指や臍やたたかっている大暑の日
私の感覚では、八月よりも七月のほうが暑い気がする。特に梅雨明け後の七月下旬頃の暑さは身に堪える。
「大暑」この文字を見るだけで汗が吹き出るようだ。今日は大暑なのだと気が付いた瞬間、もうその日は仕事も買い物も放棄して、家に籠りたくなる。
そんなとにかく暑い日。そう、身体全体が暑さとたたかっているような日。それを表す言葉として、身体のどの部分を持ってくるか。その言葉次第では句が陳腐になりかねない。俳人としてのセンスの見せ所にこの作者は「指」と「臍」を選んだ。うん、このチョイス、賛成です。
俳句の形を整えることも大切だけれども、こういうところに一生懸命になりたいと思う。
大きなお腹を出して暑さを凌いでいた父を思い出した。
5月号よりはじまった
山崎名誉主宰のエッセイ
「思い出の人たち」
今月は三橋敏雄氏でした
今回は響焔での対談の様子も書かれていました
この中で
私が私の俳句の作り方に確信を持ったところがあります
「〈(略)…季語から発想したものじゃなくて、これは秋のほうがいいな、秋ならば季語は何がいいだろうと考えて決めるんですよね。〉まさに俳句イコール詩という考え方である。」
季節を変えてしまうこと
ありますあります
その方が句が良くなったから
俳句は事実から始まり
推敲を経て
詩として創作するものだという考えだからです
またこうも言ってます
「〈あなたはどこで俳句を作りますか〉という問いに対して〈最終的には家に帰って机の上で作ります〉と答えている。つまり吟行に出掛けて現地で作るのではなく、得られた手がかりを基にするにしても、机上で練り上げるという態度は、現代のわれわれにも大いに学ぶべきところがあろう。」
これも大いに賛成です
吟行はタネを見つけに行く行為
句会がある場合はとりあえずその場で作りますが
私はやはり机上で練り上げるタイプなので
この作業が苦手で…
だからいい結果は得られません…
でもいいんです
心の抽斗に沢山タネをしまったので
何かの時にそれがふっと出てきてくれるから
私の吟行のスタンスはそういう感じです
大御所三橋敏雄氏を
勝手に近く感じております💖