カリフォル二アのロサンゼルスから、生活情報とフライフィッシング

こちらに住んで33年、ロサンゼルスの今と、趣味のフライフィッシングを中心に街角で見かけた話題を!

マーティン・ルーサー・キング(Martin Luther King, Jr)

2006年01月14日 | こよみ
1月16日は、キング牧師の栄誉を称え、生誕をお祝いする祝日です。実際の誕生日は1月15日ですが、今は彼の誕生日に近い1月第3週の月曜日になっています。

この日は各地でアフリカ系アメリカ人を中心としたパレードやフェスティバルが華やかに行われます。

彼は公民権運動の指導者でプロテスタントの牧師でしたが、人種偏見を終わらせるための非暴力抵抗運動によって1964年にはノーベル平和賞を受賞しています。

そしてその後1968年4月4日テネシー州メンフィスのモーテルのテラスでで暗殺されました。


アフリカ系アメリカ人公民権運動とは:

1860年代の南北戦争によって黒人奴隷 の「解放」が実現したにもかかわらず20世紀初頭でも、アメリカ南部諸州にはジム・クロウ法 (Jim Crow laws - 通称)と呼ばれる人種分離法が施行され、日常生活のあらゆるところで、黒人と白人は隔離されていて、バス・レストランなどの公共の場所でも人種隔離が実施され、また黒人の投票権も事実上制限されていました。

1955年12月アラバマ州モンゴメリーで発生したローザ・パークス逮捕事件に抗議して、1年にわたるバス・ボイコット運動を展開し、最高裁判所がバス車内における人種分離を違憲とする判決を勝ち取ります。その後各地で黒人の反差別運動が盛んになっていきました。
合衆国市民として法律上平等な地位を獲得することを目的としていたので、公民権運動と呼ばれているのです。



ローザ・パークス逮捕事件:

1955年12月アラバマ州都で公営バスの運転手の命令に背いて白人に席を譲るのを拒み、人種分離法違反のかどでローザ・パークスさんが逮捕された事件です。

当時貧しい黒人にとってバスは必須の交通機関で、利用者の75パーセント以上を占めていた黒人たちがバスを利用せず、黒人の車に同乗したり、どこへ行くにも歩いたりしたため、バス路線を運営するモンゴメリー市は経済的に大きな打撃をこうむったのです。

ローザ・パークス側は市条例違反の判決に対し、バス車内の人種分離の条例が違憲であるとして控訴、1956年に連邦最高裁判所は違憲判決を出し、公共交通機関における人種差別が禁止されました。

その後ローザ・パークスさんは人権擁護運動に身を置き、公民権運動の母 ("Mother of the Modern Day Civil Rights Movement") と呼ばれ、最近の2005年10月24日に亡くなっています。



マーティン・ルーサー・キングとジョン・F・ケネディー:

当時のジョン・F・ケネディ政権は公民権運動には穏健で、南部諸州の人種隔離法を禁止する法案を次々に成立させて行きます。

実は大統領選キャンペーンも最後の追い込みに入った頃、公民権運動家のキング牧師がアトランタで逮捕されるという事件が起こったとき、ニクソンはノー・コメントの姿勢を貫き通したが、ケネディーはキング釈放のために精力的に動きました。

キング牧師のの父親の言葉によれば「私の妻が息子の逮捕に涙を流している時、ケネディーは、その涙を拭ってくれた。このような時にこうした行動をとる事は勇気のいる事だからだ」と言い、この一件でキング牧師のの父親はニクソン支持をひるがえしケネディ支持を表明する事になります。


これにより多くのアフリカ系アメリカ人がケネディー支持に変わり第35代大統領ジョン・F・ケネディーが実現したとも言われているのです。



1963年11月22日にはジョン・F・ケネディー、そしてマーティン・ルーサー・キングは1968年4月4日に暗殺されています。

奇しくもこの二人の演説は、20世紀のアメリカを代表する名演説として今でも有名です

1963年25万人を集めたワシントン大行進の時マーティン・ルーサー・キングの演説 “I Have a Dream”(私には夢がある)は、人種差別の撤廃と各人種の協和という理想を簡潔な文体と分かりやすい言葉で訴え、広く共感を呼んだのです。
歴史を越える言葉の力と特有のリズム感が見事です。

下のサイトでその演説を聞くことが出来ます
「私には夢がある(I have a dream)」

TIME FOR KIDS (こちらのサイトでも全スピーチが聞けます)

そして1960年に就任した第35代大統領ジョン・F・ケネディーは就任演説で、「祖国があなたに何をしてくれるかを尋ねてはなりません、あなたが祖国のために何をできるか考えて欲しい」とアメリカ国民に問いかけたのです。

この演説は、「近年で最も偉大な大統領就任演説」として有名です。


日本ではあまり注目されない祝日ですが、近代アメリカの歴史上大事な事柄が裏にあることをお伝えしたかったのでした。



桃井かおりさん

2006年01月13日 | その他
『メモワーズ・オブ・ア・ゲイシャ』(邦題・さゆり)で置屋の女将役で全米デビューした桃井かおりさんのインタビュー記事が、幾つかのロサンゼルスの日系媒体に出ていたので・・・・・・・・

アメリカで生活している私が同感できたり、胸に届いた言葉を抜粋してみました。



彼女はオーディションを受けて3日後に受かったと言われ、クランクインする2週間前に通訳もマネージャもつけずに、単身でロサンゼルス入りしたそうです
   
『一般オーディションで受かったのは私だけなのよ。自分が俳優としてどのくらいのものなのか、自分で知っていなければ俳優なんてやってられないでしょう』



『日本だと普通の待遇がそこにあるんだけど、ハリウッドでは契約しないとそれがない。人が教えてくれるもんじゃない、自分でぶつからないと分からないということが初めて分かった。寂しさやきつい思いもして大変だったけど苦労した分、自分が成長できたから本当にやってよかった』

『ハリウッドなんて遠い世界のように思ってたけど、実際に仕事をして見ると、いい物はいいんだ、みんな「映画人」なんだと分かった。ハリウッドも日本もあんまり変わらなかったの』

年をとるのは格好が悪いと言った風潮がある日本で・・・・・・・・・彼女は多くの支持を集めているようですが・・・・・

『落ち込む時もあるけれど、落ち込むより戦ってるほうがいい。頂上について夕焼けに出会えなくても、そこで思わぬ体力がついている事の方がすごいでしょう。夢を追いかけている時に力がついてくる事実の方が夢を手に入れたかどうかよりも素敵なことなんじゃないの』

『日本を描いた映画なのに日本の俳優が少ない。もどかしさを感じている南カリフォルニアの日本人のエキストラの人たちから、私が役者としてハリウッドのスタッフに認められていく様子をそばで見てて「誇りに思います」と言ってきてくれた時は嬉しかったわ』

『チャンスをくれた運命に恩返しする為にも60歳くらいまでには英語を習得してロサンゼルスでも生活していけるようになりたい。そして日本人でない役でもハリウッドに出てみたいの』

『外国で暮らすって大変なことよね。こちらで長く住んでいる日本人てすごく強いなーって思うのね、性格が良くないと、異国でなんて助けてもらえないからきっと帰っちゃってるでしょうし。友達を大事にしようとするしね、これって今の日本人にないものだと思うの。過酷な仕事をしてても優しさを華ね備えた人たちがいるのは素晴らしい事、私も人間としてそういった部分を育てていきたい』

実際今までは、桃井かおりさんを素敵な役者さんと思っていたわけではないのですが、53歳にして「新人」としてハリウッドに挑戦した彼女を応援したいと今は思っています。






地震対策

2006年01月08日 | これだけは読んでもらいたい記事
新年早々シリアスな記事で申し訳ありませんが、私の周りで今一番の話題は”地震対策なのです。



アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁(Federal Emergency Management Agency of the United States、略称:FEMA)2001年8月アメリカ国内で予想される大災害について演習をしたそうです。

・ニューヨークへのテロ攻撃
・ニューオーリンズへの強力なハリケーンの襲来
・サンフランシスコでのサンアンドレアス断層を震源とし大地震

4年半の間に不幸なことに2つは現実のものになりました。
残りはカリフォル二アの大地震です。
これは”ザ・ビッグ・ワンと呼ばれる、直下型の巨大地震が想定です。

太平洋プレートと北米プレートが接触するのが、サンアンドレアス断層で南北に走っており、これに並行するように無数の小規模な断層が走っていて、カリフォルニオア州は”地震のメッカ”なのです。

ロサンゼルスの地下を”プエンテヒルズ断層”が走っており、またそのほかにもサンフェルナンドやニューポート・イングルウッド断層などの多くの断層が走っています。
南カリフォルニア地震センターでは、プエンテヒルズ断層が活動し地震が起きた場合(マグニチュード7以上)、最悪死者1万8千人、73万5千世帯が家を失うと予想しています。

また州政府の救援活動を統括する緊急サービス局の予想では・・・・・・・・

今後30年以内に、1994年に起きたノースリッジ地震(マグニチュード6.7)クラス(私も経験しました)が起きる可能性は70%となっています。


しかしマグニチュード8.5以上の”ザ・ビッグ・ワン”は、カリフォル二ア州がまだ経験した事がないものでノースリッジ地震の10倍~15倍と言われています。

関東大震災(1923年)がマグニチュード7.9といわれていますが・・・・・・・
マグニチュード7以上を 大地震
マグニチュード8以上は巨大地震と呼ばれるそうです。


地震は予防できませんので、それに対する備えが大事になります。

行政当局により救援活動が本格化するまでの3日間は自力でサバイバル出来るように準備が必要です。

最低でも食料と水が3日間分(専門家では7日間分を勧める方も)
水は1人1日3.5リッター、水洗トイレ用の水はバスタブに溜めるか、プールの水を使う。

カン切りや調理用の道具と、バーべキューセットと燃料

消火器、携帯ラジオ、懐中電灯と予備電池

実際、在宅中に地震に遭った場合はこれらの殆んどが家にあるものなので、家が火災や崩壊しなければ、何とか集める事が可能なのですが、やはり分かり安く、取り出しやすいように、玄関やガレージの入り口近くにまとめて保管しておく事が必要です。

そして本人を証明したり、書類の申請、再発行の為に、上記のものと一緒に色々な書類のコピーを作っておくのが便利です。

1.家族全員の名前とソーシャル・セキュリティ番号
2.健康保険名、ポリシー番号、アカウント番号、保険会社の電話番号
3.銀行口座の講座番号、ポリシー番号
4.パスポートの番号、グリンカードの番号、滞在ビザのコピー
5.不動産権利書
6.生命保険証書
7.遺書


そして大事な事に:
地震が起きた直後は、電話や携帯電話を皆がいっせいに使うので混線などしてで繋がりづらくなるそうです。
これはハリケーン・カトリーナの際にも確認された事らしいのですが、被災地内での着信がとても難しくなる半面、州外への長距離発信は比較的つながりやすいらしいので、州外の方に中継者になってもらい、安否の最新状況を伝えてもらうのが良いそうです。

我が家は既にNYの方に中継をお願いして、この連絡網を作り上げました。
災害時には近くのお友達でも、安否の連絡はNYを中継する事になっています。

日本からの連絡を考えると、日本語と英語が分かる方がいいように思います。


トップの写真について

車での出勤に1時間も掛かるロサンゼルスでの問題は車で移動中に地震に遭ったら!でした。

そこで皆がたどり着いた結論は、アメリカの赤十字で手に入るバックパックに入った「Emergency Preparedness Kit (Adult, 3-day)」でした。

地震でフリーウエイや一般道が走れなくなったら車を路肩に放棄し、車のトランクからこのバックパックとスニーカーまたは歩きやすいブーツ(大事です!)を取り出し、自宅や集合場所にたどり着こう思っています。

(以下写真拡大できます)

中には・・・・・


フード・バー(カロリーメイトの様な物)、水、ラジオと電池。


手袋、手当ての説明書、カッパ(ポンチョ)
水入れ、笛、マスク(煙などからのどを守る)、緊急用のブランケット
ファースト・キット、ウエット・ティッシュ、懐中電灯と電池



ガム・テープ、Light Sticks (12時間発光する)、ビニールシート。

このバックパックのキットとスニーカーは常に車の中においてあります。


そして:

地震が20秒以上続いた後は津波の可能性がありますので、海抜300m以上の高台か、海岸から3キロ内陸に避難するように云われています。
しかも徒歩で15分以内に避難出来るのが理想とされています(これだと歩くではなく、走らなければなりませんね)。

我が家は海岸から、幸運にも3Kmぐらい離れているので大丈夫そうですけど、海岸近くの方々は常日頃のエキササイズが必要ですね!!!


日本も地震が多い国ですし、関東地方の大地震が予想されている事もありますので、

常々の災害対策に気を配りましょうね!









新年の挨拶

2006年01月05日 | こよみ
新年あけましておめでとうございます!

真に遅ればせながらの挨拶で申し訳ありません。


実は・・・・・昨年最後の記事で皆さんにうがいと手洗い!などといっていた本人が、Flu(インフルエンザ)でダウンしてしまいました。

大掃除を始めた12月30日頃から不調を覚え、激しい腹痛と頭痛で起きていられなくなりました。

31日旦那様がオフィスのお掃除で出かけましたが、夕方やはり不調を訴え帰ってきました。


食欲がない私の為におかゆを作ってくれまして、本人は『年越しそばでも!』と言いながや用意をしていましたが、そのうち急にお腹に激痛を覚え、ダウンしました。

私は何とかおかゆと梅干をを食べながらNHK紅白歌合戦(17時間遅れでロサンゼルスでもテレビで放映されています・・・・・コマーシャル入りで!!)をみましたが、旦那様はソファーで腹痛の為、気もそぞろで横になっていました。


その後、正月の3日間は二人でベットで枕を並べて寝ていたわけでして・・・・・・・

結局初詣も行かずじまいでした。

旦那様は熱が38度ほど出ましたが、大事に至らず、今日から仕事に出かけていきました(個人経営は大変です)。

私も年末出きなかった大掃除の後始末をしています。

そんなわけで、ブログに新年のご挨拶を頂いた方々に、大変失礼を致しました。

私の周りでも、バタバタ倒れています、今年はFluの当たり年といわれていますので皆さんもうがいと手洗いは忘れずに!


皆様にとって2006年が良い年になりますよう、お祈り申し上げます