空飛ぶ自由人・2

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映画『3人のキリスト』

2022年07月24日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

1959年の夏、
精神科医アラン・ストーンは
ミシガン州・イプシランティ州立病院で、
自分がイエス・キリストだと主張する
3人の妄想型統合失調症患者
ジョセフ、クライド、リオンの治療にあたる。
ストーンは大部屋にいた3人を一室に同居させ、
議長を決めて討論会を開いたり、合唱したり、トランプをしたり、
当時としては異例とも言える全く新しい独創的な治療法を試みた。
最初のうち3人は目を合わせようともしない険悪な仲だったが、
次第にその関係に変化が起こり始めて・・・

という話をリチャード・ギアがストーン医師を演ずる、
ギア頼りの映画。


ピーター・ディンクレイジらが共演している。

その背景として、
学者の主導権争いも描かれる。
そもそもストーン医師は研究畑の人材で、
精神病院での敬意は得られず、
座学だけで実地を知らない大先生扱いだった。
当時は、精神病院の治療といえば、
ノボトミー手術や電気ショック、薬物投与が主流の時代。
ストーン医師の心理療法は、それに反抗したもので、
患者の背景を探り、
会話の中での自己治療を探るもの。
既存医療を実践している現場の医師達には面白いはずがない。
しかし、ストーン医師の方法が評価され、
業界紙の表紙を飾るようになると、
他の医師は手のひらを返してストーンの手柄を横取りしようとする。
冷ややかに見ていた所長は成果を知って急に協力を申し出たりする。

実話に基づく、という。
社会心理学者のミルトン・ロキーチが、
妄想型統合失調症患者に対して
実際に行った心理学的実験に基づく。
その内容は、1964年に出版された研究書
「イプシランティの3人のキリスト」に詳しい。


Wikipedia にも載っているので、
少し概要を紹介すると───。                          
ロキーチは、雑誌に掲載された2人の女性の記事から
この実験のアイデアを得たという。
彼女たちはどちらも自分のことを聖母マリアだと信じていた。
2人は精神病院でルームメイトとして同室を割り当てられたが、
互いに会話を重ねた結果、そのうち1人が妄想から抜けだし、
退院することができたという記事だった。

同じやり方を用いて妄想型の信念体系の研究をするために、
ロキーチは当時ミシガン州に10人(!)ほどいた、
自分がキリストだと主張する精神障害者のうち
3人を選び、病院の一室に集めた。
大学を中退した青年、農業を営む老人、粗暴な作家崩れ、の3人。
ロキーチの狙いは、自分をキリストと思い込む妄想の治療のみならず、
複数の人間が自分と同じアイデンティティを主張するという
「究極の矛盾」との対峙を患者たちの人格に迫ることでもあった。

3人のキリストは、
2年間にわたって隣り合わせのベッドで眠り、
同じテーブルで食事をとり、
病院の洗濯室で似たような仕事をさせられた。
ロキーチは、集団療法の一環として
彼らが直接話し合う時間を持っただけでなく、
青年の妻(青年の想像上の人物)からのメッセージをでっち上げてまで介入を行った。
この実験は地元紙に取りあげられ、
ロキーチは記事を3人に読ませたが、
彼らはそれが自分たちのことだとは気づかなかったという。

3人の患者たちは誰が本当の聖者であるかを巡って口論し、
殴り合いにまで至ることもあった。
そして、自分以外の2人は精神を病んで入院している患者であったり、
すでに死んでいて機械で操られている人間なのだと
ロキーチに説明するようになった。
また彼らは自分がキリストであるかという話を互いに避けるようにもなった。
患者の妄想がいくらかでも軽減することを期待して行われた実験だったのだが、
ロキーチが結局それを諦めたため、
3人の患者は自分がキリストであるという信念を抱いたまま実験から解放された。

えっ?

ロキーチとともにこのプロジェクトに携わった大学院生たちは、
この計画の倫理性に対してきわめて強い批判を行っている。
ロキーチは大量の不正と介入を行っており、
また患者にも相当な精神的苦痛を強いることになったからだ。
最終的に、ロキーチは自分の研究が操作的であり非倫理的だと考えるに至り、
1984年版の「あとがき」で謝罪の言葉を述べている。
「例え科学の名においてだろうと、神のまねごとをしたり、
日常生活へ夜昼なしに介入する権利が私にあるはずがない」。
また本書の最終改定版でロキーチは、
この実験が3人のキリストたちを全く治療できなかった一方、
「患者がその信念を捨てるよう操作できるという、
自分を神のごとき存在と考える私の妄想は治った」
と述べている。

何のこっちゃ。
つまり、この実験は失敗したのか。

そこまでは映画は描いていない。
そこまでやれば、
心理療法の限界を示す、
画期的な映画になっただろうに。
ラストに字幕で
「私は神を自称する彼らを治療してやれなかったが、
彼らは私を癒した」
と出るが、
そんなことでは困る。

つまり、この映画は、
原作とはかけ離れた内容となっている。
患者の一人を小人症にしたり、
妻との関係、若い美人の助手との関係など、
映画化にあたっての作り上げた話も多い。
調査した結果を助手が報告して、
「シンデレラが3人、アイゼンハワーガ2人、
デューク・エリントンが1人います」
と言うのは笑えた。

この作品は2016年に撮影され、
2017年のトロント映画祭で初お目見えしたのだが、
その後お蔵入りして、
(おそらく評判が悪くて)
2020年1月に全米公開された。
日本では劇場公開すらされず、
2022年に配信公開となった。

Netflixで鑑賞。
題名に惹かれて鑑賞したが、題名倒れだった。
そもそも原題は「STATE OF MIND」
ブログ冒頭に掲げたものは、宣伝用のもの。

統合失調症は、日本では2002年まで精神分裂症と呼ばれていたが、
今は人格の統合に障害がある人、ということらしい。
一般に幻聴や幻覚、異常行動が見られる。
発症のメカニズムや根本的な原因は解明されていない。
様々な仮説が提唱されているが、未だに決定的な定説が確立されていない。
つまり、人間の心の領域は謎、ということだろう。

有病者の人数は、世界では2300万人ほどで、
日本では71万3千人の患者がいると推計されている。
治療には、医師の気の遠くなるような忍耐が必要とされる。

 


すしランチざんまい

2022年07月23日 23時00分00秒 | 身辺雑記

映画のついでに、有楽町で、↓の店に。

立ち食い寿司の店です。

4段階ありますが、一番安い「旬」を注文。

こんな感じ。

職人さんは、両手にビニール手袋を装着。

 

別の日、同じ有楽町で、線路下にある↓の店に。

ここも立ち食いです。

量の多い、これに。

立ち食いのはずが、席があります。

こんな感じ。

シャリが大きく、食べすぎた感じに。

ここは、なぜか右手だけにビニール手袋を装着。

 

別の日、海浜幕張の↓この店に。

ランチメニューはこれ。

前回のことがあるので、少な目のこれに。

こんな感じ。

ここは、ビニール手袋はしていませんでした。

高級寿司とはいきませんが、やはり、寿司はいいですね。

 


『ぼくらの選択/雄志篇/虎穴篇/天命篇』

2022年07月21日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

青山繁晴氏は、1952年生まれの69歳。
早稲田大学政経学部卒。
共同通信記者、三菱総研研究員を経て、
シンクタンク独立総合研究所を創設、
2016年参議院議員になり、
議員集団「日本の尊厳と国益を護る会」の代表。


この本は、「月刊Hanada」に
2017年10月号から2022年5月号まで連載したものを
単行本化。
この6月に3冊同時発売された。
各巻422ページ、437ページ、429ページで、
計1288ページの大著だが、
各巻1500円と安い。
一気に読んだ。

青山繁晴という人は、
時々テレビのインタビューで、
本質をついた正しいことを言う人、くらいの認識だったが、
この3冊の本を読んで、驚倒した。
こんな気骨のある、世界と日本を正しく認識している国会議員がいたのか
と希望を新たにした。

自分を「物書き」と自認する氏は、
議員に立候補せよという要請を断り続けてきたが、
ついに、安倍元首相からの
「青山さんが来れば、外務省が、経産省が、自民党が変わる」という言葉に翻意。
6年前の参議院議員選挙に比例代表として立候補。
48万1890票を獲得して当選した。
議員になってから後も、政治献金を1円も受け取らず、
政治資金集めのパーティーも開かず、
後援会は作らず、従って後援会長もいない。
選挙のために活動するのではないからだ。
団体支援もお断りし、
派閥にも属さず、
独立した立場で議員活動をしている。
地元も作らない。
憲法が定めるとおり、
特別職の国家公務員である国会議員はた
全体の奉仕者であるべきだからだ。

その代わり、誰に遠慮することも、
指示を受けることもない。
国会議員とは命も要らぬ、金も要らぬ、
地位も要らぬ、虚名も要らぬの仕事であるから、
当然のことに過ぎない。

という。
その背景は、主権者たる国民から
委託を受けて、国会で議論する立場ということで、
頭を下げるのは、ただ、主権者たる国民だけ、ということを貫いている。

出張も自費で賄い、
度々アメリカに出かけ、政治家、軍人と
通訳なしで会話をしている。

「護る会」は、
皇位継承を父系一系によって安心させること、
中韓による国土の侵蝕を阻むこと、
スパイ防止法を成立させること
という3本柱を立てている。
旧来の派閥とは異なり
権力争いには一切、関わらない。
おカネも全く動かない。
他の議連が長老議員を最高顧問、顧問として
頭にのせることとも違い、その慣習は採らない。

なにしろ大部であるから、要約は難しいが、
要点は、
日本が日本としてあるべき姿を貫き、
国民を守る規定のない憲法改正をすべきだ
ということだ。
敗戦後の祖国が見失ったままの
国家の理念、国家の哲学を模索する。
従って、中国やロシアの専横には、
厳しい目を向ける。
更に、左寄りのメディアを「オールドメディア」と呼んで、
鉄槌を下す。

以下、めぼしい論を抜粋する。

集団的自衛権とは、
第二次世界大戦後に
平和を守るための最も基本的なノウハウとして確立し、
国際法の中心を成すものだ。

憲法改正は、時代と共に変化させるのは当然で、
96条には、憲法改正の規定がある。
にもかかわらず護憲を言う人は、実は憲法の規定に反しているのだ、と言う。

オールドメディア、特に朝日新聞は、
安倍政権を目の敵にする。


理由は明白だ。
改憲を目指す政権は
どんな手段を使ってでも倒したい。
それが朝日新聞にとっては正義なのだ。

安倍首相を攻撃するためのモリ・カケの国会審議を
「冤罪」「国会の闇」と断じ、
そのために、毎日3億円もかかる国会運営を嘆く。

そして、憲法改正を主張する。

日本国憲法はその百三条に及ぶ長大な条文のうち
9条一箇所にしか、
国民をどう護るかの定めがない。
その九条は、自国民を護る手段を全て悉く否定し尽くしている。

ただし憲法改正は、一度運用を誤れば、
国民投票で否決されかねない。
9条改正について、青山氏は瞠目するような提案をする。
自衛隊を固定化するよりも、
9条に第3項として、「本九条は自衛権の発動を妨げない」
という一項を付け加えるとしたのだ。
これなら国民投票で賛同を得られるだろう案だ。
これを受けて自民党の憲法改正案は
「自衛の措置を妨げない」と取り入れた。
しかも、欄外に「注」として、
「自衛の措置とは自衛権の発動である」と書き込まれている。

日本には、西洋の多数決の民主主義ではなく、
日本オリジナルの「民が主である」という民主主義がある。
それが天皇で、
天皇陛下は、民の幸せを祈る存在。
日本書紀には仁徳天皇の「民の竈」の話があるが、
それが神話であれ、
その理念が日本書紀に明示してあることは否定のしようがない。

(日教組について)
教育が国際社会の常識からかけ離れる。
祖国を貶めることこそ熱心で、
生まれた国という、誰にもかけがえのない土台を愛することは教えない恐るべき教育、
諸外国では想像もされない教育が日本の子どもたちに降り注ぐ。

初等教育で祖国を愛することを
人間の基本として教えることがないのは、
わたしが足で回ってきた世界で、
日本ただ一国である。

(外国人労働者に頼るのは反対)
われらの同胞(はらから)の就職氷河期世代の人々、
そして武漢熱クライシスで内定を取り消された若者たち、
引き籠もりと呼ばれる人々、
さらに女性と高齢者、
この日本国民が働きたいだけ働けるのが最優先でなければならない。

(中国について)
中国は、どれほどカネを使っても
世界の覇者やリーダーになることはないと、
わたしは長年,指摘してきた。
なぜか。
中国が普遍的な価値を持たないからだ。

中国はその永い歴史で、
ただの一度も自由と民主主義を国民にもたらしたことがない。
もしも中国が民主主義を導入すれば、
広すぎる国土、多すぎる人口、多すぎる異民族を
コントロールすることは不可能だ。
独裁しかないのである。

中国共産党の宣言は
ただただ、漢民族が世界を支配するという妄執、
いや、それに見せかけた習近平国家主席の個人的欲望の宣言である。

共産党支配の中華人民共和国が
世界の厄災であることに
疑いを持つ国やひとびとは
今や、ない。

次の記述は震えを覚える。

2020年8月、
ドイツの連邦憲法擁護庁が発した警告。
「中国に進出してきたドイツ企業はほぼすべて
ゴールデンスパイによって
中国に情報を窃取されている恐れが強い」
ゴールデンスパイとは何か。
中国は国内へ進出してきた外国企業に
特定の税務ソフトをインストールするよう求めている。
その2時間後、
知らないうちにスパイウェアが勝手にインストールされ、
情報が流出する仕組みだという。

また、沖縄を中国のものにするために、
沖縄でした中国の秘密会議の議事録も背筋が寒くなった。

プーチンと習近平との共通点を上げ、
それに金正恩を加え、こう書く。

人間の歪みをとことんまで煮詰めたような現代の独裁者三人が
(日本の周辺に)揃っている。
この恐るべき東アジアにおいて、
「人のために生きる」という
国家理念を天皇陛下と共に育んできた
日本という存在が、
どれほど人間の救いであるか。

自前の資源としてのメタンハイドレート
活用を推奨する。
このメタンハイドレート、以前から話題になっているのに、
なぜ進まないのだろう。
石油利権のある何者かが邪魔しているのだろうか。

青山さんは、議員に当選しても、
国会の悪しき習慣に染まらなかった。
先方からやってくる政治献金も要らないといった。
これも先方から言って来る、支援団体の申し入れも断った。
もしそうすれば、借りが出来、その団体の利益代弁者になってしまうからだ。
当選議員が先輩たちのやり方を習って、
そうした「しがらみ」の罠に染まっていくことから自由であったのだ。

わたしは幼い頃、
主として母から、
時代錯誤そのものではあるが
武士道教育を受け、
「おのれを売り込まない」
ことが背骨の一個になっている。

青山さんは、先の参議院議員選挙で再選を果たした。
任期は6年ある。
「護る会」の74人の国会議員と共に、
これからの議員活動に期待したい。

 


映画『キャメラを止めるな!』

2022年07月20日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介] 

上田慎一郎監督の「カメラを止めるな!」(2017)のリメイク。
4年前に観た時、
これはアメリカでリメイクささるかもしれないな、
と思ったが、
何とフランスでリメイク
しかも、「アーティスト」(2011)でアカデミー賞の作品賞、監督賞を取った
ミシェル・アザナヴィシウスが監督!
フランスNo.1の人気を誇るロマン・デュリスや、
カンヌ国際映画祭女優賞のベレニス・べジョが出演するというのだから、
只事ではない。
オリジナルが無名の監督、俳優たちによる
低予算の半分自主製作映画だったのに対して、
大きな違いだ。
つまり、日本の映画が
映画発祥の地、フランスで大出世を遂げたのだ。

一体どんな風にリメイクされているか、
期待満々で鑑賞。

驚いた。
オリジナルほとんどそのまま
舞台となる建物と俳優と言語が違うだけ。
混乱の原因である、監督とメイク係の交通事故、
窮余の策としての監督とその妻の代役
アル中の俳優の飲酒、
硬水のミネラルウォーターを飲んでしまったための下痢、
等、一つの違いもなく、オリジナルのまま。
リメイクに際し、オリジナルを変えない、という
契約でも交わしたのではないかと勘繰るくらい。

しかし、たとえば、「42テイク」が「31テイク」になっていたり、
なんちゃって護身術の「ポン!」が本格的護身術になっていたり、
カメラマンのベルトが柱の突起にひっかかって、
役者を追えなくなってしまったり、
カメラマンの動けなくなる原因が倒れただけでなく、腰痛であったり、
映画に音楽を同時に付ける音楽家がいたり、
降りようとする若い俳優にエージェットからメールが来て、
「契約違反になる」と警告されたり、
などと違う場面があるのだから、
一切改変を許さないという契約ではなかったのだろう。
それどころか、
噛まれて感染したと思っていた足の傷がただの汚れだった、というくだりや
頭に斧を乗せたメイク係が
目をさまして「何、あれ」と言うセリフさえカットされている。
壊れたクレンーに代わる人間ピラミッドを見たという
伏線になるのだが・・・

日本でヒットした映画をリメイクする、
というくくりになっていて、
日本から派遣されてきた女性プロデューサーとのやり取りが
付け加わっており、
それはそれで元にはない要素で面白い。


その役を演じた竹原芳子は、
オリジナルでも特異な風貌で、
「こんな顔の人がいるんだ」と、
目を奪ったが、
フランス版でも存在感を示す。
カンヌのレッドカーペットまで行ってしまったので、
俳優としては本望だろう。

しかし、リメイクというものは、
その国の事情に合わせるだけでなく、
新たなアイデアや工夫が施されるものだと思うが、
その形跡はほとんどない。

ということは、オリジナルの脚本が精緻にすぐれていたということか。
それにしても、創作に従事する者として、
新たなアイデアが一つも沸かなかったのか?

と、映画の進行により、
ほとんど同じ、という驚愕に支配。
映画としても面白くなかった。

鑑賞後の感想は、
やはり、この作品のようなワンアイデアのものは、
リメイクしても駄目なのか、と思った。

で、帰宅後、
Netflixでオリジナルを再見した。
面白い。
笑える。
ああ、この映画は、
いろいろなものがうまく働いて化学反応を起こした
奇跡の映画だったのだな、
と再認識した。

5段階評価の「3」

アメリカでリメイクしたら、どうなるのだろう。

 


安倍首相の国葬

2022年07月19日 23時00分00秒 | 政治関係

岸田首相は、暗殺された安倍晋三元首相について
今年秋に国葬を行う方針を明らかにした。
「遣唐使」ならぬ「検討士」の岸田首相にしては
迅速な決断だった。


これに対し、公明はコメントせず、共産、れいわ、社民は反対した。
それ以外にも、国費を使う国葬に反対する声も多い。
決定のプロセスが問題、
基準が曖昧、という意見もある。
そんな基準を今から作っていたら、間に合わないではないか。

反対の声を上げる人は、
安倍首相の海外における評価の高さを知らないのではないか。
安倍元首相は、西側政治家の中で誰よりも早く
専制国家中国の脅威に気づき、
対中包囲網であるTPP(環太平洋パートナーシップ) や
自由で開かれたインド太平洋構想を提起し、
民主主義のクワッド(日米豪印) に動いた。
これらは世界標準の政策であり、
各国首脳からも大きな支持を受けている。
「評価の定まっていない人物を国葬にするのは問題」
という意見もあるが、
世界中の評価で十分である。

安倍元首相は、歴代の首相と一味違い、
日本の復権と憲法改正を訴えたため、
弱い日本を目指す左派が目の仇にした。
朝日新聞をはじめとするオールドメディアは、
「モリカケサクラ」というスキャンダルで
安倍元首相を貶めようとしたが、
モリカケでは、
あれだけの長期間、国会の時間を浪費して、
安倍元首相への嫌疑を証明することは出来なかった。
国家的「冤罪」の追究だった。
サクラでは、安倍元首相の秘書に対する政治資金規正法不記載のみで
安倍元首相は不起訴に終わった。
つまり、モリカケサクラは安倍元首相に問題はなかったのだが、
ただ、イメージ戦略では左派は成果をあげた。
しかし、そんなイメージ戦略に左右されない
海外では、経済・外交安全保障での成果により
高い評価を得たのだ。

その証拠に、
銃撃事件で亡くなった後、
海外の反響は、その死を惜しむ声であふれた。
エリザベス女王、ローマ法王をはじめ、トランプ前大統領、
バイデン大統領、そしてプーチン大統領と
世界各国の要人から追悼の言葉が寄せられた。
ブリンケン国務長官や台湾の頼清徳副総統が来日し、弔問に訪れた。
弔意の数は、259カ国・地域や機関などから計1700以上にのぼっている。
現首相が亡くなったわけではない。
もう2期前の首相であるにもかかわらず、
これほどの弔意が寄せられたのは、
どれほど国際的に評価が高かったかを示している。

米国政府は7月8日の襲撃当日、
ホワイトハウスに半旗を掲げた。


8日から10日まで米国中の国旗が半旗になった。
警察署、郵便局、ガソリンスタンド、スーパーマーケット、
学校から個人の住宅に至るまで多くの半旗が掲げられた。
インドは米国同様、3日間半旗を掲げて弔意を表わした。
オーストラリアでは各都市の建物をライトアップし、
米上院では安倍元首相の功績をたたえる決議案が提出された。
「世界のクロサワ」どころではない、
「世界のアベ」だったのだ。

国内では献花の大行列が1週間経っても途切れず、
葬儀の車の沿道には、人々があふれた。


これだけ内外から評価され、慕われたのだから、安倍元首相の国葬は当然だ。
否、国葬にしなければ、日本国民の意思が疑われる
功績があふれ、総理大臣最長記録を作った人物を
日本国民がどうやって送るか、世界が注目しているのだ。

国葬となれば、各国要人の出席になるから、
日本が「弔問外交」の舞台になる。
弔問に来る外国要人を迎えるには、
「内閣と自民党の合同葬」ではふさわしくない。
国葬でなければ、外国要人に通知のしようがない。
日本が外交舞台になる恰好の機会と考えれば、
国費を使っても、国葬は決して意味のないことではない。
むしろ、国際的に名が知れた安倍元首相の葬儀としてふさわしいものになるだろう。

今、安倍元首相の国葬に一番困っているのは中国の習近平だという声がある。
なぜならば、自由世界の各国首脳が集まる国葬の場は、
安倍首相が提唱し尽力した、
中国包囲網の世界的再結集大会になるからだ。

ここまで読めば、
日本国内の一部政治家や新聞が国葬に反対する本当の思惑が分かる。
日本が西側諸国結束の場となるのを阻止したい、
というのが左派の真情だろう。
国葬に世界中の首班級の人々が多数参集し、
安元首相の凄さが歴然と見え、
国際的に影響ある人物だったと判明してしまうから
反対しているのかもしれない。

朝日新聞は、安倍元首相の暗殺を喜び、
国葬を揶揄する「川柳」を紙面にあげた。

中でも、
「還らない命・幸せ無限大」とは何だ。
人の死を喜ぶ人間にろくな者はいない。
このように人の死を喜ぶ新聞社に広告を出す企業がいるとは不思議だ。
(その後、朝日新聞は、
「還らない命・幸せ無限大」という川柳は、
「東電旧経営陣に賠償命令が出たことについて詠んだ」ものだと説明している。
とてもそうは思えない。)

横浜市が安倍元首相への追悼記帳所を設置したところ、
日本共産党横浜市議団が中止を求める声明を出した。
こういうことだから、
共産党の人は、人間性を疑われ、嫌われる。

立憲民主党の大御所、小沢一郎氏は、
「端的に言えば、自民党の長期政権が招いた事件と言わざるを得ない」
と言った。
人の死を己れの政治的主張に利用とする心根が哀しい。

更に許せないのは中国で、
暗殺を「祝」というネット上の書き込みを放置している。
軍がネットを管理し、習政権に都合の悪いコメントを
ことごとく削除している国だというのに。                     

岸田首相は
「在任期間が憲政史上最長」
「経済、外交などで実績」
「国際社会から極めて高い評価」
「国内外から幅広い哀悼・追悼の意」
などを理由に挙げていたが、
安倍元首相ほど、日本の国家観を明確に示し、
日本の将来を考えていた首相を他に知らない
だからこそ、心ある国民の気持ちを捉え、
国政選挙全勝につながったのだろう。
左派は、安倍元首相を貶めようとやっきだったが、
大きな声をあげない国民の声は、
安倍元首相を支持していたのだ。

以前、ドイツのメルケル首相がアジアに来たのに、
なぜ日本に寄らなかったか、と訊かれて、
「だって、日本の首相はコロコロ変わるから、
会っても仕方ない、と思ったのよ」
と言ったという。
それまで1年ごとに代わっていた総理大臣の椅子は、
通算8年9カ月に及び、
安倍首相で安定し、国際的信用を得た。

安倍さん本人は、
「国葬なんかしてくれなくていいよ」
と言いそうだが、
国葬という形でないと、
世界は納得しないだろう。