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「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

原発危機における被曝の強要と沖縄戦における「集団自決」(上)

2011-11-15 | 原発と沖縄

原発危機における被曝の強要と沖縄戦における「集団自決」(上)
――国家による死の強制と殉国美談を拒否する――


 月刊誌『世界』12月号に興味深い論説が掲載されています。原発危機における被曝の強要と沖縄戦における「集団自決」が、同じ構図を持つものとして酷似しているということを論じているのです。この類似は偶然ではない、「逃げるのを許さないということが国の方針の基本である」という点で共通している、そしてそれが殉国美談にされていくことまでが同じである、と。

 「沖縄の傷という回路」と題した論説で、筆者は新城郁夫琉球大学教授です。

――歴史は繰り返す。それは、ちかい将来に起きうる危機的出来事への警告ではもはやない。すでに、歴史はその悲惨を繰り返している。いま私が感じているのは、沖縄戦における日本軍強制による「集団自決」と震災と原発危機以後の日本で起きている政治的暴力とが、深い連動性を持っているのではないかという恐れである。

――「集団自決」的な構図と震災・原発危機の構図が連動性を持つのではないかという私の恐れは、たとえば産経新聞の記事「福島第1 作業員は今 放射能と対峙 みずから突入」のなかの次のような言葉によって確信に近づく。
 東京電力福島第1原発の安定化を目指す作業員の闘いは7ヶ月目に突入した。いまだに高い放射線量を放つがれきに突入する「特攻隊」、逃げ出す作業員を統率する監督。……家族と離れ、全国から集まった数千人の男たちは日本の安全を自らの肩に背負って、今日も現場に向かう。(荒船清太、2011年9月20日付)


 危機の時代に突入して初めて見えてきたことが数多くあります。それは特に沖縄を通して見ることで、いっそうよく見えてきます。新城氏のこの論説はそれを明瞭に示しているように思います。

 冒頭ではこう述べられています。

――震災と原発危機以後、危機管理と安全をめぐる認識の根底的な変化が、さまざまな局面において生じている。……多くの虚偽が日に日に白日のもとにさらされつつある。…


 だがそれは、極めて重要な意義を持つものではあるが、しかしそこには新たな欺瞞、新たな危険、危機の隠蔽が潜んでいる、そう新城氏は指摘します。

――安全と復興を謳いあげる「がんばれ日本」といった言葉が、日本という危機あるいは日本という国家の危険性そのものを覆い隠していく事態。そうした事態の展開が、沖縄という場から、はっきりと見えてくる。……民主主義をはじめとする政治の基盤を切り崩してきた日本の、その国家暴力の末端に繋ぎとめられてしまっている沖縄に生きる人間にとって、日本という国家そのものが、私たちの生存権を侵犯する政治的暴力として痛感させられるのである。


 そういうことが沖縄から見るとよく見えてくるのは、沖縄が「日本」から排除されているからだということを指摘して、新城氏はその例をいくつも挙げています。
 震災と原発危機の後、「沖縄問題」あるいは普天間問題は、米国の「憂慮」を中心とする記事以外は報道されなくなってきていること。普天間基地の辺野古「移設」について、外務官僚たちが米国側に「甘い態度を見せるべきではない」という内容の助言をしていたという、ウィキリークスによる外交公文の暴露は黙殺されたこと。トモダチ作戦が激賞されていたとき、沖縄で軽自動車に乗っていた19歳の青年が対向車線から進入してきた米軍属の車と正面衝突して死亡した今年1月の事件で、この軍属は第一次裁判権を米側に認める日米地位協定の規定により3月末に不起訴処分となったが、沖縄ではそれが大問題として粘り強い批判が継続されているのに対して、本土ではほとんど知られていないこと、などなど。

――これらの事例が明らかにするのは、日本政府が「がんばれ日本! 世界は日本と共にある」と言挙げする過程において、「世界と共にある」らしい日本の外に、沖縄が締め出されて排出されているということである。トモダチ作戦を讃える各メディアの論調は、事実として、沖縄の反基地・反安保の声を萎縮させる強制力を持っていると言わざるを得ない。

(ヒデ)

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※「八重山地区中学校社会科公民教科書の採択について(要請)」オンライン署名サイト
http://www.shomei.tv/project-1871.html


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2 コメント

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risk management (noga)
2011-11-17 01:18:35
子供の時から思い込みが強いほうで、損ばかりしている。
子供のころは、「日本は必ず勝つ」という軍国主義の神話を教えられ、それを固く信じていた。
この軍国主義は、原爆であえなく崩れ去った。
戦後は、「平和利用の原発は絶対に安全である」という原発主義の神話を教えられ、それを信じていた。
この原発主義の神話は、今回の東日本大震災であえなく崩れ去った。

何せ、我々は、丸暗記と受け売りの学校教育しか受けていないので、もちろん問題を解決する能力は持っていない。
だが、事態を台無しにする力だけは持っている。だから、世の中は難しい。
この無軌道が我が国を迷走させる原因となっていて、自分自身にとって危険なものになっている。

日本人に危機管理はできない。
自分に都合の良いことは思惑通り、悪いことは想定外とする。
縁起でもないことを口に出してはいけない。言霊の効果が恐ろしい。
だから、最悪のシナリオなどというものが他人に知らせられるはずがない。
あとは、他力本願・神頼み。
はらいたまい、清めたまえ。

我が国が核攻撃を受けたらどのような事態が発生するか。
我が国の原発が大事故を起こしたらどうなるか。
疾走する弾丸列車が貨物列車に激突したらどのようになるか。

悪夢は見たくない。いつまでも能天気でいたい。
天下泰平の気分を壊したくない。

自分に都合の良いことだけを考えていたい。
それ以外の内容は、想定外になる。

ただ「間違ってはいけない」とだけ注意を与える。
「人は、誤りを避けられない」とは教えない。
「お互いに注意を喚起し合って、正しい道を歩まなくてはならない」とは、考えていない。

もしも自分にとって都合の悪いことが起こったら、びっくりする以外にない。
そして、「私は、相手を信じていた」と言い訳するしかない。だから、罪がないことになる。

危機管理は大の苦手。
だが、ナウな感じのする犯人捜し・捕り物帳なら大好きである。毎日テレビで見ている。

日本語には時制がないので、未来時制もない。
未来の内容を鮮明に正確に脳裏に描きだすことは難しい。
一億一心のようではあるが、内容がないので建設的なことは起こらない。
お互いに、相手の手を抑えあった形である。すべては安全のためか。不信のためか。

問題を解決する能力はないが、事態を台無しにする力を持っている。
親分の腹芸か、政党の内紛のようなもの。
今回の事件はわが国の国民性を色濃くにじませている。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
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「沖縄の傷という回路」を読みました。 (ルーラー)
2011-11-18 00:23:37
私も月刊誌『世界』の「沖縄の傷という回路」を読みました。その中で、岡本恵徳氏が、中野重治氏の批評「『本土の沖縄化』という言い方の件」に対する見解に感動しました。新城郁夫氏の「沖縄の傷という回路は、国から自律した生の繋がりにむけて、私たちを導き始めている」という見解に共感しました。
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