2010年10月26日、那覇地裁で沖縄靖国訴訟の判決が出ました。靖国神社に祀られている戦死者の遺族がその合祀取り消しを求めていた訴訟でしたが、遺族らの請求は棄却されてしまいました。
靖国神社の合祀取り消しの訴訟は、現在各地でおこなわれています。いずれも靖国神社は合祀を拒否する遺族の強い要望を無視し、合祀をし続けています。
沖縄の場合は特に、沖縄戦で日本軍によって殺された住民が、戦争に協力したという“功績”によって靖国神社に祀られるというとんでもないことがおこなわれてきました。それは死者への侮辱、冒涜であり、住民が日本軍によっても殺された沖縄戦の実相を覆い隠すものです。
靖国神社は傲慢にも「遺族の承諾なしの合祀には問題がない」という主張を一貫して貫いています。遺族が承諾しようが拒否しようが、そんなことは関係なしに、国のため、天皇のために死んだかどうかで合祀するかどうかを決める、それが創建以来の伝統だというわけです。天皇が絶対的な存在であった戦前ならこうした言辞もまかり通っていましたが、現在の憲法の下では許されることではありません。
憲法において信教の自由が保障されていること、そして政教分離が明記されていることの意味は、かつて靖国神社を頂点とする国家神道が国民を戦争へと駆り立てた、そのことを二度と繰り返させないためにおかれた規定です。
しかしながら、判決においては、そうしたことは無視され、ただ単に「法的救済を求めることができる権利が侵されたと認めることはできない」として、原告らの請求は棄却されてしまいました。
靖国神社は、戦前は国家機関であり、軍の組織そのものでしたが、戦後は、「宗教法人」となることによってなんとか解体を免れました。しかし、その実体は、戦後も戦前と同様の国家との緊密な関係が続いていました。第二次世界大戦での戦死者およそ200万人のほとんどが戦後に合祀手続きがおこなわれているのです。これだけ多くの合祀をおこなうには、国家や地方自治体の公務員が大量に動員されることなしには不可能でした。
これだけでもすでに憲法違反ですが、国は「神社には戦没者氏名等の一般的な調査回答をしただけで、合祀は神社の判断だ」と主張しています。しかし、国が提供したのは単に氏名だけでなく、どこでどんな状況で戦死したのかという非常に詳細な情報もあわせて提供しているのです。それが「一般的な調査回答」に当たるのでしょうか?
また、靖国神社は、遺族の承諾なしに合祀をすることが、靖国神社の「信教の自由」の行使だと主張しています。戦後も国家とこれだけ密接に結びついておきながら、形だけは民間団体だということで、国家によって抑圧されてきた人々を守るためにある権利を利用するとは、まことに厚かましい限りです。
第一審では敗訴になりましたが、この訴訟によって、戦争の遂行と戦後の戦争責任の隠蔽に果たしてきた靖国神社の役割がまざまざと浮かび上がってきています。今後もこの訴訟のゆくえに注目していきたいと考えます。(鈴)
靖国神社の合祀取り消しの訴訟は、現在各地でおこなわれています。いずれも靖国神社は合祀を拒否する遺族の強い要望を無視し、合祀をし続けています。
沖縄の場合は特に、沖縄戦で日本軍によって殺された住民が、戦争に協力したという“功績”によって靖国神社に祀られるというとんでもないことがおこなわれてきました。それは死者への侮辱、冒涜であり、住民が日本軍によっても殺された沖縄戦の実相を覆い隠すものです。
靖国神社は傲慢にも「遺族の承諾なしの合祀には問題がない」という主張を一貫して貫いています。遺族が承諾しようが拒否しようが、そんなことは関係なしに、国のため、天皇のために死んだかどうかで合祀するかどうかを決める、それが創建以来の伝統だというわけです。天皇が絶対的な存在であった戦前ならこうした言辞もまかり通っていましたが、現在の憲法の下では許されることではありません。
憲法において信教の自由が保障されていること、そして政教分離が明記されていることの意味は、かつて靖国神社を頂点とする国家神道が国民を戦争へと駆り立てた、そのことを二度と繰り返させないためにおかれた規定です。
しかしながら、判決においては、そうしたことは無視され、ただ単に「法的救済を求めることができる権利が侵されたと認めることはできない」として、原告らの請求は棄却されてしまいました。
靖国神社は、戦前は国家機関であり、軍の組織そのものでしたが、戦後は、「宗教法人」となることによってなんとか解体を免れました。しかし、その実体は、戦後も戦前と同様の国家との緊密な関係が続いていました。第二次世界大戦での戦死者およそ200万人のほとんどが戦後に合祀手続きがおこなわれているのです。これだけ多くの合祀をおこなうには、国家や地方自治体の公務員が大量に動員されることなしには不可能でした。
これだけでもすでに憲法違反ですが、国は「神社には戦没者氏名等の一般的な調査回答をしただけで、合祀は神社の判断だ」と主張しています。しかし、国が提供したのは単に氏名だけでなく、どこでどんな状況で戦死したのかという非常に詳細な情報もあわせて提供しているのです。それが「一般的な調査回答」に当たるのでしょうか?
また、靖国神社は、遺族の承諾なしに合祀をすることが、靖国神社の「信教の自由」の行使だと主張しています。戦後も国家とこれだけ密接に結びついておきながら、形だけは民間団体だということで、国家によって抑圧されてきた人々を守るためにある権利を利用するとは、まことに厚かましい限りです。
第一審では敗訴になりましたが、この訴訟によって、戦争の遂行と戦後の戦争責任の隠蔽に果たしてきた靖国神社の役割がまざまざと浮かび上がってきています。今後もこの訴訟のゆくえに注目していきたいと考えます。(鈴)