地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

【帰還】日本の正教会信者のための記憶と追悼の教会が建てられる

2015-02-09 23:59:19 | 今日の御言葉
▼産経 2015.2.8 記事(北方領土の日 「2月7日」 )



特にお願いします。
どうか、わたしがあなたがたのところへ
早く帰れるように、祈ってください。

ヘブライ人への手紙/ 13章 19節
新約聖書 新共同訳




つつましい仕事から
離れてはいけません。

こういう仕事はだれもしようと
しないからです。


仕事が小さすぎるということは
ありません。


わたしたちはとても小さいので、
小さいやり方で物事を見ているのです。


たとえ、わたしたちがだれかのために、


ちょっとしたことをしたとしても、
全能の神は、すべてを
偉大なこととして見てくださいます。


偉大なことができる人たちは、
世の中にたくさんいます。


けれど、
つつましい仕事をする人たちは、
ほんとうに少ないのです。


マザーテレサ

(マザーテレサ『日々のことば』より)






★日本の正教会信者のための記憶と追悼の教会が建てられる
- News - 文化 -

◆The Voice of Russia (ボイス オブ ロシア) 2015年1月22日


今年、福岡県宗像市にロシア正教会の教会ができる予定。対馬海峡の沿岸部に位置する宗像市は、110年前の1905年5月、露日戦争を終結に導いた海戦の場となった。対馬沖海戦では、4830人のロシア人が命を落とした。ロシア海兵の遺体は、潮の流れに乗って宗像市近郊の浜辺に打ち上げられ、地元の漁師たちによって埋葬された。


日本人たちは、自分の国と戦った兵士であったにもかかわらず、仏教の原則に従ってロシア人兵士たちの遺骨を土に返した。宗像市の大島には、対馬沖海戦の慰霊碑が建立されている。そしてここに、アルタイの建築家たちが設計を担当した、木造の正教会の教会も建設される予定だ。

同プロジェクトを立ち上げたのは、フョードルさんという名の日本人。フョードルさんは、ロシア人女性と結婚し、キリスト教を受け入れ、ロシア名も授かった。教会の設計を担当することになったのは、アルタイのバルナウルにある建築スタジオの責任者ピョートル・アニシフォロフさん。アニシフォロフさんは、南極大陸の正教会の教会を設計した建築家として知られている。アニシフォロフさんは、宗像市の教会のための敷地が気に入ったという。日本から帰国したアニシフォロフさんは、次のように語っている。

「私は日本から帰ってきたばかりです。プロジェクトは既に合意を得て、敷地は正教会の教会のために特別に購入されました。これはロシアの木造建築となりますが、もちろん現地の気候状況と文化的伝統が考慮されます。教会のまわりは伝統的なロシア的概観となりますが、私たちは日本の習慣も考慮します。例えば日本人は教会に入る前に靴を脱ぎます。私たちはこの特性も考慮に入れました。また、現地の地震環境もそうです。教会は、アルタイ地方の杉で建てられることが決まりました。建築資材の準備は、近いうちにも始まります。教会はアルタイ地方で建設され、その後、解体されて、極東経由で日本へ運ばれます・それまでに日本では、地元の要求を考慮しながら基礎がつくられます。これは、記憶と追悼の教会となります。そしてこれは、対馬沖海戦で戦死したロシア海兵の記憶をとどめることへの貢献にもなるほか、今も彼らの墓を守り続けている日本人への感謝のしるしにもなります。私はこの依頼をすぐに受け入れました。なぜなら人間関係における情の深さや温かさは、私たちの世界で最も価値のある重要なものだからです。そしてこのようなヒューマニズムの非常に貴重な例は、大切に残し、後世に伝える必要があるからです。」

教会は、聖ニコライ・イポンスキー教会としてきよめられる。ニコライ・イポンスキーは、19世紀半ばに日本へ正教をもたらし、日本正教会を創建し、東京に復活大聖堂(ニコライ堂)を建設したロシアの宣教師だ。アニシフォロフさんは、今年の秋にも、宗像市に正教会の教会が出来上がるとの見方を示している。


| vostok@ruvr.ru





★日本海海戦で戦死したロシア水兵を
追悼し教会を日本で建立へ

◆ 2015年1月30日 ロシアNOW


日本海海戦で戦死したロシア水兵が葬られている日本の墓地の敷地内に、木造の正教教会が建立される。インテルファクス通信が、ロシースカヤ・ガゼータ・ウィークリー(シベリア版)の報道として伝えた。

アルタイ地方の設計事務所が担当

 教会建立は、アルタイ地方のピョートル・アニシフォロフ建設事務所の設計に基づいて行われる。敷地は既に、地元の信者たちにより買収、登記が済んでいる。信者の中には、ロシア出身者が少なくないという。

 建材には、アルタイ産のセイヨウスギを使う予定。シベリアのカラマツは、南極での教会建立に際しても使用されているが(このプロジェクトにも、同設計事務所が参加している)、日本の気候には合わないという。教会はまずバルナウル市で組み立てられ、分解された後、ウラジオストクに搬送される。

 教会の基礎部分は、日本人が建設する。地震の多発、強風、時化を考慮し、教会の高さは10m以下になる見込み。


(2015年1月30日 ロシアNOW)




▲読売新聞 1950年12月12日 (朝刊)

ソ連侵攻で31万人未帰還者。

(外務省発表)






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