「家庭教育支援条例」は、この高橋史郎氏の主張とぴったりと符合しています。氏の著書『脳科学から見た日本の伝統的子育て 発達障害は予防、改善できる』(モラロジー研究所)を見れば、まずは、この書名がほぼそのまま条例案の第18条になっていることがわかるでしょう。
この条例案の前文に見られる「伝統的子育て文化」の礼賛、「親心の喪失」への嘆きなどは、この著書の主張そのままです。また、この著書の中で展開されているジェンダー教育に対するあからさまな攻撃は、第12条で述べられている「小学校から高等学校まで」の「家庭科副読本および道徳副読本」の内容に「父性的関わり、母性的関わりの重要性」が入っていることと結びついています。
「すべての保育園、幼稚園で、保護者を対象とした一日保育士体験、一日幼稚園教諭体験の実施の義務化」(第8条)というのもこの著書の中で提案されていることです。これは保育士や幼稚園教諭の仕事の専門性や現場の状況をまったく理解していない暴論としか言いようがありません。もしも入院患者の家族に「一日看護師体験」を義務付ける病院があったらと想像してみてほしいものです。
条文の第22条にある「親守詩(おやもりうた)」というのもこれまで聞いたことのない言葉ですが、これもまた高橋氏が提唱したものです。ジャーナリストの櫻井よしこ氏が自分のブログで彼の業績として絶賛していますが、これは親孝行の言葉を五七五の歌にするというものであり、これを募集して発表する大会までが愛媛県や香川県などでおこなわれています。
「 教育の危機を直視し親守詩(おやもりうた)を広める愛媛県、香川県 」
その中で小学六年生の子どもが作った歌として「父と母 びゅんびゅん回す 愛のムチ」というのが紹介されています。はじめは笑いを取るためのネタかと思いましたが、そうではないみたいです。櫻井氏は本当にこれを「すばらしい家庭」を歌ったものとして賞賛しているようです。
「家庭教育支援条例」はこのような高橋氏の「親学」という特異な主張や活動を親に強要するものです。母子手帳交付時から乳幼児検診、小学校から大学まで、ありとあらゆる場で「親学」を注入しようと待ちかまえています。
実際の所、子育てにおいて不安をまったく感じないという親はいません。自分が100%完璧に愛情をもって子育てをしているという親がいればかえって恐ろしいくらいです。そんな親の不安につけ込んで、ある時は「科学」を名のり、ある時は、あいまいな「日本の伝統的子育て」を持ち出し、「親学」なるものが忍び寄ってくるのです。
条例案の危険性は、「発達障害」を「予防・防止」しなければならないものとして描き、その障害をもつ子どもたちを「あってはならないもの」、社会から排除・撲滅する対象にしていることです。ナチスの優生思想に通じる恐るべき人権迫害思想です。また「虐待、非行、不登校、引きこもり」などの問題を「発達障害」に結びつけて終わりとすれば、その背景にある深刻な問題を覆い隠してしまいます。これらは個別の具体的対応を必要とし、学校や家庭、地域も含めた社会的な取り組みの中で解決されなければなりません。この点でも決して個人の道徳観や親の愛情・しつけの問題に解消されてはならないと思います。
「家庭教育支援」という名のもとに復古的・非科学的・差別的イデオロギーを押しつけようとする動きは、条例案を「白紙撤回」に追い込んだだけでは、完全に消滅したわけではありません。現に超党派の議員たちによって今年の4月に結成された「親学推進議員連盟」がそぞろうごめき出しました。しかし、それを知った人々によってさっそく批判されました。これによってまたしばらくはなりをひそめるかも知れませんが、手を変え品を変えて復活する可能性は大いにあります。その動きを察知し、即刻の批判をおこなうためにアンテナを張り巡らせましょう。そして、このようなデマ宣伝に乗らないために「発達障害」についての見識を深めていきましょう。(鈴)
思考がそっちに行くと、「予防・防止は可能だが倫理的に行うべきでない」という意味になってしまう。