですが、要はポストモダンて何もしていないというか。
 中島 着地点がないんですよね。
 松本 そうなんです。おもしろいし、なるほどなあということはたくさんあるけれど、少なくとも自分が生きていくうえで活力になっていくことには、答えてくれない。その点、仏教はそこが原点なんです。
 中島 ポストモダンというのは基本的に「色即是空」としか言っていない。仏教はそこから「空即是色」としてこの世界を引き受けようとするところがある。 

 ここはよくわかるなあ。理性で完璧なものをつくりあげたり、発見することもできないし、すべてものには本質も根拠も意味もない。こうした考え方は、1980年代、マルクス主義など、思想化合物の解毒剤としては大いに役立った。

 「で?」というところで、価値相対主義のニヒリズムにおちいっていたのが、1980年以降、この30年ほどの思想・文化状況ではなかったろうか。細菌やアレルゲンを追放してまわるうちに、現代人は脆弱になり、毒物もさらに毒性を強めてしまったのに似ている。「それではいけない」と、動き始めた若者たちの登場は頼もしい。

 MBAでもある松本さんは、「仏教はベネフィットを提供するもので、宗教であることをやめてもいい」と、実にラディカル。職業選択も買い物も、みんな自由だと思っているけれど、実は自由だと錯覚させられているだけ。今の企業のマーケティングでは、心理学・脳科学が幅をきかせて、だんだん洗脳のような手法に近づいているという指摘も重要だ。ほんとうの意味で自由なのか。「ブルジョア社会では、各人は商品の買い手として百科全書的な商品知識をもっているという“擬制”が支配的に行われているのだ」と、怨師マルクスを我田引水。

 お寺がコンビニより数が多いというのも、発見だった。

 その他、『フリスタ』(フリースタイルな僧侶たちのフリーマガジン)を発行する池口龍法さん、ソーシャルネットワーク『消えない人』を主宰する根本紹徹さんのインタビュー。

 (水沢めぐみ「寺ガール」の続きが気になる。「Cookie」連載の宗教法人ジュニアのラブコメ)。

 ビッグイシュー日本版の販売場所はリンク先参照。興味のある人は、ぜひ買いにいってください。
 http://www.bigissue.jp/sell/index.html



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2 コメント

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Unknown (氷川 渉)
2011-06-08 08:11:54
世の中にはこんなものがあります。
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Orion/5766/
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Unknown (くろまっく)
2011-06-08 12:53:04
そこ行きたいですね。仏教とテツの素敵コラボもどうぞ。
http://shimosatoan.okoshi-yasu.com/simpleVC_20091021183848.html
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