
大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、
成長させてくださる神です。
「コリントの信徒への手紙一」/ 3章 7節
新約聖書 新共同訳
世界中に誰一人わかる人が
いなくても
神様と私との間にあった
内容は
誰にも否定できない
事実として
存在します。
★フィリピン被災地、人々の心のよりどころ
◆ウォールストリートジャーナル日本語版 2013年11月21日

▲超大型台風30号(国際名:ハイヤン、現地名:ヨランダ)に見舞われたフィリピンの被災地では教会が人々の重要な心のよりどころとなっている。
http://jp.wsj.com/article/SB10001424052702304894104579208593768533178.html?dsk=y#slide/1
★三笠教会がフィリピン復興支援に尽力
発起人は出身女性/横須賀
◆神奈川新聞 2013年11月26日

▲「被災地の皆さんのために協力してほしい」と呼び掛ける小出さん
=横須賀市稲岡町の「カトリック横須賀三笠教会」
台風30号の被害を受けたフィリピンを支援しようと、横須賀市稲岡町の「カトリック横須賀三笠教会」が、募金や援助物資を募っている。発起人は、同国北部のルソン島アンへレス市出身の小出万里子さん(46)=三浦市南下浦町上宮田。祖国復興のため、遠い日本で尽力している。
「フィリピンは台風が多い国だけれど、こんなひどい状態になるとは思わなかった。建物も全部壊されて、みんながかわいそう」。今月8日に同国中部を直撃し、多くの犠牲者を出した大型台風。テレビで映し出された被災地の光景に、小出さんは涙した。
米海軍横須賀基地などのある国際色豊かな横須賀市には約1200人(軍人、軍属とその家族は含まず)のフィリピン人が暮らしており、在住外国人として最も多い。三笠教会で定期的に行われるミサには毎回、200人以上が参加。フィリピン人同士が助け合うコミュニティーもある。
支援は小出さんら三笠教会の信徒が着手。募金のほか、缶詰、粉ミルクなどの食品をはじめ、衣類や雨風を防ぐブルーシートなどを集めている。甚大な被害を受けたレイテ島パロ町のカトリック教会に送り届ける。同教会は台風で屋根が崩れ落ち、今も「食料が足りない状況」(小出さん)という。
ルソン島出身の小出さんは、日本青年遺骨収集団(JYMA)のボランティアで戦没者の遺骨収集に訪れた日本人男性と出会い、26年前に来日。結婚して16年前に国籍を取得した。フィリピン名は小出マリテスだ。
日本での暮らしの方が長くなったが、「心の中はフィリピン人」と、家族や友人がいる海の向こうへ思いをはせる。
日米を含む各国が被災地支援に関わっており、「本当に感謝しています。ただ、親やきょうだいを失った子どもたちは、これからが大変になる」と案じる。「少しでもいいので、多くの人に協力してもらいたい。きっと喜んでもらえると思う」。支援の輪を広げようと呼び掛けている。
募金や物資の提供は三笠教会へ。12月15日まで。問い合わせは電話046(823)0042。
(神奈川新聞 2013年11月26日)

▲ジョンズ氏の肖像画を描いた小泉さん(中央)
=米海軍横須賀基地
★ペリー艦隊従軍牧師の功績たたえ、
基地内に記念室新設/横須賀
◆神奈川新聞2013年6月20日
横須賀市の在日米海軍横須賀基地内の教会「信徒会館」で19日、黒船ペリー艦隊の従軍牧師として来日し、キリスト教の布教や近代日本の発展に貢献したジョージ・ジョンズ氏の記念室が新設された。献堂式では、有志で集ったジョージ・ジョンズ顕彰会が顕彰碑と肖像画を贈った。
式には会メンバーや久里浜教会の関係者や、同基地司令官のデビッド・オーウェン大佐ら計約30人が出席し、ジョンズ氏の功績をたたえた。日米友好の証しとして、教会内の集会室が「ジョージ・ジョンズ記念室」と名付けられた。
ペンシルベニア州ヨーク出身のジョンズ氏は大学卒業後、海軍従軍牧師として戦艦に勤務し、1853年にペリー提督とともに来航した。同年7月10日、久里浜沖の艦上で、日本で初めてキリスト教の礼拝が行われたとされる。天文学や植物学などにも精通しており、同氏が中心となって「ペリー艦隊日本遠征記」を残した。記録を基に日本を知った商人や医師、宣教師らが来日するきっかけをつくった。
式に合わせ、鎌倉市の洋画家、小泉元生さん(84)が過去の肖像画を参考に油絵でジョンズ氏を再現し、室内に飾られた。
米海軍従軍牧師団司令のミル・イイ大佐は「ジョンズ氏の記憶を残し、日米の友好と平和を続けていきたい」。顕彰会の阿部志郎会長は「ベースの教会からは戦後、いろんな支援を受けた。日本側の感謝の気持ちを表した」と話していた。
(神奈川新聞2013年6月20日)
【今日の御言葉】