今日は「敬老の日」
軽老なんてな事にならないように・・
お年寄りを見かけたら・・優しい言葉を掛けましょうね・・
京ことばで、よくお婆ちゃんが「げんぎんな人や」と言う。
目先の利益ばかりを考える。
利害によって態度が露骨に変わる。
という感じで使われている。
江戸時代までは、
京阪地方は銀本位制であったので、
現金を現銀と言った。
明治以降は現金というのが普通となった。
げんなま、通用の貨幣、通貨代用証券による金銭授受の意味が、
利害関係に用いるようになったようだ。
かって銀を重んじた商人の心意気が感じられる言葉である。
そう言えば、
伏見大手筋通りの東端に日本の銀座発祥地・
伏見区銀座町が有ります。
つまり伏見と京は別物・・今は合併して京都市伏見区ですが?
今でも伏見のお年よりは、チョッと京都へ行くと言います。
もう京都市伏見区で此処も京都なのに、???
年寄りには伏見は伏見で・・
京ではないようです。
読書をするのに良い時期になりました・・秋の夜長・・
先日読んだ本にこんな気になる事が載っていたので・・
暇な時にでも、読んでみて下さい。
「父は空 母は大地 」 インディアンからの手紙
「 FATHER SKY.MATHER EARTH 」
ワシントンの大首長へ
そして 未来に生きるすべての兄弟たちへ
1854年アメリカの第14代大統領フランクルピアスは、
インディアンの土地を買収し居留地を与えると申し出た。
1855年インディアンの首長シアトルはこの条約に署名。
これは
シアトル首長が大統領に宛てた手紙である。
はるかな空は 涙をぬぐい きょうは 美しく晴れた。
あしたは 雲が大地を被うだろう。
けれど
わたしの言葉は 星のように変わらない。
ワシントンの大首長が 土地を買いたいと言ってきた。
どうしたら
空が買えるというのだろう?
そして大地を。
私には 解らない。風の匂いや 水の煌きを
貴方は一体 どうやって買おうというのだろう?
すべて この地上に在るものは
私たちにとって 神聖なもの。
松の葉の 一本 一本
岸辺の砂の 一粒 一粒
深い森を満たす霧や
草原に靡く草の葉
葉かげで羽音をたてる 虫の一匹一匹に到るまで
凡ては 私たちの遠い記憶の中で 神聖に輝くもの。
わたしの体に 血が巡るように
木々の中を 樹液が流れている。
わたしは この大地の一部で 大地は わたしの自身なのだ。
香りたつ花は わたしのたちの姉妹。
熊や 鹿や 大鷲は わたしたちの兄弟。
岩山の険しさも
草原の瑞々しさも
仔馬の体の温もりも
すべて
同じ一つの家族のもの。
川を流れる眩しい水は ただの水ではない。
それは 祖父の そのまた祖父たちの血。
小川のせせらぎは 祖母の そのまた祖母たちの声。
湖の水面に揺れる 仄かな影は 私達の遠い思い出を語る。
川は わたしたちの兄弟。 渇きを癒し カヌーを運び
こども達に 惜しげもなく食べ物を与える。
だから 白い人よ
どうか 彼方の兄弟にするように 川に 優しくして欲しい。
空気は 素晴らしいもの。
それは 全ての生き物の命を支え その命に 魂を吹きこむ。
生まれたばかりの私に 初めて息を 与えてくれた風は
死んでゆくわたしの 最後の吐息を 受け容れる風。
だから 白い人よ
どうか この大地と空気を 神聖なままに しておいて欲しい。
草原の花々が甘く染めた 風の香りを 嗅ぐ場所として。
死んで 星星の間を歩く頃になると
白い人は 自分の生まれた土地のことを 忘れてしまう。
けれど わたしたちは 死んだ後でも
この美しい土地のことを 決して忘れはしない。
わたしたちを生んでくれた 母なる大地を。
わたしが立っている この大地は
わたしの祖父や祖母たちの灰からできている。
大地は わたしたちの命によって 豊なのだ。
それなのに 白い人は
母なる大地を 父なる空を
まるで 羊か光るビーズ玉のように 売り買いしようとする。
大地を 貪り尽くし 後には 砂漠しか残さない。
白い人の町の景色は わたしたちの目に痛い。
白い人の町の音は わたしたちの耳に痛い。
水面を駆けぬける 風の音や
雨が洗い清めた 空の匂い
松の香りに染まった 軟らかい闇の方が どんなにか 好いだろう。
夜鷹の 寂しげな鳴き声や 夜の池の辺の カエルのお喋りを
聴く事が出来なかったら・・
人生はいったい どんな意味があるというのだろう.
わたしは わからない
白い人は なぜ
煙を吐いて走る 鉄の馬のほうが バッファローよりも 大切なのか。
わたしたちの 命をつなぐために その命をくれる バッファローよりも。
わたしには 彼方がたの望むものが わからない。
バッファローが 殺しつくされてしまったら
野生の馬が すべて飼いならされてしまったら
いったい どうなってしまうのだろう?
聖なる森の奥深くまで 人間の匂いがたちこめたとき
いったい なにが起こるのだろう?
獣たちが いなかったら 人間は いったい何なんだろう?
獣たちが すべて消えてしまったら 深い魂の寂しさから
人間も死んでしまうだろう。
大地は わたしたちに 属しているのではない。
わたしたちが 大地に属しているのだ。
たおやかな丘の眺めが 電線で汚されるとき
森は どうなるのだろう?
もう ない。
鷲は どこにいるのだろう?
もう いない。
足の速い子馬と 狩に別れを告げるのは どんなにか 辛いことだろう。
それは 命の喜びに満ちた 暮しの終わり。
そして ただ 生きのびるためだけの 戦いがはじまる。
最後の赤き勇者が 荒野とともに消え去り
その記憶を留めるものが 平原のうえを流れる
雲の影だけになったとき 岸辺は 残っているだろうか。
森は 繁っているだろうか。
わたしたちの魂の ひとかけらでも まだ この土地に残っているだろうか。
ひとつだけ 確かなことは
どんな人間も 赤い人も 白い人も
わけることはできない ということ。
わたしたちは結局 おなじひとつの兄弟なのだ。
わたしが 大地の一部であるように
あなたも また この大地の一部なのだ。
大地が わたしたちにとって かけがえがないように
あなたがたにとっても かけがえのないものなのだ。
だから白い人よ。
わたしたちが 子どもたちに 伝えてきたように
あなたの子どもたちにも 伝えてほしい。
大地は わたしたちの母。大地にふりかかることは すべて
わたしたち 大地の息子と娘たちにも ふりかかるのだと。
あらゆるものが つながっている。
わたしたちが この命の織物を織ったのではない。
わたしたちは そのなかの 一本の糸にすぎないのだ。
生まれたばかりの赤ん坊が 母親の胸の鼓動を 慕うように
わたしたちは この大地を慕っている。
もし わたしたちが どうしてもここを立ち去らなければならないのだとしたら
どうか 白い人よ わたしたちが 大切にしたように
この大地を 大切にしてほしい。
美しい大地の思い出を 受けとったときのままの姿で
心に 刻みつけておいてほしい。
そして あなたの子どもの そのまた 子どもたちのために
この大地を守りつづけわたしたちが愛したように 愛してほしい。
いつまでも。どうか いつまでも。 いつまでも。
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