[映画紹介]
この映画を観るには、覚悟が必要。
パリで大学生のアンヌは、
成績優秀、教授の覚えもよく、
未来が嘱望されていた。
そのアンヌに不幸が襲う。
一夜のあやまちで、妊娠してしまったのだ。
子どもを抱えては進学はあきらめざるを得ない。
それはアンヌの未来が閉ざされることになる。
そのアンヌの苦闘の12週間が描かれる。
映画が描く1960年代のフランスでは
中絶は違法。
医師は「私が逮捕されてしまう」と取り合ってくれない。
しかも、重要な試験が迫っている。
いろいろ試してみるが、お腹の子どもはどんどん成長してしまう。
セックスの相手はあてにならない。
そんな時、秘密の堕胎医がいることを教えてくれた人がいる。
費用は前払いで400フラン。
アクセサリーを売り、本を売り、
最後は(多分)体も売って、
薄汚いアパートの一室で処置を受けるが・・・
この堕胎のシーンが強烈。
カメラは固定で、もぐりの女医によっての中絶手術を見守る。
音とアンヌの反応が観客の生理に響く。
結果は思わしくなく、
アンヌは自分で処置をするが・・・
痛みにのたうちまわり、
降りてきたものをハサミで切り取ろうと、
トイレでの血みどろの描写が続く。
その時の音も不快なことこの上ない。
男女共に責任を負うべきなのに、
肉体は一方的に女性に負担を強いる。
その理不尽、その不公平。
堕胎は、自分の将来を確保するための自衛の手段。
子供を産んで自分の未来を犠牲にするのか。
貧しい労働者階級の生まれを脱却するには、
未来に投資するしかない。
しかし、法律の壁があり、それは打破しなければならない。
胎内に成長するわが子への愛情など、微塵も湧かない。
それよりも自分の未来の方が大切だからだ。
カメラは、ほとんどアンヌのアップや、
後頭部にへばりつく。
映し出される画面の一部に、
必ずアンヌの肩や背中が映り込む。
カメラの一人称とは異なるが、
明白な一人称映画で、
カメラと主人公が一体化する。
こんな撮影方法があるんだと感心した。
それだけに、観客は、映像を体験的に受け止める。
没入感と臨場感は半端ではない、
特殊な映画化体験と言えよう。
今年ノーベル賞を受章したアニー・エルノー(82)の「事件」(2000)を映画化。
彼女の作品はほとんど自伝的な小説だという。
監督はオードレイ・ディヴァン。
2021年ヴェネチア国際映画祭で最高賞を受賞。
体当たり主演のアナマリア・ヴァルトロメイは、セザール賞を受章。
1975年、フランスでは、人工妊娠中絶を合法化した。
ジスカール・デスタン大統領政権下、
人工妊娠中絶を認める法案が、非難の内に可決され、
翌年、合法化された。
カトリック主要国で初。
女性解放運動の高まりの中で女優たちが後押ししたことも一因だった。
今では、フランスでは中絶は女性の権利とされている。
それにしても、この邦題は何とかならないか。
原題は「事件」(L'EVENEMENT)。
英語題ではHAPPENING 。
せめて、「アンヌの憂鬱」とか、
文学的香りのする邦題は考えつかなかったのか。
原作は、「嫉妬」(早川書房) に併録されている。
もう一度言うが、
この映画を観るには、覚悟が必要だ。
5段階評価の「4」。
ル・シネマ他で上映中。
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