地上を旅する教会

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立証【【袴田事件】 洗礼を受けた元裁判官 一審死刑判決、 今も悔やむ 「謝りたい」】

2014-04-01 04:18:05 | 今日の御言葉


わたしがあなたがた一同について
このように考えるのは、当然です。
というのは、監禁されているときも、
福音を弁明し立証するときも、
あなたがた一同のことを、
共に恵みにあずかる者と思って、
心に留めているからです。

「フィリピの信徒への手紙」/ 1章 7節
新共同訳 新約聖書



人生を歩んでいけば、
ありとあらゆることを
すべて経験するようになるものです。

いくら仲の良い夫婦でも、
一緒に暮らしていれば、
互いに小言も言い、
怒鳴ることもありますが、
子供たちが入ってきたら、
ぴたっと止めなければなりません。

いくら腹の立つことがあっても、
子供たちに接するときだけは、
穏やかにしなければなりません。

子供たちが、
「わが家はとても和気藹々(あいあい)としていて、
お父さんとお母さんは本当に仲が良い」
と思って
育つようにしなければならないのです。




▲再審開始決定後の静岡地裁前で行われた集会で
熊本典道・元静岡地裁裁判官の写真を
手に語る門間幸枝さん
=27日、静岡市葵区で
(写真:行本尚史撮影)


1980年に死刑が確定して以来、4年後の
1984年のクリスマス・イブに、
袴田巌さんは獄中で教誨師の志村辰弥神父から
カトリックの洗礼を受けた。
獄中で聖書を読んでは祈っていたという。


★【袴田事件】 一審死刑判決、
今も悔やむ 「謝りたい」と元裁判官 :

◆47トピックス - 47NEWS(よんななニュース)2014年3月27日

http://www.47news.jp/smp/47topics/e/251834.php



洗礼の準備のため訪れたカトリック教会で、
神父の説明を聞く元裁判官の熊本典道さん
=1月、福岡県古賀市



静岡地裁の元裁判官、熊本典道さん(76)は、袴田巌死刑囚(78)を死刑とする判決文を書いたことを今も悔やんでいる。「こんな証拠で死刑にするのはむちゃ」と訴えたが、先輩の裁判官2人を説得できなかった。「袴田君に謝りたい。申し訳なかった」。その目は止めどない涙であふれる。判決から46年、この思いが晴れたことはない。

▽多数決

一審を担当した3人の裁判官で最も若かった熊本さんは公判の途中から裁判に加わった。審理が進めば進むほど、自白や証拠への疑問が湧き上がった。しかし、有罪の心証を持っていた先輩裁判官2人と多数決になり、死刑判決を書くことを命じられた。書きかけていた無罪の判決文を破り捨てたという。

死刑判決の付言で「長時間にわたり被告人を取り調べ、自白の獲得にきゅうきゅうとし、物的証拠の捜査を怠った」と捜査批判を繰り広げたのは、控訴審で捜査のおかしさに気付いてもらい、判決を破棄してほしかったから。だが、控訴審や上告審、第1次請求審で、死刑判決が覆ることはなかった。

▽告白

「心にもない判決を書いた」と良心の呵責に耐えきれず、判決の翌年に裁判官を辞めた。弁護士になったものの、法廷で「私はやっていません」と訴えた袴田死刑囚のまなざしが忘れられない。酒浸りの生活を送り、一時期は自殺を考えたこともあった。弁護士も辞めてしまった。

第1次再審請求の特別抗告審が大詰めを迎えた2007年に、無罪の心証を持っていたことを初めて明らかにした。「勇気ある告白」と称賛する声も多く寄せられたが、自分の中では「もっと早く言わないといけなかった」との思いの方が強かった。最高裁は特別抗告を棄却し、告白は実を結ばなかった。

▽洗礼

「袴田君の気持ちを少しでも理解したい」。東京拘置所で84年にキリスト教の洗礼を受けた袴田死刑囚の心に近づこうと、自身も今年2月22日、カトリックの洗礼を受けた。

脳梗塞で足や言葉が不自由となっているため、神父に福岡市の自宅に来てもらった。聖水を頭にかけられると、感激のあまり、おえつが漏れた。「袴田さんの心に近づけましたか」と問われると、すっきりした表情で深くうなずいた。

袴田死刑囚の第2次再審請求で、静岡地裁は27日に再審可否の判断を示す。「再審は開始されるのか」と問い掛けると、熊本さんは即座に「開始は考えられない」と言い切った。「司法はあの時と何も変わっていないから」

(共同通信)
(2014/03/27 11:31)



★袴田事件再審決定(3):
ゴーチェ神父「カトリック信者だから応援ではなく、
人間として手を差し伸べて」 : 社会 :

★クリスチャントゥデイ 2014年3月28日

http://www.christiantoday.co.jp/articles/13062/20140328/hakamada-case-3.htm



▲袴田巌さんを乗せて東京拘置所を出る車
=27日午後5時22分ごろ
(写真:行本尚史撮影)


静岡地裁の近くにある静岡カトリック教会で1996年から2008年まで主任司祭を務め、そこで再審の署名活動を支援したという、パリ外国宣教会静岡本部のミシェル・ゴーチェ神父(72)は27日、本紙に対し、「教会は、(袴田さんが)カトリック信者だから応援しようというのではなく、人間として手を差し伸べてほしい。(正しい者にも正しくない者にも)雨を降らせてくださる(マタイによる福音書5章45節)と聖書に書いてある通り」と話した。

同日午後5時22分ごろ、巌さんが拘置されていた東京拘置所で大勢の報道陣が詰めかける中、黒塗りガラスの車が1台、同拘置所から出ていった。

その直後に袴田さん弁護団の戸館圭之弁護士(33)は、同拘置所前で記者団に対し、「いま袴田巌さんが釈放されました。今の車に乗ってました」と語った。

これに先立って同拘置所で秀子さんとともに巌さんに面会をしていた2人の弁護士のうちの1人である戸館弁護士は、「検察側は即時抗告を申し立てたと同時に、静岡地裁の拘置の執行停止に対する執行停止の申し立てをしたんですが、東京高裁はその執行停止をしないという判断をしたことから、拘置所が検察庁に釈放指揮をすることになり、先ほど袴田巌さんは東京拘置所を釈放され、いまお姉さんと一緒に外に出たということです」と説明した。

同弁護士によると、面会の際に再審開始決定書を見せて何度も伝えても、巌さんは当初、「そんなのウソだ」「袴田事件はもう終わったんだ」などと語り、にわかに信じられない様子だったが、淡々とした表情で、自分が釈放されるんだという認識はあったという。

同弁護士はまた、巌さんはかなり精神的に異常な状態で、身体的にも血糖値が高いという。釈放後は静岡に帰るか、またはいったんどこかに宿泊するか病院に行くか決めていないと語った。巌さんは釈放された際、黄色っぽい半そでシャツ姿で、身の回りの手荷物以外はダンボールで後で郵送することになっているといい、所持品である手提げ袋はガムテープで留めてあり、中身は見えなかったという。

東京拘置所でかつて支援団体の代表者として巌さんとの面会権を持っていたという門間幸枝さんは、巌さんが釈放される直前に同拘置所前で本紙に対し、今回の面会者たちから聞いた話として、「『門間』って言ったら、(巌さんは)『ああ、あの10回ぐらい来てるやつか』って言ったんだそうです。だから、わかってるんですね。それはうれしかったですね」と語った。

なお、『主よ、いつまでですか~無実の死刑囚・袴田巌獄中書簡』の内容について、新教出版社はウェブページで、「殺人の冤罪で死刑を宣告され、獄中から無実を叫び続けている、元日本フェザー級6位、プロボクサーの袴田巌さんが、真実の裁きを求めて綴る書簡」「1966年、静岡県清水市で起きた一家4人殺しの罪を着せられた袴田さんが、その獄中で書きつづった、身の潔白と再審を願う祈り、肉親への切々たる思い、そしてキリスト信仰を持つに至った信仰的断章を、『救う会』の責任で編集」と紹介している。


▲「無実の死刑囚・袴田巌さんを救う会」編
『主よ、いつまでですか
~無実の死刑囚・袴田巌獄中書簡』
(新教出版社、1992年)

(クリスチャントゥデイ 2014年3月28日)


■ 袴田事件再審決定:(1)(2)(3)
http://www.christiantoday.co.jp/articles/13059/20140328/hakamada-case-1.htm



【今日の御言葉】


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