涙なくして見られない映画とはこの映画を指すのだろう。
日帝植民地下でも家族で平和に暮らしていたが、いきなり日本兵が家にやってきて15才にならない少女を連れて行く。その被害状況は証言で聴いたそのものだった。そして現在を生きるハルモニが金学順さんの名乗りを上げられたニュースを見ている。その現在と過去を巫女見習いのような少女が繋いでいく。
過去と現在が交差して、今を生きるハルモニと、過去の情景として家族と引き裂かれ、おぞましい被害を受けている少女とが、今を生きる少女が媒介になって、結びつき、今の問題だと訴えかけている。
クィヒャン(귀향)という言葉は、帰郷という意味を持っている言葉だ。被害者たちが故郷に帰りたいと言う思いと、死者の魂という意味合いで「귀鬼」という文字を使い、魂が故郷に帰るという意味合いでこのタイトルになったそうだ。
映画としても、内容が悲惨で見ていられないが、美しい情景と表現で、被害にあわれた被害者たちを癒そうという、素晴らしい映画だ。監督であるチョ・ジョンレ(趙正来)さんがナヌムの家で暮らしておられる日本軍性奴隷被害者であるカン・イルチュル(姜日出)さんの証言をもとにして作られた映画なのだ。2016年韓国で公開し、350万人もの観客動員をみた作品。監督は、2002年ナヌムの家でカン ハルモニの作品を観てショックを受け、映画化を決意した。投資家を得られず、スタッフと俳優たちは才能と寄付によって力を集め、7万3千人の市民たちがクラウドファンディングで制作費を集め、なんと14年の製作期間の後、公開に至った。そういう監督含めてスタッフや出演者のこの問題を解決したいという想いにも共感した。
加害事実をなかったことにしたい歴史修正主義者は被害者の証言の矛盾をついてくる。しかし、この映画で表現されているものの中には日本兵の状況も映し出されてくる。「妹が死んだのは朝鮮のせいだ」と恐ろしげに少女たちの監禁されている部屋に入ってくる兵士や、「妹のようだから、休んでほしい」と優しい態度の兵士などが出てきている。全て鬼のように描かれていないところが、考えさせられた。
日本軍「慰安婦」問題は、事実が歪曲して広まっている。それを正すためには、広くぜひ、いろんな人にも見て欲しい。(さ)