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「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

【報告】7/14 憲法問題連続企画第6回「基本的人権はいかにして獲得されてきたか

2013-07-21 | 催し

 今回のアットカフェは、ちょうど中之島の反ヘイトスピーチデモと日程が重なったために、参加者は比較的少なかったのですが、その分濃密な論議ができたと思います。


 前半は、まずテレビ番組「NEWS ZERO」で櫻井翔が憲法問題を取り上げた映像を見て、日本国憲法の基本的原理――立憲主義(憲法は権力を縛るためにある)、自然権の思想(人間は生まれながらにして人権を持ち、奪うことはできない)、社会契約論(主権は国民に由来する)――が、マグナカルタに端を発し、イギリス革命、アメリカ独立戦争、フランス革命の中で勝ち取られてきたことを、それぞれの文書と日本国憲法を比較しながら確認していきました。

 議論の中では、市民革命で勝ち取られた基本的見地はもちろん重要だが、その後、20世紀になって基本的人権に加わった社会権――教育を受ける権利、労働の権利等――が、現在の状況の中では重要ではないかということが強調されました。 

 後半は、市民革命は一朝一夕に成功したのではなく、人権獲得のための人々の長い歴史があったことを、14世紀のイギリスの宗教改革運動にまでさかのぼって見ていきました。ラテン語で書かれた聖書が特権層だけのものであったのに対し、それを英語、ドイツ語、フランス語に翻訳することで全ての人に開かれたものにしていったことは宗教改革者達の大きな功績でした。権力と結びつくことで腐敗した宗教に対する批判は、社会運動とも結びついていき、神聖ローマ帝国に対する民族運動や、貧しい農民達の生きる権利を求める運動、絶対王政に対する思想良心の闘いなどにつながっていきました。それらの多くは、志なかばで圧殺されていきましたが、どれほど迫害されても、そうした抵抗がやむことはありませんでした。

 日本についても、鎌倉時代に仏教がこれまで差別されてきた人にも広がり、それが戦国時代の一向一揆につながっていったことなどから明治の自由民権運動や宣言までを概観しました。そこから感じたことは、これまでの歴史教育では主に権力者の動向ばかりが教えられ、日本における権利獲得の努力は実際に存在するのに、軽く扱われてきたのではないかということでした。
 明治時代の知識人としては福沢諭吉が有名ですが、彼の「脱亜入欧」は、日本の植民地主義の代表であるとして批判が相次ぎました。福沢諭吉は、日本で初めてアメリカ独立宣言を翻訳して紹介したという功績もあるのですが、誇らしげに独立を宣言する文章を「やむを得ず」などと書くなど、その翻訳の仕方にも問題がありそうです。その一方で、中江兆民は、平等ということを強調し、被差別の人々の立場に立った文章を発表するなど、明治の知識人の中でも福沢諭吉の対極にあるのではないかということが指摘されました。

 最後に、参院選が始まったばかりの福島で起きたプラカード没収事件について紹介と議論がありました。ブログでも述べられているとおり、表現の自由に対する恐ろしいばかりの権力の介入です。
 日本国憲法に掲げられている基本的人権は、市民革命とその後の民主主義運動の中で勝ち取られたものですが、それが今まさに危機に瀕していることを実感しました。人権がいったんは勝ち取られても、すぐにまた取り返されるという歴史を見るにつけ、私たちのひとりひとりが「不断の努力」をもって守り、実質的な力あるものとしていかなければならないと感じられました。(鈴)


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