不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
【コリントの信徒への手紙一 / 13章 6節】新約聖書 新共同訳
私たちは愛で生まれ
愛で生き
息子・娘を産んで
愛の目的地に到着して
永遠に神様と共に生きるために
神様の所に帰るのです。
私たちの一生は
愛で始まって
愛で熟して
愛の実として収められるのです。
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★宗教改革の先駆者…
ヤン・フス(1370年ごろ~1415年)チェコ・フシネツ
: ちきゅう時の散歩 : 旅のしおり : 新おとな総研 :
YOMIURI ONLINE(読売新聞)
◆読売新聞 2013年6月14日
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▲ヤン・フスの故郷のフシネツの目抜き通りは今日、鮮やかな色に塗られた建物が連なる
15世紀、チェコでカトリック教会を批判し、欧州の宗教改革の先駆けとなったヤン・フス。南部フシネツの貧しい農家出身のフスは、今でもチェコの人々から敬愛を集めている。
鮮やかな色の建物が続くフシネツの目抜き通りの端に、ヤン・フス博物館がある。かつてフスの生家があった場所という。「正しいと信じたことを貫き通す意志の強さが、感動を呼ぶ」。フスが異端の罪で火あぶりにされる場面を描いたパネルの前で、学芸員のヤナ・マウノバさん(30)が力を込めた。
フスの肖像画や彫像は丸顔だったり面長だったり、まちまちだ。「チェコがオーストリアのハプスブルク家に支配された時代、フスに関係する絵や書物は焼き尽くされた。本当の姿は誰もわからない」。マウノバさんが説明した。
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▲ヤン・フス博物館内にある、フスが暮らしていた当時を再現する部屋
塩の交易ルートに沿うフシネツで育ったフスが、プラハのカレル大学で神学を学ぼうと思ったのは、聖職者の静かな暮らしに憧れたからという。その後の荒波は想像しなかっただろう。フスはカレル大学の教授、総長と出世する間、英国の聖職者ジョン・ウィクリフによるカトリック批判に共鳴し、教会改革に目覚める。免罪符販売や聖職売買を厳しく非難した。
無論、カトリック教会は黙っていない。フスはローマ教皇から破門され、ドイツ・コンスタンツで異端審問にかけられた。自説の撤回を拒み、火刑になったのは1415年。最期の言葉は「真実は勝つ」だったとされる。
プラハの礼拝堂の司祭としても、平易な言葉で語ったフスは、貴族や民衆の間で支持を広げた。フスの処刑後、フスを慕う人々が反乱を起こしたのが、約20年に及んだフス戦争だ。ローマ教皇の命令で、フス派討伐の「十字軍」が再三送られたが、フス派が毎回勝利した。この期間は、チェコが外国の干渉に打ち勝った、民族の栄光の時代として刻まれている。
◆郷土の人々に愛され続ける
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▲フシネツの中央に立つヤン・フスのブロンズ像
17世紀以後、チェコを支配したハプスブルク家は、カトリック化政策を徹底してフス派を排斥したため、フスの記憶はかき消された。それでも19世紀、民族主義運動が勢いを増すと、フスは外国支配への抵抗の象徴として復権する。20世紀の初め、チェコスロバキア共和国初代大統領に就いたトマーシュ・マサリクはフスの「真実は勝つ」を国の標語にした。
「フスは、共産政権時代に対して複雑な思いがあるだろう」。こう語るのは、フシネツのルドビク・フリードバーガー町長(62)だ。町の真ん中に、フスの大きなブロンズ像が立つ。冷戦時代、共産主義政権が建てたものだ。「共産党は、教会権力に挑んだフスを革命家と呼び、同志として宣伝した」と町長は言う。
その共産党政権が民主革命で倒れて20年以上。「フスが郷土の出身というだけで、うれしいじゃない」。像の近くでペットフード店を営むブランカ・チェルマコバさん(34)は笑う。静寂を求めてフシネツを出発したフスは、ようやく穏やかな居場所を得たようだ。(文と写真 石黒穣)
( 読売新聞2013年6月14日 )
【ヤン フス】
カトリック教会の改革を唱え、教会の土地所有などを批判。異端者とされて火刑に処せられたのは、ドイツでルターが1517年に「95か条の意見書」を出して宗教改革の口火を切る約100年前にあたる。
◆コリントの信徒への手紙一 / 5章 8節
だから、古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、
パン種の入っていない、
純粋で真実のパンで過越祭を祝おうではありませんか。