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貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、
したいときに良いことをしてやれる。
しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。
「マルコによる福音書」 / 14章 7節
新約聖書 新共同訳
憎しみのあるところに愛を
罪のあるところにゆるしを
争いのあるところに一致を
誤りのあるところに真理を
疑いのあるところに信仰を
絶望のあるところに希望を
闇のあるところに光を
悲しみのあるところに喜びを
慰められるよりも慰めることを
理解されるよりも理解することを
愛されるよりは愛することを
アッシジの聖フランシスコより
マザーテレサの愛した祈り
(マザーテレサ『愛のことば』より)
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★「解放の神学」の時代が到来? 国際
◆クリスチャントゥデイ2013年9月30日
【CJC=東京】
フランシスコほどメディアの注目を集めた教皇はいない。選出されると、宿舎へ費用支払いに出向き、ブエノスアイレスの新聞店に電話して購読取り止めを伝えた。さらに歴代教皇の居館ではなく、宿泊施設「聖マルタの家」に住み、夏の間も避暑に行かずそこに留まったことなどは、すぐにニュースとなって流れた。さらに自分が属している修道会「イエズス会」の雑誌のインタビューでは、映画の趣味にまで触れるなど、これほどに実生活を知られた教皇はフランシスコが始めてだ。
一方で、バチカン(ローマ教皇庁)改革への手も着々と打ち始めている。こちらは、それほどあけすけに語っていないだけに、教皇は何をどこまで改革しようとしているのか、疑念も湧いている。その一つが「解放の神学」をどう扱うかだ。
教皇は9月11日、「解放の神学の父」ともされているグスタボ・グティエレス神父(85)と会見した。「聖マルタの家」で私的に行い、公式日程には含まれなかった。ただバチカンの機関紙「ロッセルバトレ・ロマノ」が、同神父とのインタビュー記事や神父自身の寄稿を相次いで掲載、さらに教理省長官のゲルハルト・ルートヴィヒ・ミュラー大司教が同神父の働きを称賛した記事も掲載したことは見逃せない。
「解放の神学」については、1990年代に入っても、教理省がグティエレス神父の働きに批判を加え、その神学的、司牧的見解について修正するよう要求していた。
教皇フランシスコはイエズス会アルゼンチン管区長だった当時、特に軍事独裁政権下にあっては司祭の政治関与には消極的で「解放の神学」の同調者とは見られていなかった。しかし2007年のラテンアメリカ司教協議会の第5回総会がブラジルのアパレシアーダで開催された時、最終文書の主な著者として、当時のベルゴリオ枢機卿は、「解放の神学」という言葉は使わなかったものの、「公正で友愛あふれる社会の建設」について「全ての人に健康、食糧、教育、住居、働きを」と強く訴えることで、その精神を正統的に示した。
教皇フランシスコの選出は、社会正義の追及がキリスト教信仰の必然的な帰結、ということの力強い確認であったと見られる。しかし教皇選出のコンクラーベの僅か9カ月前の昨年7月、ミュラー大司教を教理省長官に任命した時、当時の教皇ベネディクト16世が、同大司教が他ならぬグティエレス神父を称賛し、共著もあることを知っていたことも確か。それからすると、「解放の神学」に対するバチカンの「姿勢転換」はすでにその兆しを見せていたのではないか、とCNS通信のフランシス・ロッカ記者は報じている。
長くバチカンの批判にさらされていた「解放の神学」が、貧者の側に立つ教会を目指すフランシスコ教皇の下で一転、脚光を浴びるようになるのは確実だ。
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★ウィーン発 『コンフィデンシャル』
新ローマ法王は解放神学者か
◆世界日報日本語版 2013年03月28日 06:00
南米教会出身のローマ法王フランシスコが就任以来、貧者の救済を頻繁に言及するため、「法王は南米の神学といわれる解放神学の信奉者ではないか」という声が聞かれる。イタリアのメディアの中には、法王を「革命者」と報じているほどだ。
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▲貧者の救済を主張するフランシスコ法王(オーストリア国営放送の中継から撮影、2013年3月13日)
それに対し、バチカン法王庁教理省長官のゲルハルト・ルードヴィヒ・ミュラー大司教は「新法王は貧者の救済に尽力を投入してきた。迫害され、不公平な扱いを受けてきた人々や民族に対して支援することはキリスト教の人間観に基づく行為だ。悲惨な状況を黙認することはできない」と強調する一方、「だからといって、新法王を解放神学者と断言することは不適当だ」と説明している。オーストリアのカトプレス通信社との会見の中で語った。
解放神学とバチカンの関係は長い。教会の近代化が提唱された第2バチカン公会議の直後、南米司教会議がコロンビアのメデジンで開催された。そこで第2公会議の精神に基づき、抑圧された民族の解放問題が協議され、社会の改革に積極的に推進していく事が決定された。抑圧された貧者たちの視点を重視する解放神学の誕生だ。
バチカンは1980年代に入り、南米教会で広がっていった解放神学に警戒心を高めている。特に、解放神学がマルクス主義に接近していく傾向が見え出したからだ。バチカン教理省長官に就任したヨーゼフ・・ラッツィンガー枢機卿(後日、ベネディクト16世)は南米の解放神学者グスタボ・グティエレス氏やレオナルド・ボブ氏の著作を批判、1984年には教理省の名で「解放の神学のいくつかの側面に関する指針」を発表、解放神学に警告を発した。
しかし、ヨハネ・パウロ2世は86年3月、南米訪問で悲惨な現状を目撃した後、ブラジル司教会議関係者との会見で解放神学の正当性を認めている。そしてバチカンは同年4月、「自由の自覚=キリスト者の自由と解放に関する指針」を公表した。同指針は解放神学に対するバチカンの公式見解と受け取られている。ちなみに、世界的な神学者でもあるべネディクト16世は「解放神学はカトリック教理と合致しない。神の王国という概念を誤解し、政治を神性化して革命を信者に呼び掛けている」と批判している。バチカンの懸念は、解放神学が地上の人間の業(革命、改革など)を重視する結果、神の救済の業が軽視されるのではないか、という点だ。
冷戦の終焉(しゅうえん)後、欧州では解放神学はその魅力を急速に失っていったが、解放神学そのものは決して消滅したわけではなく、フェミニスト神学や超教派運動などの中で生き延びてきた。
ミュラー長官は「解放神学の見直しは必要ではない。バチカンは1986年の指針の中で公式見解を発表済みだからだ。同指針は解放神学に対するカトリック教義から見た評価だ」という。
同長官は「新法王はローマ法王としてまだ自身のコンセプトを提示していない。明確な点は南米教会での経験が強く反映されていくことは考えられるが、カトリック教会は世界教会だ。全ての教会が南米教会と同様の対応が必要とは思わない」と述べている。
(http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52026609.html)
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▲教皇フランシスコの人生の歩み (参照資料)