“日本国憲法は集団的自衛権行使を禁じている。この解釈は9条の骨肉と化している。”--きわめて明確な形で、元最高裁長官として初めて「集団的自衛権は違憲」と訴えた。
9月1日、元最高裁長官であった山口繁氏(82歳)が朝日新聞のインタビューに答えた。山口氏は「集団的自衛権の行使を認める立法は違憲」と明言した。同様のインタビューが3日共同通信によって行われ、各メディアにも配信された。
最高裁の元トップが安保法案を「違憲」とする見解を示したのは初めてだ。憲法学者や弁護士、大学人、文化人、また 従来の政府解釈を擁護する立場から元内閣法制局長官らの違憲声明が相次ぐ中、国家権力に近い最高裁長官が憲法判断を明らかにすることはきわめて難しいのではないかと言われていた。そこについに風穴を開けた。
注目したいのは山口氏の言葉の明確さと厳しさだ。
冒頭に挙げたように、
「憲法9条についての従来の政府解釈は単なる解釈ではなく、規範へと昇格している」「9条の骨肉と化している」。「憲法解釈」を軽く扱い、時の政権が勝手に変えられるかのように言う安倍政権の姿勢を厳しく批判している。
憲法解釈は「慣習法」「規範」となっている。それに背けば厳しい制裁を受ける掟のようなもの、人々の骨肉となって定着していると。
政府が砂川判決と72年政府見解を合憲論の根拠としていることについては、「何を言っているのか分からない」と一刀両断に切り捨てている。「憲法上許されない」と「許される」が成り立つなら憲法解釈とは言えないと。山口氏はさらに、米軍防衛を自衛隊に義務化するという点で、日米安保条約をも勝手に逸脱するものだと批判する。
これまで、元最高裁長官の違憲発言が出てこないことをいいことに、安倍政権は「憲法の番人は最高裁であり憲法学者ではない」などと言ってきたが、元最高裁長官が違憲発言をするや「長官を経験した方が少数意見を書くこともある」「個々の裁判官でなく最高裁がどういう判断を示してきたか」「現役を引退された一私人の発言」などと、山口氏の発言を貶める発言をし始めた。
だがこのような発言は、安倍政権自らの軽薄さと無知性・無節操をさらけ出すものでしかない。菅官房長官が「合憲と言う憲法学者はたくさんいる」といって3人しか挙げられず、最後には「数の問題ではない」と開き直ったことを思い出させる。もしも憲法解釈で最高裁が違憲だと言ったとしても新しい言い訳を考えて合憲と言い通すのだろう。論理も何もあったものではない。怒りを覚える。こんな憲法無視、法律無視政権はやめてもらうしかない。
山口繁氏の発言は、憲法9条を守り集団的自衛権行使を許してこなかった戦後70年の改憲反対運動、そして若者や学生が立ち上がりリードしている戦争法反対の大運動に大きな勇気と確信を与えるものだ。日本の人々に骨肉化した9条を守り抜こう。憲法無視の政権を許すわけにはいかない。戦争法案を廃案に追い込もう。
※「9条解釈、変更するなら改憲が筋」 元最高裁長官語る(朝日新聞)
http://www.asahi.com/articles/ASH925HCPH92UTFK00X.html
※安保関連法案:元最高裁長官…集団的自衛権容認は憲法違反(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/news/20150904k0000e010141000c.html
以下インタビューの抜粋
安保法案を「違憲」と考える理由について
少なくとも集団的自衛権の行使を認める立法は、違憲と言わねばならない。我が国は集団的自衛権を有しているが行使はせず、専守防衛に徹する。これが憲法9条の解釈です。その解釈に基づき、60余年間、様々な立法や予算編成がなされてきたし、その解釈をとる政権与党が選挙の洗礼を受け、国民の支持を得てきた。この事実は非常に重い。
長年の慣習が人々の行動規範になり、それに反したら制裁を受けるという法的確信を持つようになると、これは慣習法になる。それと同じように、憲法9条についての従来の政府解釈は単なる解釈ではなく、規範へと昇格しているのではないか。9条の骨肉と化している解釈を変えて、集団的自衛権を行使したいのなら、9条を改正するのが筋であり、正攻法でしょう。
安倍晋三首相ら政権側は砂川事件の最高裁判決を根拠に、安保法案は「合憲」と主張
非常におかしな話だ。砂川判決で扱った旧日米安保条約は、武装を解除された日本は固有の自衛権を行使する有効な手段を持っていない、だから日本は米軍の駐留を希望するという屈辱的な内容です。日本には自衛権を行使する手段がそもそもないのだから、集団的自衛権の行使なんてまったく問題になってない。集団的自衛権を意識して判決が書かれたとは到底考えられない。砂川事件の判決が集団的自衛権の行使をの上で「従来の解釈が国民に支持され、9条の意味内容に含まれる」と意識されてきた。
旧日米安全保障条約を扱った事件だが、そもそも米国は旧条約で日本による集団的自衛権の行使を考えていなかった。
政府は憲法解釈変更には論理的整合性がある
何を言っているのか理解できない。「憲法上許されない」と「許される」。こんなプラスとマイナスが両方成り立てば、憲法解釈とは言えない。
1972年の政府見解で行使できるのは個別的自衛権に限られると言っている。自衛の措置は必要最小限度の範囲に限られる、という72年見解の論理的枠組みを維持しながら、集団的自衛権の行使も許されるとするのは、相矛盾する解釈の両立を認めるものでナンセンスだ。72年見解が誤りだったと位置付けなければ、論理的整合性は取れない。
立憲主義や法治主義の観点
今回のように、これまで駄目だと言っていたものを解釈で変更してしまえば、なし崩しになっていく。立憲主義や法治主義の建前が揺らぎ、憲法や法律によって権力行使を抑制したり、恣意(しい)的な政治から国民を保護したりすることができなくなってしまう。
国会での論戦をどう見るか
なぜ安保条約の改定の話が議論されてないのか疑問だ。今の条約では米国のみが集団的自衛権を行使する義務がある。(法案を成立させるなら)米国が攻撃を受けた場合にも、共同の軍事行動に出るという趣旨の規定を設けないといけない。ただ条約改定となると、基地や日米地位協定なども絡み、大問題になるだろう。
(小川)