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「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

DVD「アフガンに命の水を」ペシャワール会を観る

2009-08-31 | 本・番組・映画など
9月20日、大阪で「冬の兵士」イラク・アフガン帰還兵の証言集会がもたれることになった。アフガニスタンってどんな国で、今どうなっているんやろ?そんな思いで、中村哲医師・ペシャワール会の活動を映像化したDVDを観た。ツイ、2度3度と観てしまった。そして、アフガンの人々は今、最も困難な状況に置かれており、水と食糧と平和が何より切実なものになっていることを知った。DVDを紹介し、感想を書いてみんなにも知ってもらいたいと思った。

―「アフガンに命の水を」ペシャワール会26年目の闘い―

気温50度になる暑さの中、この地の男達と共に井戸を掘るのは日本人医師、中村哲。アフガン東部の山岳地帯に診療所を造り、20年医療活動を続けてきた。病を治す医師がなぜ井戸を掘るのか。
2000年夏、アフガンはかって経験したことのない大干ばつに苦しめられていた。東部ニングラハル州=随一の穀倉地帯を旱魃が襲った。多くの農民が村を捨て難民となった。診療所のまわりが砂漠化し、次々と子供達が餓えと栄養失調で倒れたり、病気になってやってくる。薬では治らない、地獄と言う感じだったと、中村医師は言う。
そして、旱魃との闘いが始まった。井戸堀りには600人の村人が参加。資金は寄付金。日本から若者達も参加。掘り始めて40日、くみ上げた水が乾いた大地を潤していく。1年で600の井戸を掘った。村にひとときの平穏がもたらされた。
2001年10月、アフガンに新たな悲劇が始まった。
アメリカは、9・11以降、”テロの首謀者・オサマビンをタリバン政権がかくまった”として、激しい空爆を始めた。旱魃、空爆、そして飢餓が人々を襲った。
中村医師は帰国し、寄付金を集め、陸路パキスタンから食糧を送ることを決め実行する。空爆の中、志願した住民の命がけの活動だ。当時の思いを中村医師は語る。
「アフガニスタン、水をえて喜び合う村人、瀕死の小国に世界中の超大国が束になり、何を守ろうとするのか」
2002年1月、中村医師は再びアフガンをおとずれる。アメリカ・北部同盟によりタリバン政権は崩壊。田畑はさらに荒廃していた。井戸だけでは足りない。
クナール河・旱魃の間も氷河の雪解け水を豊富にたたえた河の水で乾いた大地を潤すという壮大な挑戦を始めた。農業の再生・「緑の大地計画」は24Kの水路をつくり、クナール河の水で3000ヘクタールの田畑を潤すというもの。
2003年3月、用水路の計画は動き出した。石と土を使って、手作業で伝統的な治水工事が住民主体で行われる。水路建設には延べ60万人が参加。完成まで、農業にかわる雇用を生み出した。農業試験場では作物の研究・実験が村人と共にくりかえされ、成果をあげた。
2004年2月、用水路は取水口の山場をむかえる。度重なる難題を超え、3月、全工程24kのうち最初の2kが完成、通水の日を迎える。流れる水を追っかける住民、中村医師、工事の先頭に立った日本の若者達の笑顔、笑顔、笑顔。
しかし、この頃、治安は悪化の一途。中村医師は言う。米軍の進駐以後、混乱が増えている。2つの診療所も閉鎖に追い込まれた。
2008年、用水路建設は6年目を迎える。完成まであと4kにせまる。最終目的地をガンベリ砂漠(幅5k・長さ20k)におき、200ヘクタールの大地を潤そうとしている。
しかし、建設現場の周辺では米軍の「テロ掃討作戦」、空爆がつづき、外国人への敵意が高まる中、日本人を撤退させなければ、という決断を迫られていた。
首都、カブールにはパキスタンを追われた難民が仕事も居場所もなくあふれ出していた。物乞いをする子供が目立つようになっていた。孤児となった多くの子供達のため中村医師はマドラサの建設にとりくむ。
2008年8月、5年近く村人と共に農業の改良に取り組んだ伊藤和也さんが、武装Gによって殺害された。
2009年5月、日本人としてただひとり、用水路建設の指揮をとる中村医師。
米軍とタリバンの戦闘ははげしさを増し、市民の犠牲も増え続けている。住民が中村医師の護衛を申し出て、難工事はつづけられた。用水路の建設はガンベリ砂漠まで到達した。住民は新しい村を思いえがいている。
一部地域とはいえ、灌漑された大地に広がる緑の田畑、人々の平和な暮らし。
しかし、今も戦乱の止まないアフガニスタン。


これを観て感じたことは、アフガンからの米軍・NATO軍の撤退を要求すること、日本の加担、派兵の動きに反対することの重要性です。アフガンには、水と食糧と平和が急務だということです。”水と食料があれば平和に暮せるよ”という村人の声が耳に残ります。
                        アーさん


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1 コメント

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Unknown (ほいみィ)
2009-09-12 21:23:03
「水と食糧があれば平和に暮らせる」
とてもささやかな願いに、応えられないもどかしさを感じました。
アフガンへの支援に軍隊は不要だと強く思いました。
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