10/16
千年の古都のタイムトンネル
京の歴史 その570
今日でいったん中締めになりますが・・
◆京の昔 平安京の道路は??
|
京都の町といえば、 整然とした碁盤(ごばん)の目状の街並みであることで知られている。 つまり道路のほとんどは東西南北に直交して、 斜めに走る道は例外的なのです。
これは、平安京の都市区画が今もなお京都の街並みの基本を形づくっていることによる。 たとえば、現在
、 の寺町通は平安京の東京極大路 (ひがしのきょうごくおおじ)、 烏丸通 (からすまどおり)は烏丸小路( からすまるこおじ)、 新町通は町小路、(まちこおじ) 千本通は朱雀大路 (すざくおおじ)、 一条通は一条大路、(いちじょうおおじ) 御池通は三条坊門小路、(さんじょうぼうじょうおおじ) 松原通は五条大路にほぼ該当します。 ただ、 現在の道路と平安京の街路を比べると、その規模はまったく違うようで。 平安京のメイン・ストリート朱雀大路 (すざくおおじ)は幅二八丈(約八四m)の広大さを誇っていたが、 現在の千本通は広いところでも二五m程度、 狭いところではせいぜい六mくらいしかないのです。 逆に、平安京の烏丸小路は幅四丈(約一二m)で、 現在の烏丸通は倍以上に広がっている。 一見すると何気なく見える道の幅にも、 一二〇〇年におよぶ京都の歴史の厚みが現れている。 こんな京も |
京の人はみなさんほぼ一定の価値観を持ち、
互いの観察眼を育てあってきた経緯があります。
美しいと言われる京の街並みが揃っていたのと同様、
そこでの生き方や考え方もほぼ共通して、
そこにはすべてのことは語らなくても、
おおよそは解かり合えるという風土生まれたのです。
それが京の人たちの長所にも短所にもなってきた。
しかし、
現代では人やモノの交流は
かってとは比較にならないほど増大し、
したがって価値観も多様化し、
もはや「 京都人 」とも言っていられなくなって来ました。
また、若い世代の人たちには、
そうしたものが必ずしも受け継がれているとは言えないし。
むしろ、京を訪れる人のほうが、
京のことを知っていたり関心を持っていたりするのも事実。
京都はもはや京の人たちのものだけではなくなった・・・
それもある意味良いのかも??
でも残すべきものは残し、
新モン好きな京都人といえども
ブームとか人気スポット・パワースポットと言った考え方や
言葉自体も良しとしない京都人気質
それが有って今まで京のよさが残ったのかもしれない。
そんな気がするのです。
1300年も続いた都ですからね・・・
奥が深い??
一くくりで理解するのには、京に長く住んでみないとわからない・・
そんなこともあってか、本屋さんに「京都本」の多いこと。
今回はここまで・・
続きは次回に・・
電話かFAXで、メールでお気軽に・・
E-mail Kyoto-ee@gaia.eonet.ne.jp
URL kyoto-estate.com
ここを・ ・・ ポチット・・・・クリックして下さい。
↓ ↓ ↓
只今 at home Web より、より詳しい最新情報が見られます。
オールジャパンで頑張ろう!! 東日本にエールを・・
必ずや立ち上がってくれると・信じてる。
5年10年掛かるかも知れないけれど・
ずっと・ずっと・応援してる・
みんなでがんばろう !! 日本
みんなでがんばろう !! 日本
http://info.shinsai.yahoo.co.jp/311/story/
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます