ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

団塊世代。再考査メモ(4) - バブル期前夜

2006年11月15日 17時51分48秒 | ベビーブーマー
< 家庭と職場環境の変化 >
家庭での 夕ご飯は家族一緒が定番だった日本社会 に起こった 「住宅取得ブーム」 の陰で、職場の労働環境にも変化が起こっていった。

1960年代の高度成長期と、その余波を受けた1970年代初頭にも ”モーレツ社員”は一部の職場にはいたが、日本全体からみると まだまだ少数派であった。

1970年代半ばにもなると徐々に 『持ち家願望』 は、マンションより割高な 戸建て住宅を求め、高額な住宅ローンを抱えるようになって行った。 同様に 持ち家取得願望はさらに低い所得層ににも浸透して行き、その結果、女房殿たちは 「残業して稼いで来い」 とその夫の尻を叩き出したのである。(残業収入を考慮したローンが組まれていった)

つまり団塊の夫たちに 『生活残業』 が発生し始めたのだ。※しかしそれでも好景気だから、会社も残業を許していた。●もちろんサービス残業などあり得ない。

会社での残業は徐々に固定化して行き、多くの職場では 就業時間が過ぎても 明りが灯るオフィスが増えて行った。
同時に、多くの家庭の中には 夜遅くなっても父(夫)の姿のない 母子家庭もどき が進んでいったのである。

(続)

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10/30 団塊世代。再考査メモ(2).- 再教育の影響か
10/26 団塊世代。再考査メモ(1).- 出生構造

10/12 嫌われ者ジョージィ、良職場との出会い(前編:嗚呼!流転)

<教育基本法採決> 与党は強硬姿勢、野党は抵抗

2006年11月15日 12時26分00秒 | 格差社会と政治
教基法採決めぐり対立続く=与党、きょう中の構え崩さず (時事通信) - 11月15日11時0分更新

強大な保有議席数によりあらゆる法案を決議可能な 与党(自民・公明)は、
次期内閣での 論功行賞 獲得 ならびに 教育関連業財界への既得権分配 のためにも、行う必要のない 教育法改正 を強行しようとしている。

与党が「審議は尽くした」と言っても、異論があっても 修正 すらする気はないだろう。
やらせタウンミーティングではなく、解散して 民意 を問うなら 選挙費用は惜しまない。

[中学校で] 坊主の息子が 担任になったら..

2006年11月15日 11時26分58秒 | Weblog
「稚心を去れ!」 中学校の入学式が終わり、教室へ戻ると転勤してきたばかりの担任教師はそう言って、黒板に大きく書き出した。

いなかの小中一緒の学校 である。小学校では子供が少なく2学年で一クラスだ。
細身で優しかった小学校の担任は私の卒業に合わせ転勤していき、新たに転任してきた大柄の教師が中学校3年間の担任教師となったのだ。

自己紹介で 「自分は大きな寺の住職の息子として育った。いたずらの罰として 広いお堂でたった一人で寝かされたときは怖かったゾ!」などと冗談を交えて話した。私たちは話を聞きながら想像するだけでも怖かった。

その 坊主の息子の担任教師が 「 稚心を去れ! 」と板書したのである。
『稚心』 すなわち、「中学生にもなって いつまでも子供のままであっては成らない 大人になれ」 と、説教(教えを説く)されたのだ。
ありがたい法話(?)は続く、
「ひとはいつ死ぬか判らない。そのときに悔いを残さないよう 一日一日を精一杯頑張れ」
と、のたまった。( おまけに 人の上に立つ者のこころ構え まで身体で覚えさせられた )

以来、「いつ死んでも良いように..」と日々努力してきたら こんな人生になった。
(私は嫌われ者だから)なんども 「生きていられると思うなよ!」と脅されても、「準備は 中学生の時からできてる」 と考えると大して怖くもない。 刃物を向けられたり しても平気で、未だに しぶとく生きてきる。

教師が自分の主義主張を身をもって生徒に示す事には 違和感 は無い。
だが、強制的に国家主義を植え込まれる事だけは 拒否 する。

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「プ!はぁーー!」 元気者に大ヘンシ~ン

2006年11月15日 01時54分33秒 | Weblog
(この Blogは 個人史 なのに、社会記事が多すぎる 反省 ..)

地方で頼まれた業務を手伝っていた時のとある土曜日、 所属企業の担当者が妻と子供を連れての行楽の帰りに家(事務所)に立ち寄った。
実は 奥さんには内緒で示し合わせていたのだった。

東京出身の若い家族にとって、遠く地方(いなか)への転勤は ものすごい環境の変化。 子供はまだ小さいのに一緒に子供を見てくれる人とていない。
夫(担当者)は、最近妻が ふさぎがち だと心配していたのである。

挨拶してから お母さんが抱きかかえていた 坊や に「おいで」 とばかりに手を伸ばした。 だが、結局子どもは身を引いたのでお母さんから奪い取った。
お母さんは 「ぁ、ウチのおじいちゃんくらいしかなつかないんですよ!」と心配して云う。
確かに 坊やは 泣く一歩手前の表情で私を見つめている。

子供に泣かれそうだと 急いで 坊やを抱きしめた。 すると子供は そのまま私の肩口に強く顔を押しつけて 泣くのを我慢 しているかの様に見える。 母親も心配そうにのぞき込んでいる。

10秒ほどしたときだった。
「ぷっはぁ~」 と大きく息を吐きながら顔を上げ 嬉しそうに笑いながら 大きく深呼吸を繰り返している。
なんだ?ずっと息を止めていたのかい?

それから後は 床に降ろして座らせても嬉しそうにはしゃぎ、最初は怖々(こわごわ)していたが テーブルにつかまり立ちさせると今度は嬉しそうに飛び跳ねる仕草を始めた。
テーブルの上にあるもの何でもに興味が湧いたらしく片っ端から手にとってお母さんに見せている。

そんな子供の様子を見ながら ふさいでいたお母さんの表情は 一気に明るくなった。
お母さんは 普段の自分の子が、何をしても反応せず とても心配だったのだ。

子供が変わる事で お母さんが変わる。 子供とお母さんが変わると お父さんも嬉しくなる。 そんな家族を 小さな子供 との出会いのおかげでたくさん目にする事ができた。

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<靖国神社> 亡霊に頼る日本の将来(私見)

2006年11月15日 00時06分55秒 | 格差社会と政治
<靖国神社>新総代に辞令交付 分祀論拒否の人事か (毎日新聞) - 11月14日18時16分更新

戦争とは相当に甘美な果実をもたらすらしい。いまだに 死にたる者 の力を誇示し続けている。

無理矢理徴兵され 逃げたら戸籍に「非国民」と記載すると脅されて みすみす命を落とした 民間人 を弔うのは当然としても、日本を戦争へと導き、死ぬまで戦え!と脅し、国内では 全員玉砕 と報じてもまだ 祖国日本から見捨てられた事も知らずに 硫黄島 で戦い続けさせ 無駄に命を落とさせた 軍部・軍人らまでを 敬い奉れ という日本。

神を恐れることもなく、過去を空しく引きずりながら、亡霊に頼り続ける国のリーダーたちが率いる日本の将来は混沌としたままである。

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