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Lovely London

1996年から2000年まで過ごしたロンドンでの出来事を記録したものです。
2014年のパリとロンドン旅行も記載中

クレタ島(クノッソス宮殿)とサントリーニ島観光(1997/8/28)

1997-08-28 | 旅行
8/28
(木)
クレタ島

サントリーニ島

07:00



11:30

16:30


21:00
敦史は今日もダウン。皓介も歩くのがイヤだといったので、家族を残し一人でクノッソス宮殿を観光。港口でタクシーの運転手と値段の交渉し、US$25で往復。途中また客を拾ったので、US$20に値下げ。迷宮と呼ばれるクノッソス宮殿はタダの石積みの遺跡で所々復元で赤く塗られた柱が妙に印象的だった。
サントリーニ島に向けて出航。Play Roomのイベントで、「船内ガラクタ探し」に参加(我々1組だけだったかも)。毛抜き、臭い靴下、Ice Cubeや長いブロンド髪等を集めて完了。辞書を引いて英語の勉強にもなった。
着後、渡し船により島に渡り、ロバにまたがり数百mの断崖絶壁を昇る。敦史を抱いて登った裕美は落ちないように必死の様子。断崖と白壁と夕日をバックにしたオリンピック号、まさに私が求めていたエーゲ海がそこにあった。
船に戻り屋外のダイニングでサントリーニ島の夜景を見ながらの夕食。(子供が居なければ)とてもロマンチック。アテネに向け出航。
 
 
クレタ島(クノッソス宮殿)観光

1450年の火山による地震で文明崩壊した、ヨーロッパ最古と言われるミコノス文明を生んだギリシャ最大の島。
豊かな自然に加え、古代の歴史を偲ぶ遺跡などが豊富。

港や空港のある観光基地イラクリオに近いミコノス文明の中心クノッソスを一人で観光。

 
Lovely-Europe地図のNO.12 
 
 
サントリーニ島観光

紀元前1450年頃に火山の噴火によって文明が海中に沈んだため、幻の大陸アトランティスの一部とも言われている神秘的な島。
自然の美しさにかけてはエーゲ海の島々の中でも随一。

白一色の街並みを背景にエーゲ海のブルーが美しいリゾートタウン・フィラを散策。

○ロバ奮闘記
「絶壁の上のフィラの街には、つづら折りの坂道をロバで登った。1000Drs。裕美と敦史、僕と皓介とペアで(加奈子はロープウェイで登る添乗員さんにお願いした)。ロバの手綱を案内人が引いてくれるのかと思ったら、あにはからんや、二人を乗せたロバは勝手に階段を歩いて行く。時には小走りで。上に乗っている者の怖さと言ったらただごとではない。片や絶壁のがけの下、片や並行して走っているロバがぶつかって来る。必死に鞍にしがみつく手に汗が滲んでくる。早く着いてくれと思いながら海の景色を見る余裕もない。そうこうする内に終着地点。鞍から降りた道路はロバの糞で一杯だった。」

断崖絶壁の上に広がるフィラの街 所狭しと白壁の家が立ち並ぶ
教会の前は人通りも多い この道の先には海を見渡せるレストランがある
遠くに見えるのがオリンピック号 帰りはロープウェイで楽々

 Lovely-Europe地図のNO.45

 

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ロードス島 (1997/8/27)

1997-08-27 | 旅行
8/27
(水)
ロードス島 09:00




18:00
着後、ツアー参加者全員で歩いて、街を散策。途中、我々は敦史が体調悪くなり脱落。裕美、旧市街で金ネックレスを買う。遺跡復元細工師の絵皿や壺を買おうかどうか迷ったが結局止め。船に戻って昼食を取り、発熱でだるい敦史を部屋で寝かせ、他はタクシーでビーチへ。皓介と一緒にエーゲ海で泳ぐ。水は冷たく、砂は歩くと痛い、トップレスは少しだけ。2時間ほど体を焼いてで船に戻でみると、まだ敦史は寝ていた。
クレタ島へ向けて出航。
 
太陽の島とも呼ばれ、温暖な気候が果実を豊富に実らせるギリシャ東端の島。
世界的なリゾート地。歴史を物語る遺跡めぐりと併せ、海岸や山の中などで自然とふれあいながら海水浴、買い物、食事などゆったりと楽しめる。
シカが港の見張り番 旧市街は城壁に囲まれている
裕美の買い物で待たされる 紺碧のエーゲ海で海水浴!
 
Lovely-Europe地図のNO.44
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クサダシ観光(1997/8/26)

1997-08-26 | 旅行
8/26
(火)
クサダシ

パトモス島

07:00


12:00


21:00
着後、聖母マリア像の家とエフィソス遺跡の観光ツアーに参加。バス乗車の前に、財布を忘れたのに気づきバスと船の間を全速力でランニング
聖母マリア像の家はタダの小さな教会。エフィソス遺跡は建物だけではなく港町全部を発掘・復元しており、その広さと街並みの美しさに感動。でも石畳とベビーカー、説明を聞かない息子2人に閉口。敦史は添乗員でギリシャ滞在22年のキク子さんになつく
パトモス島へ出航。船に乗り遅れた人を見つけデッキで見送った。
パトモス島で自由行動。特におもしろいものなし。渡し船は気持ちいい。
ロードス島へ向け出航。夜、子供と共にマジックショーを見学
 
 
クサダシ観光

聖マリア教会とエフェソス遺跡の観光
聖マリア教会。長いお祈りをしているのかなかなか前に進まない 教会と言うより、洞窟のイメージ
エフェソス遺跡。折れた大理石石柱が歴史を物語っている 大理石の石畳が数キロ渡って伸びている。
 
Lovely-Europe地図のNO.26
 
パトモス島
特におもしろいものなし。
 
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クルーズ船オリンピック号にて&ミコノス島(1997/8/25)

1997-08-25 | 旅行
8/25
(月)
アテネ

ミコノス島

11:00


18:00


21:00
ピレウス港より4泊5日のエーゲ海クルーズへ。部屋はヴィーナスデッキの43号室。出航後すぐに救命道具を着て避難訓練。
午後、息子2人を連れて、甲板のプールへ。なんと塩水、冷たくて敦史はいやがる。
エーゲ海の真珠と呼ばれるミコノス島へテンダーボート(渡し船)で。着後添乗員さんと散策。白壁の家々とペリカンと風車の風景は期待した通りのもの。子供の長袖シャツと銀の置物を購入。ギリシャの地酒のウゾも調達。
トルコのクサダシに向け出航。夜、ギリシャダンスショーを見学。
 
クルーズ船オリンピック号にて

救命胴着をつけて避難訓練 V43キャビン。2段ベッド+コット。太陽に見えるのは窓。
あれ? デジカメによる船内の写真はこれだけとは。
 
 
 
ミコノス島観光

白壁の町並みとヨットの浮かぶ紺碧の海とのコントラストが眩しい魅惑の島。
世界中の芸術家が集まる所でも知られる。

迷路のような路沿いに民芸品をはじめとするブティックやタベルナ、ディスコが並ぶミコノスタウンを散策。

白い壁の家が所狭しと並ぶ 名物?のペリカン。雄太くんが抱きつこうとしてお尻をつっつかれた。
有名な教会? もう風車は回っていません。

Lovely-Europe地図のNO.33

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アテネ観光(1997/8/23~24)

1997-08-23 | 旅行
8/23
(土)
ロンドン発
アテネ着
12:30
18:05
OA260ヒースロー空港より出発
西洋文明発祥の地アテネ
Meridienホテル着後自由行動、食事に出かけたが、皓介はマックを望み一人でホテルに。4人でキダシオン通りのレストランへ。注文をウエイターに任せてしまったのが運のつき、エビがどっさりの料理。値段もビックリ!。満腹だけどぼられて意気消沈してホテルに戻る。
8/24
(日)
アテネ滞在   アテネ市内観光。オリンピック競技場フィロパポスの丘、加奈子を抱いて階段を上ったパルテノン神殿のアクロポリスの丘。神殿の大きさに感動、でも敦史のおしっこのため階段をもう一往復。ギリシャ料理の昼食の後、ポセイドンの神殿で有名なスニオン岬観光。
夜景がとてもきれいなリカベットスの丘に登る。ケーブル駅までは歩きで途中、イタリア料理の夕食。丘の上には白壁の教会とレストランが同居。アベックばっかり。帰りのタクシーでもぼられるところだった。

飛び込みで入ったレストラン。皓介ホテルで留守番
お任せにしたら、エビがどっさり。請求書もどっさり
アテネの競技場を走る加奈子
アクロポリスの丘を眺める
アクロポリス丘で疲れてブーたれる皓介
遠くにスニオン岬。
ポセイドンの神殿で遊ぶ敦史
サングラスで決めているつもりの皓介
イタリアンレストランで。木に鳴いているせみを見ている
考古学博物館にて。息子2人、はしゃぎ過ぎて監視員に注意される。

Lovely-Europe地図のNO.(3)

 

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アテネとエーゲ海クルーズ (1997/8/23~31)

1997-08-23 | 旅行

今年の夏休み旅行の第二弾。古代遺跡の宝庫のアテネと、昔からの憧れであったエーゲ海クルーズの6泊7日の旅に行って来ました。

ツアー参加者は、十数組でそのうち子供連れは我々を含め3組。その1組は2週間ほど前にトーマス機関車を見に行った時に会って女の子と間違えた男の子のいる家族だった。子供は歳がみんな異なっていて、0・1・3・4・5・6・7才の7人。特に皓介を含む5・6・7が男の子なのではしゃぎ回って大変。

添乗員は未だ若いがギリシャは何度も来ている鈴木さん、現地ガイドはギリシャ滞在22年のキク子さん
キク子さんには、観光中孫のように可愛がってもらったし、鈴木さんには、サントリーニ島で我々がロバで登る時に加奈子だけを抱いてロープウェイで登ってもらったりして、とてもいろいろお世話になりました

8/23
(土)
ロンドン発
アテネ着
12:30
18:05
OA260ヒースロー空港より出発
西洋文明発祥の地アテネ
Meridienホテル着後自由行動、食事に出かけたが、皓介はマックを望み一人でホテルに。4人でキダシオン通りのレストランへ。注文をウエイターに任せてしまったのが運のつき、エビがどっさりの料理。値段もビックリ!。満腹だけどぼられて意気消沈してホテルに戻る。
8/24
(日)
アテネ滞在   アテネ市内観光。オリンピック競技場フィロパポスの丘、加奈子を抱いて階段を上ったパルテノン神殿のアクロポリスの丘。神殿の大きさに感動、でも敦史のおしっこのため階段をもう一往復。ギリシャ料理の昼食の後、ポセイドンの神殿で有名なスニオン岬観光。
夜景がとてもきれいなリカベットスの丘に登る。ケーブル駅までは歩きで途中、イタリア料理の夕食。丘の上には白壁の教会とレストランが同居。アベックばっかり。帰りのタクシーでもぼられるところだった。
8/25
(月)
アテネ

ミコノス島

11:00


18:00


21:00
ピレウス港より4泊5日のエーゲ海クルーズへ。部屋はヴィーナスデッキの43号室。出航後すぐに救命道具を着て避難訓練。
午後、息子2人を連れて、甲板のプールへ。なんと塩水、冷たくて敦史はいやがる。
エーゲ海の真珠と呼ばれるミコノス島へテンダーボート(渡し船)で。着後添乗員さんと散策。白壁の家々とペリカンと風車の風景は期待した通りのもの。子供の長袖シャツと銀の置物を購入。ギリシャの地酒のウゾも調達。
トルコのクサダシに向け出航。夜、ギリシャダンスショーを見学。
8/26
(火)
クサダシ

パトモス島

07:00


12:00


21:00
着後、聖母マリア像の家とエフィソス遺跡の観光ツアーに参加。バス乗車の前に、財布を忘れたのに気づきバスと船の間を全速力でランニング
聖母マリア像の家はタダの小さな教会。エフィソス遺跡は建物だけではなく港町全部を発掘・復元しており、その広さと街並みの美しさに感動。でも石畳とベビーカー、説明を聞かない息子2人に閉口。敦史は添乗員でギリシャ滞在22年のキク子さんになつく
パトモス島へ出航。船に乗り遅れた人を見つけデッキで見送った。
パトモス島で自由行動。特におもしろいものなし。渡し船は気持ちいい。
ロードス島へ向け出航。夜、子供と共にマジックショーを見学
8/27
(水)
ロードス島 09:00




18:00
着後、ツアー参加者全員で歩いて、街を散策。途中、我々は敦史が体調悪くなり脱落。裕美、旧市街で金ネックレスを買う。遺跡復元細工師の絵皿や壺を買おうかどうか迷ったが結局止め。船に戻って昼食を取り、発熱でだるい敦史を部屋で寝かせ、他はタクシーでビーチへ。皓介と一緒にエーゲ海で泳ぐ。水は冷たく、砂は歩くと痛い、トップレスは少しだけ。2時間ほど体を焼いてで船に戻でみると、まだ敦史は寝ていた。
クレタ島へ向けて出航。
8/28
(木)
クレタ島

サントリーニ島

07:00



11:30

16:30


21:00
敦史は今日もダウン。皓介も歩くのがイヤだといったので、家族を残し一人でクノッソス宮殿を観光。港口でタクシーの運転手と値段の交渉し、US$25で往復。途中また客を拾ったので、US$20に値下げ。迷宮と呼ばれるクノッソス宮殿はタダの石積みの遺跡で所々復元で赤く塗られた柱が妙に印象的だった。
サントリーニ島に向けて出航。Play Roomのイベントで、「船内ガラクタ探し」に参加(我々1組だけだったかも)。毛抜き、臭い靴下、Ice Cubeや長いブロンド髪等を集めて完了。辞書を引いて英語の勉強にもなった。
着後、渡し船により島に渡り、ロバにまたがり数百mの断崖絶壁を昇る。敦史を抱いて登った裕美は落ちないように必死の様子。断崖と白壁と夕日をバックにしたオリンピック号、まさに私が求めていたエーゲ海がそこにあった。
船に戻り屋外のダイニングでサントリーニ島の夜景を見ながらの夕食。(子供が居なければ)とてもロマンチック。アテネに向け出航。
8/29
(金)
アテネ

アテネ発
ロンドン着

07:00

13:40
16:10
ピレウス港着。税関通過後、バスに乗りアテネへ。世界屈指のアテネ考古学博物館を見学。その後「風林火山」という店で焼きそばの昼食。麺は日本製ということで美味しい。アテネ空港に向かう。
ロンドンへ向け出発。改札が遅くてなかなか進まない。
ヒースロー空港には予定より50分遅れて到着。ロンドンの冷たい風が我々を迎えてくれた。

エーゲ海クルーズは船の上でのんびり日向ぼっこと言うイメージを持っていましたが、上のスケジュール表で見ても分かるように、朝早く島に到着して、小舟で渡り午前中島内観光、一旦船に戻って夕方また別の島へ、と言うようにスケジュールはかなりハードでした。
 特に3人の子連れにとっては、朝の着替えから、食事、おむつや水など手荷物の準備など、下準備が大変でした。その上、皓介は友達とはしゃぎ回るし、敦史は相変わらず「歩けなーい、眠ーい、抱っこ!」の連続で怒られぱなし。挙げ句の果ては、船室の中で泣きわめいて、隣の部屋からドンドンと壁を叩かれ注意されるし、神経をすり減らすことの連続でした。
 子供がいなければ、食事もゆっくり食べられるし、島内観光も自由に動けるし、ナイトショーも二人で楽しめる、と思ってみても来てしまったのだから仕方がありません。
 それでも、期待とおりエーゲ海クルーズは楽しかったし、素晴らしかった。
 家に帰って子供たちに何がおもしろかったかと聞いたところ、「ロバに乗って坂を登ったこと。ぜんぜん怖くなかった!」と。人の苦労も知らないで。私の一番の思い出は、ギリシャダンスを踊っていたとてもきれいなお姉さんと、Paly Roomの先生とが同一人物で、息子と一緒に話をできたことかな?

 

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トーマスとその友達に会いに(1997/8/2)

1997-08-02 | レジャー

8月2日(土)、皓介と敦史を連れてトーマスとその友達に会いに、以前UKウィークリーで紹介があった Midland Railway Center に行って来ました。

M1高速道路を延々2時間かけて28junctionまで北上し、片道200Km走ってやっと着きました。
この日は8月だと言うのに半袖ではちょっと肌寒い曇りでした。駅が入り口になっていて、一旦電車に乗って展示場がある次の駅まで行きました。
次の駅についてビックリ、ガッカリ。なんだここは?レゴランドとは行かなくても、ちょっとした遊園地のようなイメージを持っていたのですが、まるでここは、電車・汽車の解体置き場ではないか?
展示館の中は、ほとんどスクラップに近い電車が何十台も埃をかぶって展示しているし、屋外にも無秩序に動くかどうか分からないような列車が停まっている。全く期待はずれの場所でした。
唯一楽しかったのは、併設?されている小動物園があり、そこでポニーに乗ったこと。
たぶんもうここに足を向けることはないでしょう。

 
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