原発危機における被曝の強要と沖縄戦における「集団自決」(下)
――国家による死の強制と殉国美談を拒否する――
引き続き、月刊誌『世界』12月号「沖縄の傷という回路」(新城郁夫)の紹介です。
八重山教科書問題も、そういう流れの中でとらえられています。
――いま、沖縄の八重山諸島において、中学校公民教科書採択をめぐって、大きな混乱が生じている。いや、より正確を期すためには、大きな混乱が生じさせられていると、言葉を選び直す必要があるだろう。……八重山の教科書採択問題の背景に、与那国島への陸上自衛隊配備計画や米軍艦船の寄港拠点形成の動きがまざまざと浮き上がってくる現状にあって、八重山諸島ひいては沖縄全体が、国土安全保障と危機管理をめぐるきな臭い覇権政治の結節点となり、東日本大震災と福島原発の危機的状況の陰に隠れながら、沖縄を危機としていく政治的工作が隠蔽されつつ展開されていく。
――この問題には、自民党文部科学部会と「新しい教科書をつくる会」、そして文科省の連携が強く働いている。加えて、この動きには、2010年12月閣議決定された新防衛大綱における沖縄南西諸島周辺における「動的防衛力」展開の軍事的思惑が深く絡んでいることは明白である。
――沖縄において、教科書問題が教科書採択という枠をはるかに越えて歴史認識と軍事覇権をめぐる大きな争点になるのは、沖縄に生きる人間が、みずからの生きている場が戦場となる危機を感じ取り、それを歴史的に反復されてきた政治的社会的危機として感受しえているからこそと思われる。
この脈絡で、歴史教科書での沖縄戦における日本軍の「住民虐殺」記述の削除とその復活を求めた第三次家永教科書裁判、さらに沖縄戦における「集団自決」記述の削除問題と「岩波・大江裁判」のことに触れ、そういう流れの中に八重山の教科書採択を位置づけています。そして冒頭で引用した次の叙述が続きます。
――歴史は繰り返す。それは、ちかい将来に起きうる危機的出来事への警告ではもはやない。すでに、歴史はその悲惨を繰り返している。いま私が感じているのは、沖縄戦における日本軍強制による「集団自決」と震災と原発危機以後の日本で起きている政治的暴力とが、深い連動性を持っているのではないかという恐れである。
――国と東電そして主要メディアが遂行している情報統制の核心は、パレスチナ問題研究家で今度の東日本大震災そして福島第一原発の被災者である早尾貴紀が、沖縄の雑誌『けーし風』71号の特集「放射能汚染時代に向き合う」における鳥山淳(戦後沖縄史研究者)との対談のなかで語っている次のような言葉のなかに、明晰にとらえられている。早尾氏は述べている。「逃げるのを許さないということが国の方針の基本である」。
――「集団自決」的な構図と震災・原発危機の構図が連動性を持つのではないかという私の恐れは、たとえば産経新聞の記事「福島第1 作業員は今 放射能と対峙 みずから突入」のなかの次のような言葉によって確信に近づく。
東京電力福島第1原発の安定化を目指す作業員の闘いは7ヶ月目に突入した。いまだに高い放射線量を放つがれきに突入する「特攻隊」、逃げ出す作業員を統率する監督。……家族と離れ、全国から集まった数千人の男たちは日本の安全を自らの肩に背負って、今日も現場に向かう。(荒船清太、2011年9月20日付)
(※ 産経新聞(9月20日)「福島第1、作業員たちは今 放射線と対峙、自ら突入…2000人の闘い」http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110920/dst11092008420002-n1.htm)
――特攻隊の突入という比喩において語られる作業員の仕事は、「自ら」の選択によってなされたものとされ、「日本の安全を自らの肩に背負」う意志でなされた殉国美談として粉飾される。そして「逃げ出す作業員」は「監督」によって「統率」されてしまう。この短い記事のなかに軍隊用語が多く動員されていることは、偶然ではない。これはまさに「集団自決」をナショナル・ヒストリーに取り込む手法と同じである。
そして、「いまこの国で起きていること」は、「国による殺害を国への殉死という物語のなかに置き換えること」だということが指摘され、沖縄の反基地運動と反原発運動との共闘の重要性が強調されています。
――そして、まさにこの死の強制に対する留保なき拒否においてこそ、沖縄の反基地の運動と反原発の運動とが新たに交差して共闘を可能とするように思えるのである。
――くり返し述べれば、本質的な争点は、国家による死の強制を拒否していく生存権であり、……。基地問題にしても原発問題にしても、それらは、各地域特有の問題であるのではない。それをあたかも地域特有の問題にあるかのように分離させて国内に配置し、基地と原発への抵抗を分断してきた力が存在するということが再認識される必要があるだろう。
――死に向けて人々を束ね、逃れることを許さず、殺されていった人々を国家再編の資源として美談化して利用するという、沖縄戦で沖縄住民にむけてなされた行為は、基地を押しつけられている今の沖縄だけでなく、この国のいたるところで反復されている。
この論説で示された重要な観点や指摘は、今後ますます重要性を増していくにちがいないと思います。反原発運動と沖縄基地問題を結びつけ、他のあらゆる大衆的な運動とも結びつけていく観点が、今ほど重要なときはないと思います。
(ヒデ)
―――― - ―――― - ―――― - ――――
※「八重山地区中学校社会科公民教科書の採択について(要請)」オンライン署名サイト
http://www.shomei.tv/project-1871.html