ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

(政府・企業)、そういえば、三人寄っても..

2006年11月01日 21時59分53秒 | Weblog
最近のこと、
勤務した日本の大手企業では関係者全員が集まって会議を持ち、互いに意見やアイデアを出し合いながら、互いに納得(Agree:同意)することで、全体としての決定として業務を進めるとの状況を見た。
日本の大手企業は久々なのだが、実は違和感は覚えていた。

その前の別な日本企業でも ”なぜに評論者、指揮・命令権者ばかりなのだ?!” と不満だった。

年配者風に云えば、船(ボート)に例えて、全員が船頭で全員がこぎ手なのだ。 あっちへ行ったり、こっちへ来たり、互いに反対方向へと漕ぎ進めていても「暫く様子を見るか..」の 素人集団。 誰一人として 正確な船の進め方を知らない。

嫌われ者ジョージィ風に云うと、
”「素人集団」 が頭を寄せ合って業務を進めているから、内容・結果がボロボロになっている” のだ。 指摘しても(経験値が低いから)理解にも及ばない。

勤務してきた外資系企業で 少数精鋭 と云えば本当のエキスパートが集まる。(力の無い者は会社を去る) それだから自分の担当分はとてもハードな(Hard:厳しい)内容となる。
だが、日本の少数精鋭 は、頭数(あたまかず)が少ない だけの事を云っている気がする。

ずっと以前からの事だが日本での感覚は、
未経験でも 役職や地位(ポジション)に就けば「エキスパート」。 関連の職場に勤務しているから「エキスパート」。 学校で学んだから「エキスパート」 になってしまっているようだ。
加えて云えば 資格 を取ったから 「エキスパート」 と言う事だろうか。

このような感覚は 日本の特有な文化 と思っている。
だが、実(内容)が無いあるいは、実が薄いから日本における 質 は低下の一途と云えるだろう。
よもや、
政治の世界も同じ傾向を歩んではいないだろうな。

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父の教え6(名札をつけろ!)

2006年11月01日 17時36分05秒 | Weblog
[個人史]: 親から子へ 躾(シツケ)

現在では多くの職場で、首から写真付きのID(身分証)を下げて歩いていても当たり前になったが、1970年代末期、自分で作った大きな名札を(自慢気に)つけて歩いて居たときには 「変なヤツ」と見られていた事だろう。

名札着用は、父の言葉に 端を発していた。
[背景] 高校一年の頃 ラジオ番組に出演 し、自校で評判にもなったので 有名?と大きな勘違い を起したのだろう。自分の名前を隠したくなった。

私が名札を外して 登下校 することに気づいた父が 立ちふさがった。
”しっかり見えるように 名札 をつけろ!” これに対して私が反論しても父は聞く訳がない。

「名札を付けろ! 付けないのはお前が後ろめたい事をしている証拠だ。もし悪いことをしていないのなら 正々堂々と名札を付けろ! 」 父はこう云って諭した。

当時は ”しぶしぶ” 付けていたものだが、後年になり 仕事でも成功 するようになるとその意味がよく分かって来た。
正々堂々と仕事を行う ならば、自分の名前を隠す理由がない。

そして1970年代末期に、プラスチック板や金属板に名前等を掘るサービスがあるのを見つけて、早速個人用にデカデカと大きく名前を掘った名札を(何回も)作り、どこに行くにも付けて歩いた。
「私は不正な事(悪い事)はしない」との意思表示だった。

だが事務用のプレートでしかも大きな名札を作ると重い。その上(注目する人たちもいないし)自己満足でしかない事にも気づきおよそ一年くらいで止めた。
だが、
この時の影響が 1984~5年頃に思いついた 『 個人の名刺 』 づくりにつながっていくのである。

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父の教え5(天にツバ)

2006年11月01日 16時28分51秒 | Weblog
[個人史]: 親から子へ 躾(シツケ)
(年末が近いし、個人の記録を頑張る)

父の教えと言っても、特に父が立派だと思って居るわけではない。どこにでもいる 子煩悩な一介の親父だ。
ただ国鉄マンという職業柄、私にとっても有意義な考え方を教え(しつけ)ていた。

私の 幼年時代、日本の社会自体がそうだったが、ことわざ が活きていた。

私が いたずらしたり、けんかをしたり、あるいは何か不正な事をしたことを教える時には 「 天にツバを吐く行い 」 という言葉をよく使った。
自分が何かすると、その報い(結果)は自分が受けなければならないという事を教えたかったようだ。この言葉は 親元から離れる 高校2年の末ごろまで続いた。

同様に、母からは 「悪い事をすると おてんとうさま が見てるよ」とか、空を指差しながら 「かみさまが見てるよ」などを頻発していた。

まぁ、当時の写真をみても 決して素直そうな子には見えないが、自分の記憶には 悪ガキ だったなどとは当人の記憶に残るはずがない。
”気の弱いおとなしい(良い)子だった” と自分自身を回想するが、それを証明する写真が出てこない。出てくるのはなぜかいたずらっ子を連想させる写真ばかりだ。

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(教育再生会議)、胸がつまる自殺高校長の遺書

2006年11月01日 14時11分58秒 | 格差社会と政治
安倍政権のもと『教育再生会議』 が始動した2006年10月のこと、

17日には、
『教育再生会議』が18日から始動するとの報道と共に、
「ゆとり教育の推進役」などと言われた寺脇研・大臣官房広報調整官(54)も文部科学省を今月中にも勇退する(毎日新聞)。
との、発表があった。

さらに下旬にはいると、降って湧いたかのように、大学受験には重みを持たない必修科目についての『未履修』問題が表面化した。

同時期発生した いじめ自殺問題 と合わせ、内閣主導の教育再生会議を 推すかのような騒ぎになってきた。

そして10月末にはとうとう、『未履修』の当事校のひとつである 茨城県立佐竹高校の 校長が、自校受験生たちの不利にならないようにと関係機関の配慮を求め、遺書を残し 命を絶った。
参考画像:
「生徒に不利益ないよう」と校長の遺書 (31日、県教委提供)(時事通信社)20時09分更新

テレビ報道で聞いたときもそうであったが、校長の記した 遺書 には何度見ても胸が詰まる。
裁定機関に対する願いと、補習が必要となる 受験生らに対する願い(思い)。 一命を添えてとの文言で締めくくっている。

だが、政府や与党(自民・公明)にとっては 全く重みを持たないようである。
文科省も政府・与党も 関係者の死には触れることなく、淡々と受験生や その父母らの 歓心 を得る方向で収束しそうだ。

高久校長の死は 政治に翻弄された 公務災害 であることには誰にも異論は無いだろう。ご冥福を祈る。

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<自殺>鹿児島の中学女性教諭、歓迎されざる結果だが

2006年11月01日 10時58分24秒 | 格差社会と政治
<自殺>上司からのパワハラ訴え 鹿児島の中学女性教諭 (毎日新聞) - 10月31日20時20分更新

『改革』を進める政府から ”いざなぎ景気を超える好景気” と発表される中、なんと暗い日本の世相なのか。

生徒達の いのち を守るべき立場の教師自らが 死 を選んでしまった。
パワーハラスメントの詳細な内容は報じられてはいないが、専門教科の音楽に加え 国語と家庭科 も任されたというなら、教員不足 からの理由では無いのだろうか?

日本が真の好景気ならば 教員を増やせばそれで済んだ話であろうが、財政的に苦しい事は時勢柄予測もできる。

記事 には 「指導力不足教員」 とされ県教育センターにおいて研修中(当月10月から)であったとのこと。
これはかなり 本人のプライド(個人の誇り)を傷つけた事だろう。
自分の専門外の教科を託されて、結果、マイナス評価を受けたとしたなら 誰でもたまったものではない。

正当な評価を望む現場や担当者に 明確な指針・基準 を示せない日本の国文化(他国の”失敗版”政策のモノマネ)と 世代が替わるにつれて深くなる国家主導の強権文化。

はじめから 納得 出来ていなければ充分 ハラスメント(嫌がらせ)にもなる。
これは決して、教育の現場だけではない。

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