
photo 福山雅治 ( 映画『そして父になる』より )
そこで、イエスは彼らに言われた。
はっきり言っておく。
子は、父のなさることを見なければ、
自分からは何事もできない。
父がなさることはなんでも、
子もそのとおりにする。
「ヨハネによる福音書」 / 5章 19節
新約聖書 新共同訳
人生を歩んでいけば、
ありとあらゆることを
すべて経験するようになるものです。
いくら仲の良い夫婦でも、
一緒に暮らしていれば、
互いに小言も言い、
怒鳴ることもありますが、
子供たちが入ってきたら、
ぴたっと止めなければなりません。
いくら腹の立つことがあっても、
子供たちに接するときだけは、
穏やかにしなければなりません。


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★「先祖になる」被災地で上映
岩手 : 地域
◆YOMIURI ONLINE(読売新聞)2013年11月4日
東日本大震災で被災した自宅を建て直した陸前高田市の農林業佐藤直志さん(79)を描き、今年2月のベルリン国際映画祭で特別表彰を受けたドキュメンタリー映画「先祖になる」(池谷薫監督)が4日、気仙地区で初上映された。大船渡市盛町のリアスホールで行われた上映に、約400人が詰めかけた。
「先祖になる」は、消防団員だった長男を津波で失い、自宅2階まで浸水した佐藤さんが、元の土地に家を再建するまでを描いた。同映画祭で、キリスト教関係者が選ぶエキュメニカル賞特別表彰を受賞。全国約50か所で上映された。
上映後、舞台あいさつに臨んだ佐藤さんは「80歳に近い私でも夢を達成できた。みなさんも夢に向かって一歩一歩進んでください」と呼びかけた。陸前高田市の仮設住宅に住む菅野光江さん(61)は「自分も動かなければと力をもらった」と話した。池谷監督は「地元の人たちが共感を持ってスクリーンと対面しているのが伝わってきた」と語った。
( 読売新聞 2013年11月4日)

★ドイツ首相として続投が確実視される
メルケル首相とはどういう人?
旧東ドイツ育ち、政治的実力は折り紙付きですが、
飾らない人柄で人気があります。
◆2013年10月8日 読売新聞
9月22日に行われたドイツの連邦議会(下院)選挙で、与党のキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)が他党に大差をつけて勝利したことで、今ドイツの首相を務めるアンゲラ・メルケルが3期目を務めることがほぼ確実となりました。
世界で最も力のある女性
勝った、とはいっても過半数には届かず、連立政権になりますが、ドイツ下院は制度上、解散が極めて難しいので、向こう4年間はほぼ間違いなく政権が続きます。そうなれば、任期12年、戦後(西)ドイツでは、コール、アデナウアー政権に続く長期政権となります。
英エコノミスト誌は、「メルケルの積極的な支持なしには欧州連合(EU)では何も起こらない」と書きました。メルケルは、サッチャー元英首相にならい「鉄の女」と呼ばれ、世界で最も力のある女性として米経済誌「フォーブス」に繰り返し選ばれてもいます。
メルケルとはどんな経歴をたどった人なのでしょうか。
西独で生まれ、6週間後に東独へ
メルケルは1954年7月17日、西ドイツ・ハンブルクで出生しました。生後6週間で、家族は東ドイツの村(現ブランデンブルク州)に転居します。神学校を卒業したばかりの父ホルスト・カスナーが、教会の求めに応じ、牧師不足が深刻だった東独での布教活動に従事することになったからです。
その後、3歳の時に同じ州内の町テンプリンに転居し、19歳まで過ごします。メルケル一家の家は、神学教育施設や、知的障害者のための授産施設が立地する広い敷地内にあり、カスナー牧師はこれら教会施設の責任者でした。
秘密警察の監視対象にも
メルケルは特に数学と語学(ロシア語)で優れた能力を発揮しました。当時、東独で行われた数学オリンピック、ロシア語オリンピックに出場し、ロシア語オリンピックでは優勝しました。ただ、東独の共産主義イデオロギーとは相いれないキリスト教牧師の娘故に、東独社会からは疎まれていたところがあります。
子供の時から、社会主義統一党(共産党)傘下の青年組織で活動し、反体制活動に参加したことはありませんが、政治、社会に関する関心は高く、1980年からのポーランドの連帯運動に共鳴していたことが当局に知られ、シュタージ(東独秘密警察)の監視対象となったこともあります。東独はメルケルにとって、けっして過ごしやすい体制ではなく、政治とは無縁な物理学を専攻し、ベルリンにある科学アカデミーに研究者として就職しました。
「ベルリンの壁」崩壊後、新政党に参加
1989年にベルリンの壁が崩れたとき、ようやく思う存分活動する時が来た、と思ったのも当然でしょう。さっそく東独の新政党「民主的出発」に参加し、それがきっかけで、東独新政府の副広報官のポストを得ます。CDUに入党し、90年の統一後、当時のコール首相によって、連邦議会議員の初当選議員ながら女性、青年問題相に抜てきされました。党務でも98年、野党に転じたCDUの幹事長、2000年には同党初の女性党首に就任し、ドイツの主要政治家の一人に成長します。
2005年に僅差でシュレーダー首相(当時)をたてた社会民主党(SPD)に勝ち、首相の座を獲得しました。慎重な政治姿勢から、最初の頃は決断が遅いなどとの批判があり、支持率も低下した時期もありましたが、08年のリーマン・ショックをきっかけとした世界金融危機や、09年以降のユーロ危機に対し、手堅い危機管理能力を発揮し、国民の信頼を得ました。ドイツ経済は現在、危機の中にあっても、欧州の中で独り勝ち、といわれるほど好調で、今回の与党大勝も、メルケル個人の政治手腕への信頼が最大の要因と分析されています。
政治手腕への期待と飾らない人柄で人気
もう一つ、ドイツ国民の中でメルケルの人気が高いのは、その飾らない人柄です。ドイツの大衆紙ビルトには、ベルリンの普通のスーパーマーケットで買い物をするメルケルの姿を写した読者提供写真が、時々掲載されます。昨年のバイロイト音楽祭には、08年同音楽祭で身に着けたのと同じドレスで会場に現れ、話題となりました。
メルケルは質素や冷静さなどドイツ人が望ましいと思う資質を備えていると見られているのです。
=文中敬称略=
(編集委員 三好範英)
(2013年10月8日 読売新聞)

http://photo.sankei.jp.msn.com/info/data/2013/03/0316sato/
【今日の御言葉】