「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」
略して「もしドラ」。(もしドラえもんがいたら、みたいな心地のよい響き)。
○あらすじ
高校野球の女子マネージャーのみなみちゃんには、一つの目標がありました。それは野球部を、甲子園に連れていくということです。しかし東京都立程久保高校(ほどくぼこうこう)は、東大に数名合格者を出すような進学校。野球部は良くて3回戦どまり、今年は1回戦を勝てるかどうかもあやしい。練習に出るのも休むのも自由、規律もなく、みんなやる気がないのです。
孤立無援のみなみちゃんにも強力な味方がいました。本屋さんで思いもかげず出会った、ピーター・F・ドラッカーの『マネジメント』です。最初は野球について書いていないのでがっかりするが、野球部にも生かせることに気がつきます。
(あらすじ終わり)
長い間放置プレイでしたが、最近、人に薦められて読了しました。以下はネタばれも含むかもしれません。
意外におもしろかったです。ふらりと入ったお店が、意外に料理もおいしくて、接客サービスも良かったようなお得感。「経営者」と「マネージャー」は英語では同じManagerという、切り口がおもしろい。読後感もさわやかでした。
もちろん、あくまでも「おとぎ話」として、という留保はつきます。ツッコミどころはたくさんあって、青春小説としても、ビジネス書としても、あるいは萌えキャラのデザインも平凡でありきたりです。
しかし、B級にはB級の良さやむずかしさがあります。この「平凡さ」「普通さ」が、本書の魅力であり、ベストセラーになった理由でしょう。ドラッカーの教科書通りに愚直に実行に移していく女子高生と野球部員たちの成長物語を通して、わかったつもりのマネジメントを基礎からおさらいできるからです。
ドラッカーいわく、マネージャに大切なのは、才能ではなく真摯さ。わからないことは素直に聞き、自分より優秀な人材を使いこなすみなみちゃんは、模範的なマネージャです。幼なじみで親友の夕紀との友情物語には泣きが入ります。
さて、チームワークもやる気もなかった野球部が、変身を遂げるのは、悪夢の7連続押し出しで、コールド負けしてから。試合後のミーティングで、「フォアボールをわざと出すようなピッチャーは、うちのチームには一人もいないんだ!」と、意外な人物が叫び出すところから、流れが変わります。
この劇的瞬間も、監督とエースはなぜ反目しあっているのか、みなみちゃんの地道なマーケティング活動なくしてはありえませんでした。チャンスは創りだし、運命は呼び寄せるものです。「成長には準備が必要である。いつ機会が訪れるかは予測できない。準備しておかなければならない。準備ができていなければ、機会は去り、他所へ行って」(ドラッカー)しまうのです。
「人の強み」を生かして、「高校野球のイノベーション」に取り組んでいく中盤からの展開が、イケイケドンドンでおもしろい。野球をつまらなくしているのは、「送りバント」と「ボールを打たせる投球術」というのにも納得。そこで打ち出されるのが、「ノーバント・ノーボール作戦」。
そんな野球ならぜひ見てみたいと思いながら、ここで疑問も残ります。「ノーバント・ノーボール作戦」を、どうしてだれもやろうとしなかったんでしょうね? 自分では新しいアイデアだとおもっても、過去にだれかがチャレンジしていたかもしれない。過去の失敗事例を検証するプロセスは、新しい発想でなにかに挑戦する時に欠かせないものです。そのためには、もう少し掘り下げた「高校野球のマーケティング」が必要だったように思います。
現実問題としては、甲子園をめざすなら、高校からでは遅すぎるのでしょう。小学生の少年野球から、すでに熾烈な競争が始まっています。これはPL学園の桑田・清原の時代、30年以上も前からそうでした。その桑田真澄氏のブログより、「気が付く」。
ドラッカーは現実感覚に優れ、魅力的な思想家です。しかしグローバル化が進むなかで、個々人のマネジメント能力だけでは、どうにもならない局面に来ていることも忘れてはならないでしょう。『もしドラ』のヒットは、ドラッカーがビジネスマンの救いや癒やしの「萌えキャラ」と化している、その時代の象徴なのかもしれません。
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「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」岩崎夏海(ダイヤモンド社)
略して「もしドラ」。(もしドラえもんがいたら、みたいな心地のよい響き)。
○あらすじ
高校野球の女子マネージャーのみなみちゃんには、一つの目標がありました。それは野球部を、甲子園に連れていくということです。しかし東京都立程久保高校(ほどくぼこうこう)は、東大に数名合格者を出すような進学校。野球部は良くて3回戦どまり、今年は1回戦を勝てるかどうかもあやしい。練習に出るのも休むのも自由、規律もなく、みんなやる気がないのです。
孤立無援のみなみちゃんにも強力な味方がいました。本屋さんで思いもかげず出会った、ピーター・F・ドラッカーの『マネジメント』です。最初は野球について書いていないのでがっかりするが、野球部にも生かせることに気がつきます。
(あらすじ終わり)
長い間放置プレイでしたが、最近、人に薦められて読了しました。以下はネタばれも含むかもしれません。
意外におもしろかったです。ふらりと入ったお店が、意外に料理もおいしくて、接客サービスも良かったようなお得感。「経営者」と「マネージャー」は英語では同じManagerという、切り口がおもしろい。読後感もさわやかでした。
もちろん、あくまでも「おとぎ話」として、という留保はつきます。ツッコミどころはたくさんあって、青春小説としても、ビジネス書としても、あるいは萌えキャラのデザインも平凡でありきたりです。
しかし、B級にはB級の良さやむずかしさがあります。この「平凡さ」「普通さ」が、本書の魅力であり、ベストセラーになった理由でしょう。ドラッカーの教科書通りに愚直に実行に移していく女子高生と野球部員たちの成長物語を通して、わかったつもりのマネジメントを基礎からおさらいできるからです。
ドラッカーいわく、マネージャに大切なのは、才能ではなく真摯さ。わからないことは素直に聞き、自分より優秀な人材を使いこなすみなみちゃんは、模範的なマネージャです。幼なじみで親友の夕紀との友情物語には泣きが入ります。
さて、チームワークもやる気もなかった野球部が、変身を遂げるのは、悪夢の7連続押し出しで、コールド負けしてから。試合後のミーティングで、「フォアボールをわざと出すようなピッチャーは、うちのチームには一人もいないんだ!」と、意外な人物が叫び出すところから、流れが変わります。
この劇的瞬間も、監督とエースはなぜ反目しあっているのか、みなみちゃんの地道なマーケティング活動なくしてはありえませんでした。チャンスは創りだし、運命は呼び寄せるものです。「成長には準備が必要である。いつ機会が訪れるかは予測できない。準備しておかなければならない。準備ができていなければ、機会は去り、他所へ行って」(ドラッカー)しまうのです。
「人の強み」を生かして、「高校野球のイノベーション」に取り組んでいく中盤からの展開が、イケイケドンドンでおもしろい。野球をつまらなくしているのは、「送りバント」と「ボールを打たせる投球術」というのにも納得。そこで打ち出されるのが、「ノーバント・ノーボール作戦」。
そんな野球ならぜひ見てみたいと思いながら、ここで疑問も残ります。「ノーバント・ノーボール作戦」を、どうしてだれもやろうとしなかったんでしょうね? 自分では新しいアイデアだとおもっても、過去にだれかがチャレンジしていたかもしれない。過去の失敗事例を検証するプロセスは、新しい発想でなにかに挑戦する時に欠かせないものです。そのためには、もう少し掘り下げた「高校野球のマーケティング」が必要だったように思います。
現実問題としては、甲子園をめざすなら、高校からでは遅すぎるのでしょう。小学生の少年野球から、すでに熾烈な競争が始まっています。これはPL学園の桑田・清原の時代、30年以上も前からそうでした。その桑田真澄氏のブログより、「気が付く」。
ドラッカーは現実感覚に優れ、魅力的な思想家です。しかしグローバル化が進むなかで、個々人のマネジメント能力だけでは、どうにもならない局面に来ていることも忘れてはならないでしょう。『もしドラ』のヒットは、ドラッカーがビジネスマンの救いや癒やしの「萌えキャラ」と化している、その時代の象徴なのかもしれません。
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「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」岩崎夏海(ダイヤモンド社)
もうひとつのほうは、ちょっと甘いとバシコバシコボールが飛ぶ現在の野球では、投手はストライクゾーンだけで勝負できないからです。
最近の野球解説を見ていると、強打者相手にストライク勝負をするバッテリーは叱られてしまいます(苦笑)。
野球に詳しい人が読んだらどうだろうと思ったんですよ。「常識」「定型」を覆そうという趣旨はわかるのですが、そうなるには、そうなるに至った歴史や現実があるわけで。
おもしろいし、じーんと来るのですが、☆は3つかな。SLGにしたらおもしろいかもしれません。
知人がDVD録画してくれたんだけど観るヒマあるかな。
むじなさん
「もしドラ」、作品も脚本も酷いなw
http://blog.goo.ne.jp/mujinatw/e/a7e28b7b4c2f103a13952bc75ff8d9bb#comment-list
あ 伊賀さんがコメントしとぅ
おまけ(笑ってしまった)
もし高校野球の女子マネージャーが飯干晃一の『仁義なき戦い』を読んだら
http://d.hatena.ne.jp/washburn1975/20110515
あ jとくろまっくは同一人物