愛は寛容であり、愛は情深い。
また、ねたむことをしない。
愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、
自分の利益をもとめない、いらだたない、恨みをいだかない。
不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
そして、すべてを望み、すべてを耐える。
愛はいつまでも絶えることがない。
しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。
なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、
預言するところも一部分にすぎない。
わたしたちは、
今は鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。
しかしその時には、顔と顔とをあわせて、見るであろう。
わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。
しかしその時には、わたしが完全に知られているように、
完全に知るであろう。
全きものが来る時には、部分的なものは廃れる。
なぜなら、
わたしたちの知るところは一部分であり、
預言するところも 一部分にすぎない。
わたしたちが幼な子であったときには、幼な子らしく語り、
幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。
このように、いつまでも存続するものは、
信仰と希望と愛と、この三つである。
このうちで最も大いなるものは、愛である。
(『コリントの信徒への手紙一』 13:13)
家庭というのは、
人類愛を学び教える学校です。
父母の温かい愛を受けて育った子供は、
外に出ていけば、
家で学んだとおりに、
困っている人を
愛の心で助けるでしょう。
また、兄弟姉妹の間で
深い愛を分かち合って育った子供は、
社会に出て隣人と
厚い情を分かち合って生きていくでしょう。
愛で養育された人は、
世の中のどんな人でも
家族のように思うものです。
自分の家族のように思って人に仕え、
人に自分のものを
分けてあげる愛の心は、
真の家庭から始まります。
家庭が大切なのには、
もう一つ理由があります。
家庭は
世界に拡大するから
大切なのです。
真の家庭は、
真の社会、
真の国家、
真の世界の始まりであり、
平和世界、神の国の出発点です。