あなたがたはもはや、
外国人でも寄留者でもなく、
聖なる民に属する者、神の家族であります。
(『エフェソの信徒への手紙』2章19節)
人が生まれて死ぬことは、
自分の意志によるものではありません。
人は、自分の運命に対して
何も選択することができません。
生まれても自分が生まれようとして、
生まれたのではなく、
生きていても自分の思いどおりに
生きることができるわけでもなく、
死ぬとしても自分が死のうと思って
死ぬのではありません。
このように人生において何の権限もないのに、
自分は優れていると誇れるものがあるでしょうか。
自分自身が生まれたいと思っても
生まれることもできず、
自分だけの何かを最後まで持つこともできず、
死の道を避けることもできない人生ですから、
誇ってみても侘(わび)しいだけです。
自分とは何か、
自分がなぜ生きなければならないのかを、
いくら考えても分からないのが人間です。
したがって、自分が生まれた動機と目的が
自分によるものではないように、
自分が生きるべき目的も、
やはり自分のためではないことを
悟らなければなりません。
ですから、人生いかに生きるべきか、
ということに対する答えは簡単です。
愛によって生まれたのですから、
愛の道を求めて生きなければなりません。
父母の(又は、神様の)果てしない
深い愛を受けて生まれた命なので、
生涯その愛を返して生きなければならないのです。
それこそが、私たちが人生において
自らの意志で選択できる唯一の価値です。
(R・M・S)
【東京メトロ丸の内線「御茶ノ水駅」】
外国人でも寄留者でもなく、
聖なる民に属する者、神の家族であります。
(『エフェソの信徒への手紙』2章19節)
人が生まれて死ぬことは、
自分の意志によるものではありません。
人は、自分の運命に対して
何も選択することができません。
生まれても自分が生まれようとして、
生まれたのではなく、
生きていても自分の思いどおりに
生きることができるわけでもなく、
死ぬとしても自分が死のうと思って
死ぬのではありません。
このように人生において何の権限もないのに、
自分は優れていると誇れるものがあるでしょうか。
自分自身が生まれたいと思っても
生まれることもできず、
自分だけの何かを最後まで持つこともできず、
死の道を避けることもできない人生ですから、
誇ってみても侘(わび)しいだけです。
自分とは何か、
自分がなぜ生きなければならないのかを、
いくら考えても分からないのが人間です。
したがって、自分が生まれた動機と目的が
自分によるものではないように、
自分が生きるべき目的も、
やはり自分のためではないことを
悟らなければなりません。
ですから、人生いかに生きるべきか、
ということに対する答えは簡単です。
愛によって生まれたのですから、
愛の道を求めて生きなければなりません。
父母の(又は、神様の)果てしない
深い愛を受けて生まれた命なので、
生涯その愛を返して生きなければならないのです。
それこそが、私たちが人生において
自らの意志で選択できる唯一の価値です。
(R・M・S)
【東京メトロ丸の内線「御茶ノ水駅」】