地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

【原子野】 2010年8月6日

2010-08-06 14:57:13 | Weblog
一人の罪によって、
その一人を通して死が支配するように
なったとすれば、

なおさら、
神の恵みと義の賜物とを
豊かに受けている人は、
一人のキリストを通して生き、
支配するようになるのです。


(聖書『ローマの信徒への手紙5章17節』 )



【原子野の鐘】


(「そりゃそうばってん。誰に会うてもこういうですたい。

原子爆弾は天罰。
殺された者は悪者だった。
生き残った者は神様からの特別のお恵みをいただいたんだと。

それじゃ私の家内と子供は悪者でしたか!」)


・・・・・・

終戦と浦上壊滅との間に深い関係がありはしないか。

世界大戦争という人類の罪悪の償いとして、
日本唯一の聖地浦上が犠牲の祭壇に屠られ燃やさるべき
潔き羔(こひつじ)として選ばれたのではないでしょうか?


智恵の木の実を盗んだアダムの罪と、
弟を殺したカインの血とを承け伝えた人類が、

同じ神の子でありながら偶像を信じ

愛の掟にそむき、

互いに殺しあって喜んでいた此の大罪悪を終結し、
平和を迎える為にはただ後悔するのみでなく、
適当な犠牲を献げて神にお詫びをせねばならないでしょう。


(然るに浦上が屠られた瞬間初めて神はこれを受け納め給い、
人類の詫びをきき、忽ち天皇陛下に天啓を垂れ、
終戦の聖断を下させ給うたのであります。)

・・・・・・


「やっぱり家内と子供は地獄へは行かなかったに違いない」

「先生、そうすると、わしら生き残りはなんですか?」

「私もあなたも天国の入学試験の落第生ですな」

「天国の落第生、なるほど」


「よっぽど勉強せにゃ、天国で家内と会うことはできまっせんばい。
確かに戦争で死んだ人たちは正直に自分を
犠牲にして働いたのですからな。
わしらも負けずによほど苦しまねばなりまっせんたい」


「そうですとも、そうですとも。世界一の原子野、
この悲しい、寂しい、ものすごい、
荒れた灰と瓦の中に踏みとどまって、
骨と共に泣きながら建設を始めようじゃありませんか」

「わしは罪人だから苦しんで賠償させてもらうのが
何よりも楽しみです。祈りながら働きましょう」


市太郎さんは明るい顔になって帰った。


(『長崎の鐘』永井隆)