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もし人の過ちを赦すなら、
あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。
【マタイによる福音書 / 6章 14節】新約聖書 新共同訳
あなたが神様の名を
呼んだ時から、
神様とあなたの間には
親と子の絆が結ばれます。
たった一人で
孤独の道を歩く時も、
大勢の人々の中で
幸せに生きる時も、
すべてが親なる神様と
一緒なのです。
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▲「慰安婦」の人たちを連れて
全国で謝罪補償運動を展開する
「市民団体」代表の方清子(写真左側)と梁澄子(同 中央) 氏。
橋下市長と慰安婦との面会を申し入れ、
一方的にキャンセルした。( 5月24日)
★ウィーン発 『コンフィデンシャル』
橋下市長の発言は妄言ではない。
◆世界日報日本語版 2013年5月15日
韓国の聯合ニュースによると、「旧日本軍慰安婦は必要だった」とした日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長の「発言」について、韓国政府関係者は13日、「妄言」「過去を反省すべきだ」と批判したうえで、「日本軍慰安婦問題は過去、日本の帝国主義の膨張過程で広範囲で行われた戦時の性暴力行為。重大な人権侵害であるとの共感が国際社会に形成されている」と述べたという。
ところで、橋下市長の主張は実証的、現実的だろうか。ひょっとしたら暴論に過ぎないだけだろうか。明確な点は、慰安婦問題で犠牲となった韓国の国民が聞けば、当然反発が飛び出すことだ。ただし、橋下市長の「慰安婦は必要だった」という発言を「妄言」の一言で切り捨てるのは惜しい。なぜならば、深刻な問題を内包しているからだ。
少し、挑発的に論理を展開させる。旧日本軍の慰安婦の犠牲国だった韓国が過去、加害者となったことはなかったか。ベトナム戦争で出兵した韓国兵士の蛮行を思い出すだけで十分だろう。ベトナム側が戦争後、韓国兵士の性犯罪を政治議題としなかったため、韓国側は無視してきただけだ。米軍の世界各地の占領地での兵士たちのモラルはどうだろうか。
旧日本軍の慰安婦問題を他国の例を挙げて相対化しようと考えているのではない。現実、戦争が起きたところでは同様の問題が生じている、という現実を指摘しているだけだ。その意味で、クリーンな戦争は存在しない。戦争は等しくダーティであり、犠牲者の多くは女性と子供達だ。この点で昔も今も大きな違いはないだろう。
橋下市長の発言問題に戻る。その発言内容は「妄言」ではない。残念ながら、事実に近いのだ。それゆえに、深刻なのだ。
私たちは考えなければならない。大げさに表現すれば、涙を流し、服を裂きながら、「どうしたらいいのか」と叫ぶべきかもしれない。問題を提起した橋下市長に聞いてみるのもいいだろう。問題は私たちに関わることだからだ。旧日本軍、ベトナムに出兵した韓国兵士だけではない。軍服ではなく、背広姿だったとしても同じことが繰り返されてきたからだ。
イエスは「だれでも、情欲を抱いて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである」(マタイによる福音書5章28節)という。戦時でも平和時でも私たちは同じ誤りを犯し続けてきた。どうして「あなたの目の中のゴミを取らしてください」といえるだろうか。これは個人次元だけの話ではない。家族、民族、国家にも当てはまることだ。
橋下市長の発言がわたしたちを内省へと向かわせるならば、意味があったというべきだろう。絶対に「妄言」で終わらせるべきではない。
http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52032478.html?_f=jp
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▲『よくわかる慰安婦問題』
西岡 力 (草思社)
◆ルカによる福音書 / 10章 27節
「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、
思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、
また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」