心の赴くままに…

夫婦二人でのんびり、気楽に~

ラッキー!

2013-12-21 23:59:14 | 日記

夜中まで降っていた雨も止み、やっと午後には陽が射した。
それでも気温は9℃までしか上がらず、風が強く寒い一日。

午前中、髪を切りに行こうと出かけたけど予約をしていなかったので一旦帰宅。
さすが年末多い
別の所へ行ったり、別の日に遣っても良かったけど今日遣る気分だったので午後から出直し
言われた14:30、きっかりに着いた

何年振りだろう
10年振りくらいパーマをかけた。
パッと目には判らない程度に。

余りにさらさらとして纏まりが悪かった。
髪にボリュームもないし…
短いとヘアスタイルもいろいろ変えられる。
気まぐれじゃないから、そんなにチェンジはしないんだけど、
長さも、ほんの少し違っても変化が判る。
ロングだと少々切っても判らなかったのにね~。


数日前、アサヒビールのキャンペーンに「当たらないだろうけど…」と思いながらも応募していた。
『スーパードライ6缶パック・クリアアサヒ6缶パックプレゼントキャンペーン』
昨日、当選のメールが来ていたので早速ファミマで交換
スーパードライ500ml缶6p



『鮮度実感パック』って書いている
今日は飲まなかったけど、早めに飲まなくては…
実感できるかな

冬らしく…

2013-12-19 23:32:28 | 日記
のマークが午前中は出ていたけどいつ晴れたんだろう
洗濯物、今日は外に干せるかな~と思ったけど、9時過ぎにはすでに
このところ冬特有のはっきりしないお天気で曇りか雨が多い。

切って万能物干しに入れた大根も、LKに吊り下げてファンヒーターで乾かした。
大根と人参は使い切れないので1本抜いては使い残りを切って干す。
纏めて遣ると手に肉刺ができる。
今年は、細々その都度遣る事にした。
本当は天日干しにしたいんだけど…
その方がビタミンDが摂れるし、何と言っても香りが良い

夕方になって霰も降ったし明日も冴えないお天気なんだろうな~
どんより嫌なお天気が続く。

お昼前、Sちゃんから
忘年会を予定していたけどキャンセルして悪かった…
Sちゃんのお母さまはうちの母より痴呆が進んでいる。
我が子供たちの顔も認識できないそうで、それも辛い。
まだ、母は誰だかは認識できているからイイのかも~
40分ほど話して新年会の約束をした。
「お互い都合が合ったらね」今はそれしか言えない、お互いに…

母が入院している時、同じ病院に母の弟も救急で担ぎ込まれた。
危ない状態だったようで…
今、透析をしている。
やはり動けないことで、義叔母に当たりが来ていると言ってた。
丁度、母のチューブが取れた時に従妹と病院内で会った。
私たちは北九州の叔母から聞いて知っていたけど、叔父の病室を訪ねなかった。
母に叔父の様態を知らせるわけにもいかないし、叔父に母の様態を知らせるわけにもいかない。
お互い危ない状態で入院中だったから~

北九州の叔母が実家に「電話をしたけど誰も出ない、どこに行ったんだろう?」って
私に電話があった。
「○○(叔父)が死にかけてたんだよ」と…
兄に入院していることは言わないでって、言われていた。
でも叔父が入院した事を聞いたら黙っているわけにもいかず簡単に話しておいた。

「入院中には来ないで、退院したら連絡するからそれまで待って」…と言って。
叔母にしてみれば、我が姉と弟がそんな状態だと言う事を知って気がきではなかったと思う。
気持ちは重々承知しながら何も言ってあげなかったことに、
心の中で「ごめんなさい」を言った。

叔母も母の退院を待って、昨日午前中着の新幹線で来た。
私も10時過ぎ家を出て、その時刻に合わせて実家へ~
14時過ぎまで皆で語り合った。
その間に息子からも電話があり「お祖母ちゃん居る?」と…
暫く話していたけど兄の子と勘違いしたのか

息子「お祖母ちゃん、ますますボケたな~」
叔母は「もうこんなことで帰って来ないよ。結婚式とか良い事でしか…」
田舎は若い子は居ず身内も歳とった者ばかりなんだけど~
母に少しでも長く元気で居て貰いたい思いで。
7人居た兄弟が今は3人…そのうち2人が病んでいる。
叔母にしたら心細いだろう。
子供の頃から世話になっている叔母には元気で居て頂かなくては…

母の入院中のこと

2013-12-17 17:20:24 | 日記
入院した一日目は兄が一人泊まり込み、9時半頃交代。
続けて兄が二日目も泊まると言うのを
「いつまで掛かるか判らないから無理しない方が良い。健康体じゃないから~」
と処置をした日は私が泊まる。
この日は気が付いた時は拘束、一番手におえなかった日。

その後…
兄夫婦 8時半頃から16時ごろまで病院 
    帰宅して夕食や諸々を済ませ再び18時半ごろ病院へ
    その晩は泊り
私たち 夕食の準備をして16時前に病院へ行って19時頃帰宅。
    それから夕食、入浴。
    次の日、お弁当を持って、8時半頃病院へ行って16時頃まで。
    帰宅して食事など済ませて18時半頃再び病院へ
    そして泊り、8時半頃兄夫婦と交替。
それを一日交替で繰り返した。
泊まらない日は9時頃から15時半ごろまでは自宅でいろいろできた。

夫や義姉も「自分もローテーションに入れても良いよ」と言ってくれたけど
夫一人、義姉一人じゃ手におえない。
母の感情を抑えるには二人には無理。

3回目の私が泊まった日から「泊まらなくても良いよ」と言ったけど夫も付いて来た。
簡易ベッドは一つしかないのに…
ベッドがあったとしても眠れなかったけど。
次の日から義姉も兄と泊り込んだ。
二人居る事で1~2時間でも眠ることができた。
終わりの方では夜中0時近くまで居て帰ったけど
夫が協力してくれたことで、とても助かった。

チューブに手が行かないように目が離せないので誰かが病室に居ないといけなかった。
拘束はしていても体を捻って手が届きそうになる。
部屋にあっても母が行きたくても行けないトイレなので、
私たちも病室のトイレは使わず共同のトイレに行くことにした。

脚がおぼつかないので、最後の最後まで付き添わないといけなかったけれど
退院する時は笑顔でできて良かった。

昨日は、兄が一日がかりの大腸内視鏡検査。
付き添いで義姉も行くと言う事で7時半から16時までお守。
何度「大腸の検査だよ」と言っても
「目が見えなくなったらどうしよう。もっと早く気付いて遣れば良かったのに…」と泣く。
緑内障も患っている兄の事を心配している。
病院違いなのに…

それ以外は、前日「お墓まで行く」と出かけたけど半分くらいで断念。
200mくらいだけどまだ無理だったみたい。
「歩き過ぎて足が痛い」
で、一日大人しく炬燵で過ごした。

行動が入院前より鈍くなり、痴呆も少し進み…
それでも一人でトイレには立って行ってる。
間に合わないことも多々あるけど。

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昨晩から降り出した雨が一日続いた。
遅れていた子宮がん検診といつもの病院へハシゴ。
火災保険と税金を納めに行って帰宅したら正午の時報。

今年遣り残していることは一先ず終わり、後はお掃除かな~
適当な所で手を打つことにしよう。

母の病気の事②

2013-12-15 23:54:04 | 日記
11月26日、麻酔から覚めた時拘束された状態。
まだ宵の内はうつらうつら…
夜中に理不尽な状況に置かれていることに看護士さんに
「いつまでこうしているんですか!」と怒っていた。
朝の採血を心配していたけど、別の若い看護師さんが明るく
「さあ、ちょっとチクッとするかもしれませんけど…」と話しかけながら遣るとスムーズに終わった。

がん細胞で胆管が詰り胆汁が流れない状態を改善するためにステントを入れ胆管を広げ
口から入れたチューブを通して汚れた胆汁を排泄するよう薬液を入れて洗う事を繰り返した。

12月に入り、1週間ほどしてからチューブは付けたままだったけど、
目を離さないと自分に言い聞かせ私が居る間の日中は拘束を解いた。
次第に一方向ばかりではあちこち痛くなり始めていたし思い出したように
「どうして私がこんな目に合わないといけないの。そんなに悪いことしたの。」と喚きだす。
「悪いのは○○たち…」と他の人を罵る。
「悪い事をしたから病気になったんじゃないよ。」と言っても受け付けない。
元々オムツはしていなかったので慣れない排尿・排便に自由にならない苛立ちで狂う。
「今は動けないから我慢してオムツにしてね。」と言っても
「どうしてこんな所でしないといけないの。」の繰り返し。
「もう何も食べない。何も飲まない。」
「ベッドから落ちて骨折でもしたら、今よりもっと長く何ヶ月も入院する羽目になるよ。」
それをおしっこをしたくなるたびに繰り返す。
トイレ・バス付きの個室だったけど看護士さんに
「便だけでもトイレでさせてあげてください。」
と申し出て車いすで車いす用トイレに連れて行って頂いた。
「便の時だけだよ。看護師さんも大変なんだからね。」と言うと
「本当に大変だね~」と素直に言う。
やはり痴呆のせいでおしっこをしたくなるとまた同じことの繰り返し…
自分の体が思うようにならず苛立つ。
見ていて切なくなる。

5日、レントゲンを撮り、胆汁が流れていることを確認してチューブが取れた。
この日は兄が一人泊り。
これで眠れる!と思ったけど…ゴソゴソして眠れなかったと。
ベッドから降りてトイレに行こうとする。
「まだ下りて良いって許可が出ないからオムツにしてね。」
降りてはいけないと言っても聞き分けが無い。

6日、夫が「一人で泊まるからイイよ」と言ったけど前日の様子では無理。
私と夫、交代で寝ることにした。
一日でも早く下りれるようにと足の筋肉を鍛えようと
兄と交代で足を上げたり降ろしたりさせるけど2~3回やると止める。
長く寝ていたので足が立たない。
ベッドに寝そべったままで食事を口に運んでいたのを
「腰かけて食べようね。その方が背筋も鍛えられるよ。」
とベッドに腰かけさせ、次は椅子に腰かけさせ…
徐々に起きている時間を長くして。

ベッドから車いすに移るのも支えられて移る状態。
「9日に血液検査とCT検査をして良かったら週末には退院できるでしょう」との事で
このままじゃ帰って来てもどうにもならない。
お風呂にも入れられない。
ケアマネさんに来て頂いてポータブルトイレの手配や
デイサービスだけでなくショートステイを組み込んで頂けるよう頼んだ。

やはり自分で歩けるようになるのが一番。
病院内を許可を頂いて歩く練習。
数回の車いす移動の時、徐々に自分で移れるようになっていたので意外と早く歩けるようになった。
腰が曲がっていないのでそれも関係しているのかも…
これだと今までの生活に戻れそうとポータブルトイレは断った。

9日の内視鏡検査でがん細胞が十二指腸まで広がっていることが判った。
前の検査で
「ステントは網目状になっているのでその中にがん細胞がはみ出してきている。
 次の内視鏡検査の時に今入っているステントの内側にもう一つステントを入れましょう。」
と仰っていたけど、どうなったのかは訊かなかった。

今後、十二指腸のガン細胞で食事が通らなくなり戻すようになる。
胆管がまた詰まるのとどちらが早いかは判らないけど…
26日に血液検査に出かけ、退院後1ヵ月経った頃にCT検査をする。

急激に黄疸が出た時は先月と同じ状態になるだろう。
昨日、退院祝いの席で
「今度入院ってことになったらもう駄目だろうね~」と母。
誰も聴いて聴かぬふり…

母の病気の事①

2013-12-14 23:55:11 | 日記
母が泊りに来た日は11月20日。
その時は扱けた時のコブと痣の酷さでにびっくりした。
既に1週間ほど経っていたので、左半面のほとんどがビックリするほど、どす黒く変色していた。

22日にデイサービスに行ってお風呂に入り、お世話をしてくださった係りの方から実家へ電話があった。
「黄疸が出ているみたいです」と…
うちに来た時は気が付かなかった。
義姉も気が付かなかった。
兄は「顔の内出血ばかり気になっていた。黄疸なんて気が付かなかった。」
うちに来た時もデイサービスでお風呂に入って来たので肌をまじまじと見ることはなかった。

4人とも全く気付かず…
食事が進まず、あまりにも食欲が落ちたな~とは思っていた。
 
25日、「デイサービスに行って帰って来てから病院へ連れて行こうと思っている。」
出かけたら「すぐ病院へ連れて行った方が良いですよ」と
看護師の資格を持っている方から電話があって送り返されてきた。

掛かり付け医の所へ行くと「おかしいな~」とさかんに首を捻って
「うちでは看れません。紹介状を書きますから…」と言われ、
うちと実家のちょうど真ん中くらいにある病院を紹介して頂いた。

掛かり付け医が首を捻ったのも当然なのかも…
僅か10日ほど前に行った血液検査の結果では、ビリルビンもγGTP、ALPも正常で何ら予知することはできなかったのだから~

とにかく出かけた時点で、入院覚悟で兄は準備をして出かけそのまま入院。
その日の血液検査はびっくりするような数値が出ていた。
正常値のビリルビン0.3~1.2が7.2に、γGPTが10~47が769に跳ね上がってた。
CTを撮ったり…途中一人で連れて行かれとても不安だったのだろう。
「息子が詳しいから息子に訊いて」と看護師さんに向かって言って泣いてた。
検査を終えて担当医から説明を聞いて深刻な状態だと…

がん細胞が胆道を塞いで胆汁が十二指腸の方に流れていない。
手術は無理でこのままだと2~3週間くらいしか持たない。
内視鏡検査で処置をして長くて1年~6ヵ月、短くて半年~2,3ヵ月と言われた。
何も施さずにこのままではと、次の日処置をして頂くことにした。
兄がその夜は付きそうことにして三人は帰宅。

26日、内視鏡検査。
時間が掛かってる。
部屋の外で待っている私たちは余りに時間が掛かるので心配になった。
それに大きな声で母に呼びかけている声が聞こえた。
「まさかね。麻酔もしないでカメラを入れてるんじゃないよね。
 そんなことされたら堪らないよね。」
兄と私は気が気でなかった。
兄が「可愛そうなことしたな~」とポツリ。
「もしかしたら麻酔が効いてるから大きな声で言ってるんじゃない?
 私も麻酔されていても知らないうちに歩いてベッドを移動したって言ってたから…」
「そうだね。そうだね。そうでないと…」
1時間以上経て、病棟の看護師さんが部屋に入って行く時「拘束しないと…」
兄が「仕方ないね」
痴呆があるので拘束することに承諾の書類を出していた。

医師の説明では「胆管のつまっている場所に金属の管を入れるステント留置をおこないました。」
ステントを入れて狭くなった胆道を広げる処置をしたので時間が掛かっていたと納得。
内視鏡で胆管から出る胆汁を外に出すチューブを挿入して鼻から出るようにしている。
そのチューブを引き抜いたら大変。
両手をベッドに拘束された母が可哀そうだったけど仕方がない。
兄は心筋梗塞やいろいろ他にも患っているので交代で看ることに…
一晩中目が離せない。
拘束されている事にも苛立っていた。
夜観回ってきた看護師さんに悪態をついてた。

ご機嫌の悪さに
「朝、血液検査なんだけど注射させてくれるかな~」と出て行った。