美味しい食事を食べて、荷造りをし、9時にチェックアウト。なぜ急ぐかと言うと、ホテルでもらった観光案内に、ブレコン・ビーコン ナショナルパークフ中に、蒸気機関車に乗れる場所かあると紹介されていたためです。ホテルからほとんど車のいない道路を120km/hでとばして、小一時間で着きました。 始発の10:40の機関車は8両の列車はほぼ50%の乗車率で、適度に込んでいました。車両は窓がガラス貼りですが、煙の侵入を防ぐため開きません。列車は20km/hぐらいのスピードで右は山、左は谷から湖へと続く線路を進み30分ほど走った所で止まり、機関車だけバックさせて走って来た道を戻ります。戻る途中、湖の横でブレークタイム。湖と自然を眺めながら紅茶を飲む、とてもイギリス的ではありませんか?
駅に戻って、おみやげを買いそこを離れました。次の目的はこれもパンフレットに出ていた手作りの手工芸品を作っている店のあるブレコン(Brecon)の町です。向かう途中A470と北上していると、右に羊が放し飼いにされている小高い山、左は湖という風光明媚な場所があり、そこにHotdogの屋台があったので、そこでお昼にしました。さらに北上して行くと、緑の高原が左右に無限に広がるように見える、一瞬ハッと息を飲むような風景が目の前に広がって来ました。ここがナショナルパークの中心のようです。こんなすがすがしい風景の中に入り込まない手はないと思い、車をおりて小高い丘に上ることにしました。ここで問題発生。丘には羊が放し飼いになっており、地面には無数の羊のうんちが転がっています。敦史はうんちを踏むのが怖くて、抱っこしてくれ!と泣きわめき始めました。僕は加奈子を抱いているし、車において行くわけにも行かないし。結局、泣きわめく敦史の手を強引に引きながらうんちをさけて登って行きました。汗をかきながらなんとか頂上あたりまで来ると、なんと眺めのいいこと!吹く風のさわやかなこと!この雄大さこそイギリスだ!と叫びたくなりました。
その後、ブレコンの町(観光バスが何台もきておりにぎわっていた)に行きおみやげを買い、帰路に着きました。
朝はイギリスのフルブレックファーストを食べて、9時半頃西に向かってペンブロック城を目指して出発。途中テンビー(Tenby)の海岸で、ちょうど引き潮だったので、カニとか貝を探して遊ぶ。加奈子はカニが苦手。その後近くにManobier城に立ち寄る。ペンブロック城でお昼。禁断のローストビーフを賞味。ペンブロック城は中心に芝生の広場があり、それを囲むように岩の建物が立ち並ぶ。正面に20mぐらいの塔があり、皓介、敦史を連れててっぺんまで上る。柵がないので高所恐怖症の私は足が竦んだ。
ペンブロックから北にあがり、ハーバフォードウエストから西に向かう。20Kmほど行くと、急に雲が晴れて、目の前には美しい砂浜が広がる。ここもナショナルトラストだ。ちょっと立ち寄る。この寒さの中、泳いでいる人がいた。よほど皮下脂肪が厚いのか?小一時間してさらに西に向かいウェールズの西の果てのセントデイピッド(St.David's)に着く。ここはうっそうとした森の中に巨大な教会とローマ風の建物が並ぶ中世の町のようで観光客も多く、小川が流れていたりしてなかなか趣のある町だった。
4時頃そこを立ち内陸のA40を1時間半走って、スオンジーに戻り、Mumbles岬に立ち寄り、ホテルに戻る。今日の夕食はなかなか豪華だ。家族で、大人3人分のフルコースが出され、その料もすごいので、皓介も敦史も満足、親も満足。でも一番印象深い味は、きれいな青い瓶に入っていたスプリングウォータだった。
98年5月23日~25日の2泊3日、ロンドンから西へM4をひたすら2時間、西に向かって到着するウェールズ地方に旅行しました。ウェールズはイギリスを形成する4つの国のうちの一つ。ユニオンジャック(英国国旗)ができたときウェールズはイングランドに併合されていました。町の標識はウェールズ語と英語の2本立てです。話す言葉にも訛があるようですが、私にはよく違いがわかりません。
ウェールズ地方と行ってもかなり南北に広く、本当は北のコンウエイやスードニア当たりに行きたかったのですが、2泊と言うこともあって今回はわりと手軽な?、スウォンジー(Swansea)にホテルをとり、カーディフから、西の果てのペンブロック(pembroke)まで南ウェールズを中心に旅行しました。
23日(土) | ロンドンからカーディフへ、ダン・ア・オグオフ洞窟を探検してスウォンジーへ |
24日(日) | スウォンジーから、テンビーの海岸、ペンブロック城、西の端のセント・デイビッドまで行き、スウォンジーに戻る |
25日(祝) | スウォンジーからブレコン・ビーコン・ナショナルパーク、ブレコンの町に行き帰路へ |
ウェールズ 1日目
98年5月23日(土)、昨年のバンクホリデーの時に行ったコンウォールはホテルに着くのに7時間もかかったので、今回もウェールズは遠いという印象が頭にあったため、朝7時半に家をでました。M4高速道路をひたすら140km/hで車を走らせ、横浜のベイブリッジを思出させる吊り橋(Severn Road Bridge)を渡ると、そこはもうウェールズ。道案内の看板には全て2行になっており、上がウェールズ語、下が英語になっており、異国に来たな?と感じさせられます。ちょっと道に迷ったけれど、ウェールズの首都カーディフについたのが、10時頃と、以外に早くつきました。まずはカーディフ城を見学。宮殿のツアーが 10時30分に始まるので、その前に公園にいる孔雀と遊んだり、正面にそびえ立つ城にのぼったりしました(実は次の週に天皇陛下がカーディフにお見えになり、この城で行われた歓迎式典に参列されている様子がテレビで放映されていました)。とても古い城で今は中に丸い広場があるだけです。10時30分の宮殿見学ツアーは説明が半分?しかわからないので退屈。各部屋に入っては「この部屋はXXXが子供のころ・・・・」と説明を行うので、出口にでるまで45分、加奈子をずーっと抱いていたので 腕がつかれました。
カーディフ城を出て土産屋を冷やかしに。昔炭坑で使っていた物と全く同じ構造で製造番号が刻印されておりズッシリと重いランタンに興味が行きましたが、結局買ったのは指ぬき。イタリア料理屋で昼食を取ったあと、ちょっとアルコールは残っていましたが、カーディフから北西に約50kmの所にあるダン・ア・オグオフ洞窟に向かいました。
この冬のスペインのピラタ洞窟から、子供たちは洞窟好き?になっていて、今回の旅行も迷わずメニューに入れました。この洞窟は観光化されていて、ちゃんと歩道は舗装されており、ランタンも自由に自分たちで運び込むことができ、洞窟の中も至る所、芸術的とも言えるカラーの照明装置が付いていました。洞窟探検を終えた後、出口にある看板を見てみると、今見てきたところは・B>エ窟全体の10分の1にも満たない部分で、洞窟全体は網の目のように、全体としてくの字型に延びているとかいてあるのでビックリ。いったい何の通り道だったのだろう?深く考えさせられます。 公園を散策していると、ヘルメットライトにロープを持った数人の探検隊を見かけました。今でもまだ見つかっていない洞窟の調査をやっているのでしょう。この公園のもう1つおもしろい所は、いろんなところに恐竜のレプリカがあることです。「これはトリケラトプスだ」と皓介ははしゃいでいました。5時頃ここを立ち、ホテルに着いたのは6時を過ぎていました。
98年5月17日(日)、今日は加奈子の2才の誕生日。日中ケンブリッジで遊んだ後、4時頃から庭でささやかながら誕生パーティ。ケーキは昨日作ったティラミス。誕生日プレゼントはケンブリッジで買ってきたテディベア。くま2匹で敦史と一緒に楽しんでいました。今度、ちょっと散髪でもしてやるかな?
98年5月17日(日)、朝8時に家を出て、マクドナルドでパンケーキの朝食を取り、M1-M25-M11を通って、ケンブリッジに向かいました。最近はとても天気が良く暖かい日が続いていますが、今日も朝晩は涼しくて、日中は日差しが暑い位で、それでも乾燥しているせいか汗ばむことはありませんでした。ただ、エアコンの無い車の窓を閉め切って高速をはしるのは若干苦痛ではありました。
ところで、10時ちょっと過ぎにケンブリッジに着いた私たちは、路上に駐車した後、さっそく呼び込みのお兄さんに捕まって?ケンブリッジ名物のボート乗り(Puntingと言うのだそうです)を楽しみました。時間も早かったせいか、運河を行き来する船はそれほど多くありません。ゆったりとした気分で、船頭?のお兄さんの案内を聞きながら運河から橋や建物を眺めて回りました。船頭さんは大学(当然ここの?)を卒業してパートでこの仕事をしているとのことでしたが、回りの船を見回すと、女性の船頭さんがいたり、間違いなくその家族のお父さんが船頭だったり、恋人の男性がそうだったり とけっこう素人ぽい人も竿をさしてポートを操っていました。左通行を決まっている訳ではないようで、後で橋の上から見ると、ボートの接触事故を頻繁に目撃しました。さすがに河に落ちた人は見かけませんで居たが・…。
ボートの後、ケーキとサンドイッチと紅茶を買って、公園でボートの行き来を眺めながら、食べ物を口にほおばっていました。その後、St. Johns collegeの中を散歩して、おみやげを買って、3時頃には、ケンブリッジを出ました。
98年5月10日(日)、 今イギリスは菜の花が真っ盛り。郊外を車で走っていると緑の牧草の中に鮮やかな黄色の絨毯を敷いたような菜の花畑が目に入って来ます。今回は菜の花畑のそばに車を止めて写真を撮ることにしました。花もきれいですが、香りも何とも言えない甘い匂いです。
そんな郊外の田舎道を走っていると、小高い丘の上に風車を見つけました。この村は乗馬を楽しむことができ、3歳くらいの子供も2mくらいの高さの馬にまたがって練習していました。
そのそばのパブは茅葺きで趣のある店構えで、思わず立ち寄って、お昼を食べました。当然、1パイント(550ml)のエールビールと一緒に。でどうやって車で帰宅したかって?内緒です。
98年5月2日(月)、ブラッセルから北へ47kmのアントワーペンに向かう。ダイヤモンドと画家のルーベンスが有名な街だ。着いて直ぐにアントワーペン駅の重厚さに驚く。ルーベンスの生家を見たかったけれども今日は月曜なので休み。仕方なく大寺院を訪れそこにあるルーベンスの秀作5点をトクと鑑賞。マルクト広場ブラボーの噴水で水遊びしてから、海(いや河)添いの見晴らし台に上る。ここにもLEONがあったので、特にムール貝以外の魚介類を頼んで満足した。ベルギーの料理はどこもおしいけれど、何処も高い! 結局ダイヤは買わずにブラッセルに戻り、チェックアウトして、Midi駅に向かった。
98年5月2日(日)、まずはホテルの近くにある小便小僧を見る。今日は青い洋服にカメラを持った旅行者の格好だった。定期的に衣装がかわるのだそうだ。その後、グラン・サブロン広場で土日開催されている骨董市を冷やかしに行く。陶器の人形を中心に見たけれどもどれも非常に高いので何も買わなかった。
そのそばにある王立美術館で開催しているマルグリット展を見ようと出かけていったが、なんと6月はじめまでのチケットまで売り切れ。ミュージカルじゃあるまいし。予定を変更して、ブラッセルから西へ56Kmにあるゲントに行くことにした。
駅からしばらく歩いたが、途中で路面電車に乗る。ところが降りるタイミングを間違えて次の停車場で降りると、そこは最初に乗った場所だった。昨日のブルージュとは違ってことは閑散としていた。ここでは2台ある観光馬車もひまそうなので乗ることにした。生憎の曇り空で走り出すと寒く、ブランケットにくるまりながら30分間、馬車に揺られた。その後同じコースで、セント・ハーブ寺院、古い建物が並ぶ河畔、フランドル伯の城、市庁舎を巡った。フランドル伯の城ではバイキングの様な衣装を着た人たちが踊りや音楽等を披露してくれて楽しめた。でもこの寒さなので早めにブラッセルに戻ることにした。
Leonでもう一度ムール貝を堪能した後、インターネットに見つけた情報の中にこの期間に王立植物園が一般に公開されるとあったので、開館時間の午後8時45分にタクシーで乗り付ける。200人ぐらいの行列。日本人はだれも見かけない。9時過ぎに開門。前の人につられてぞろぞろと植物園の温室の中を散策する。いろいろな種類の花や木を見る。ツツジの群生がうつくしかった。最後に巨大なドームの温室の空間に出されてちょっとびっくり。子供たちも十分に楽しんだようだ。
(ゲントの写真は、デジカメの操作ミスにより、削除してしまい、馬車やフランドル伯の家の写真が残っていません)
|
|
|
|
|
|
98年5月2日(土)、ホテルの朝食を存分に?味わった後に、Midi駅に向かうためにタクシを拾う。ブルージュに行きたいと言うと混んでいる道をバックで逆行して何処に行くのかと思ったら、着いたと言う。実は中央駅でも電車が出ているのだ。電車は混んでいて、横のおじさんに頼み混んで4人がまとめて座れる様に席を替わってもらった。ブルージュまで約1時間。
着いたのは11時。駅から中心街までの15分を歩く。マルクト(市場)広場に近づくに従い、歩道をベビーカーで押せないくらい人が多く集まっている。馬車も観光バスも列ができており乗れない。まず市庁舎の2階のゴシックホールを見学。マルクト広場に戻り、風車があるダムという村を観光できるミニ観光バスを探して、2時に予約を入れる。ここまできたのだからブルージュのシンボルである鐘楼に登ろうと言うことになり、加奈子は僕がカメラバックを利用して抱っこして上り始める。上にあがるに従い螺旋階段が狭く、しかも急になって来て、敦史はまごつくようになってきたので、2人を抱っこすることはできないと思い、2/3登った所で頂上までたどり着くとことを断念。敦史が登りたいと言って泣き叫ぶが、こればっかりはしかたがない。レストランでコーラを飲んで落ち着かせ、ラザニアとビールで腹ごしらえをしたところで2時。ミニバスに全員乗って市街を回ってダムの村へ。雨が降ってきたと思ったら急にバスから降りて運河を下る船に乗る。寒さもあって乗客は甲板の下の座席に座ってたむろする。ビールなど飲む。街に戻ってレースやビールのおみやげを見たあとに、今度は市街の運河を巡るボートの最終便に乗る。寒かった。夕食をしようとレストランに入ったが何処も予約必要とのことで門前払いをくう。子供連れだからか? ちょっと町外れのレストランでまたムール貝、ホワイトビールとシチューを頼みほろ酔いでブラッセルに戻る。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ダムの村 |
|
|
|
|
|
|
|
98年5月1日(金)、一人だけホテルに泊まって、お昼に3人の子供を連れてくる裕美をMidi駅で待ちました。定刻通り到着した4人は疲れもなく、まずは観光の中心のグランプラスの裏手にあるホテルに荷物を置くつもりで訪れたところチェックインが可能。このホテルはフランドル風の木製家具やルイ王朝風の部屋が特色でちょっと凝った作りのホテルです。皆おなかがすいたので、いろいろ探したあげく魚介料理で評判のラグビーマンに入りました。セットメニュー見たいな物をたべましたが、エビみそ入りのスープやオマールエビ(一匹分)には舌鼓を打ちました。
その後、ブラッセルの街を、徒歩で散策。グランパレスからサン・ミッシェル大聖堂、ブリュッセル公園、王宮、裁判所を回ってグランパレスへ戻るという子供にはちょっとハードな道のりを歩きました。夜は皓介・敦史が寝から食事にでかけたので、出遅れてしまい、グランパレス一帯の食堂は何処も一杯。ちょといい加減な店にはいったけどあまり美味しくなかった。ベルギーって物価が高いのですね。
|
|
会社のベルギーセミナーの後、5月1日(金)~4日(月)の4日間、家族でベルギーの4つの都市を巡る旅行を実施しました。
宿はブルージュに取りたかったのですが、家族5人が一緒に泊まれる宿は何処も一杯と言うことで、コネクティングルームが確保できたブリュッセルのHotel Amigoという、グランパレスの市庁舎の真後ろにある、観光にはとても便利なホテルに3泊して、各都市に日帰り旅行を繰り返しました。
天気は今ひとつで、結構寒くコートは必須で時々雨にも振られました。最後のアントワーペンだけが晴れるという生憎の天気でした。
移動はほとんど電車で、各都市では、観光バスや遊覧船、市電や馬車、ボートなどいろいろな乗り物に乗りました。荷物はホテルに置きっぱなしなので、比較的自由が利き、子供たちも乗り物には十分満足した旅行でした。
5/1(金) |
ブラッセル(Brussel) |
ユーロスターで午後に着いた後、市内をほとんど歩いて回りました。 |
5/2(土) |
ブルージュ(brugge) |
片道1時間の電車で移動。小雨の中のブルージュはとてもきれいでしたが、とても混んでいました。 |
5/3(日) |
ゲント(Gent) |
朝、ブラッセルの骨董市を見て、ゲントへ。帰ってから国立植物園へ。 |
5/4(月) |
アントワーペン(Antwerpen) |
北のアントワーペンへ。時間切れでダイヤは買えず?5時のユーロスターでロンドンへ。 |