空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

小説『老人ホテル』

2024年09月16日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

大宮の場末にあるビジネスホテルが舞台。
そのホテルには、長期滞在の70代80代の老人たちがいる。
長期滞在どころか、
ホテルの一室を終の棲家にしている人たちだ。
1泊4800円からで、平日の連泊は3800円。
1か月で12万円くらい。
だったらアパートに住めば
いいようなものだが、
掃除もベッドメイクもしてくれるし、
光熱費は料金に含まれているし、
家事をする必要のない
案外気楽なホテルライフらしい。
ホテルの側もそうした老人たちを1階に集めている。
管理しやすいからだ。
仲間うちでは「老人ホテル」と呼ばれている。

108号室の綾小路光子・78歳は、
元々いくつかの不動産を持っていた人物。
107号室の阿部幸子・84歳は、
元雑誌記者で本も出しているが、今はフリーライター。
104号室の大木利春・73歳は、投資家で、
室内でコンピューターとにらめっこして株式投資をしている。
他に田原浩三・78歳や今野寿文・80歳過ぎなど。

そのホテルの清掃メンバーとして、
24歳の日村天使が就職したのは、
昔縁のあった綾小路光子に近づくためだった。
いま「天使」と書いたが、
はじめ天使を題材としたファンタジーかと思ったが、
これで「えんじぇる」と読む、人名。
両親が変わっていて、子どもに変な名前を付けた。
長女は大天使で「みかえる」と読む。
長男は堕天使で「るしふぇる」、
次男は羅天使で「らふあえる」、
次女は我天使で「がぶりえる」、
三男は亜太夢で「あだむ」、
三女は衣歩で「イブ」、
末っ子の四女が天使=えんじぇるだ。

天使は高校中退で家を飛び出し、
キャバクラなどを遍歴して、
このビジネスホテルの掃除メンバーになった。
高齢者従業員ばかりの中、
比較的若い山田の助手になって、
水回りなどを担当している。
ある日、阿部幸子の部屋を掃除している時、
「あなた、もしかして、あの日村さん? 
『仲良し日村さん一家』の」
と言われる。

というのは、天使の一家は、
テレビ番組で扱われたことがあるのだ。
その題名が『仲良し日村さん一家』
子だくさんの変わった家庭ということで、
年に2回特集番組が組まれた。
はじめは地方局で、
人気が出て、キー局で。
でも何かの事情で番組は終わった。

天使の家族というのが最悪で、
父親は腰を痛めたといって、
生活保護を受けている。
その親たちも生活保護。
二代にわたって不正受給の家系だ。
両親ともに学がなく、
子どもを虐待し、
兄や姉は、高校を出るとみな家を飛び出した。

阿部幸子は天使の顔と
日村という名前であの四女だ、と見定め、
その天使を取材して、本にしたいという。
金に釣られて、天使は応じ、
仕事が終ると、幸子の部屋を訪ねる。

一方、綾小路光子は天使がキャバクラ時代の店の大家で、
店に客として時々訪れ、
その時天使が席についた。
光子の方は天使のことなど忘れているが、
光子が「金を貯める方法を教える」と言った言葉を憶えていて、
光子に教えを請うために
町で見かけた光子を追跡して、
このホテルに居住していることを突き止め、
光子に近づこうとしたのだ。

何とか光子に取り入り、
まず、節約法を伝授される。
高いマンションを引き払って、安価なアパートに移り、
コンビニ食を改めて、自炊をさせ、
それだけで月3万円が貯金できた。
このあたりは面白い。

こうして、天使は光子によって、
金の貯め方、その後の不動産投資の仕方を伝授する。
毒親の母が天使のアパートを訪ねて来て、
目を離した隙に通帳と印鑑を盗むと、
光子が先頭に立って銀行口座を閉鎖し、
親のもとを訪ねて、
しらばくれる母親を相手に、
「民生委員に言うぞ」
と脅して通帳と印鑑を取り戻してくれた。

やがて、光子の死期が近づき・・・

家庭に恵まれず、
教育も受けられなかった一人の女の
更生の物語か、
と思ってていたら、
突然変な形で終わってしまう。
どうやら続編があるのではないか。

つくづく分かるのは、
「無知」の怖さ
天使は全く世間の知恵がなく
金融の知識もなく、
銀行口座さえ知らず、
健康保険もなく、
人と交流することが苦手で、
一人暮らしをせざるを得ない。
問題は親だ。
生活保護に頼ると、
自立することを考える事ができず
生活保護を貰い続ける方法しか考えられなくなる。
それを見ながら育った子供は、
勉強や仕事をする意味を知らずに育ち、
自分の頭で物事を考える事を知らなくなる。
親も祖父母も働いてる姿を見たことがないから
働き方がわからない。
だから稼げる仕事に恵まれず、
親と同じ道をたどる。

それを打開するには、
「無知」を克服するしかない。

「赤ひげ」のセリフではないが、
「病気の原因は社会の貧困と無知からくる。
 だがこれまで政治が貧困と無知に対してなにかしたことがあるか。
 人間を貧困と無知のままにしては置いてはならないという
 法令が出たことがあるか。
 我々に出来ることは、貧困と無知に対する戦いだ。
 貧困と無知さえなければ、
 病気の大半は起こらなくて済むんだ」

 


『レベル・リッジ』

2024年09月15日 15時05分24秒 | 映画関係

[映画紹介]

田舎の舗装道路を自転車で疾走する黒人テリー。
耳にはイヤホンが入り、音楽を聴いているらしい。
背後から現れたパトカーが自転車に追突し、
テリーは倒れる。
警官がテリーをうつ伏せにし、手錠をかける。
横断歩道で止らなかったのと、
パトカーの追尾を無視したのだという。
所持品を調べると、
ビニール袋に3万6千ドルの現金があった。
警官は麻薬の金の疑いがあるからと押収する。
テリーは、その金はいとこの保釈金として持ってきたものだという。
それは出頭して言え、と警官は行ってしまう。

こうして、不当に所持金を奪われた男と警察との闘いが始まる。
いとこには事情があり、ギャングの大物の殺人事件の証人になったため、
州刑務所に移送されたら、ギャング団に殺されてしまうのだ。

前半は、いとこの命を守るための
警察の不当行為とテリーの闘い。
後半は裁判所で得た協力者が罠にかかったのを救うための闘いと、
警察との全面対決。

面白い。
特に、前半は、兄弟同然に育ったいとこを救うための
テリーの孤独な闘いが胸に迫る。
この手の映画は、主人公への感情移入が肝心。
その点で、及第点。

後半はやや感情移入が失せるのは、
協力者救出の経過がもどかしいのと
手段がやや強引なため。

ただ、警察の腐敗はよく描かれている。
警察は、自らの運営費を捻出するために、
民間の資産を没収して金儲けをしている。
テリーはその被害者だったのだ。

途中、テリーの正体がネットで明らかになる。
海兵隊マーシャルアーツプログラム、
徒手で戦う接近戦の戦闘システムの教官だったことが分かる。
警察は、敵にしてはいけない男を敵に回してしまったのだ。

しかも、この教官、警官を一人も殺さない。
そのポリシーで、警察とどれだけ戦えるか。
そして、腐敗をどうやって証明するか。

テリーを演ずるのはアーロン・ピエール
訓練されたマッチョな肉体と憂いを含んだまなざしが魅力的だ。
ロンドン音楽劇芸術アカデミーの卒業生で、
グローブ座で「オセロー」の舞台に立ったこともあるという。


署長を演ずるのは、ドン・ジョンソン
腐敗しきった権力者を憎々しく演ずる。

監督はジェレミー・ソルニエ。脚本も。

アメリカの田舎の警察の腐敗っぷりが半端ではない。
こんなことで市民の安全が守られるのか心配になる。

ラスト、病院に到着してからの1分38秒の長回しが見事。

Netflixで、9月6日から配信。

 


貨幣博物館

2024年09月14日 23時00分00秒 | 名所めぐり

先日、日本橋まで出かけ、

ここ↓へ。貨幣博物館

場所は、ここ↓。

日本銀行本店に隣接し、
日本銀行金融研究所内の2階フロアに設置。
1982年(昭和57年)に
日本銀行創立100周年を記念して設置され、
1985年(昭和60年)11月に開館。

入場料は無料

この展示品は、

ストロボで撮ると、

こう変身。

入口付近。

映像で貨幣の歴史を見ます。

館内は写真撮影禁止なので、
ネットの写真から拝借。


館内には古代から現在に至るまでの「日本の貨幣史」
世界の貨幣・紙幣を紹介する「さまざまな貨幣」
および「テーマ展示コーナー」からなります。
発掘された貨幣や、軍票、記念硬貨などが
順路毎に約3000点が展示されています。

 

 

古代
物々交換から物品貨幣へ
わが国における貨幣発行の開始

中世
中国銭の使用

近世
江戸時代幣制の芽生え
独自の幣制の成立
幣制の安定と動揺

近現代
明治初期の幣制混乱
円の誕生
日本銀行の成立
金本位制度から管理通貨制度へ

さまざまな貨幣
海外の貨幣・紙幣など 

                                                                     

いただいた印刷物。

すぐ側に日本橋三越があるので、
行ってみました。

本館は初めて。

ここを通ると、

見えて来たのが、天女像。

横から。

後ろから。

4階から。

正面から。

見下ろす。

高級な店。

地下の食品売場も高級な店ばかり。

地下鉄への通路。

駅の名前の通り、直結しています。

 


小説『マリリン・トールド・ミー』

2024年09月12日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

                        
2020年春。
瀬戸杏奈(あんな)は田舎から東京の大学に出て来た。
時はコロナ禍の最もひどい時で、
緊急事態宣言下、
入学式も中止、通学もなく、オンライン授業。
ステイホームの自宅自粛で、
外出さえはばかられる時代。
楽しい学園生活を夢見て上京してきた杏奈には、
苛酷な日々だった。

そんな鬱々とした日、
田舎から持って来た
プリンセス・テレフォンという
古いおもちゃのような電話器が鳴る。
出てみると、相手はマリリン・モンローと名乗った。
電話線はつながっていないはず。
電話のマリリンは日本語を話す。
あるいは幻影だから、何語ということもなく、
杏奈の心に話しかけてきたのかもしれない。
いずれにせよ、
杏奈とマリリンは、2020年の日本と
1962年のアメリカとの間で、
時空を越えた会話を交わす。
ふたりの女性の孤独が時を超えて交錯する。

マリリンは、「セックス・シンボル」と呼ばれ、
頭の弱いいブロンド娘の役ばかり当てられるのをいやがっていた。
それで、ニューヨークの俳優学校に入って、
演技の勉強をしているのだという。

世代的に見て、杏奈はマリリンの映画など見たことがない。
しかし、「セックス・シンボル」としてのマリリンは知っていた。
杏奈はそのイメージと電話で語るマリリンのイメージの落差に驚き、
マリリンについて調べ始める。
すると、作られたイメージのマリリンとの違いが浮き上がって来た。


なにしろ、マリリンに関する自伝のような書物は
全て男性が書いたものであり、
その視点でマリリンの虚像が作られていたのだ。
マリリンの少女時代の性虐待の経験も、
「自分を悲劇のヒロインに仕立て上げるものであった」
という調子に。
行間は男性著者の想像と偏見で埋められ、
何気ない言葉の端々に女性嫌悪が滲んでいる。

映画会社の重鎮たちに肉体を要求された件も、
そういう要求をした男性を責めるのではなく、
求めに応じた女性を非難する。

学校閉鎖から2年が経ち、
大学生活が始まる。
新入生たちが大学生活を謳歌しているのを見て、
自分たちの2年間は何だったんだろうと嘆く。
しかも、3年生以上は、
ソーシャルディスタンスのマナーのもと、
人と物理的に距離を置く癖がついているのだ。

杏奈はジェンダー学専攻のゼミに参加し、
男女差別や性被害の実情を知り、
マリリンのハリウッドでの生活を思う。
ハリウッドの男社会は、
今で言うセクハラの王国だった。
しかし、マリリンは自分に課せられたイメージに
敢然と挑戦し、
意に沿わない役はボイコットし、
自分のプロダクションを立ち上げる。
マリリンはハリウッドで受けた性被害を告発する。
後年、「Me Too」運動が起こるはるか前のことだ。

杏奈はマリリン旋風が
アメリカとは1年遅れでやってきた日本の映画雑誌で、
マリリン否定論が横行していたことも分析する。
女性たちでさえ、
マリリンを女性の敵のように扱う論調。
この部分はよく調べたと瞠目した。

指導教官の導きを受けて、
杏奈が卒業論文のテーマに選んだのは、
コロナ禍で心の支えになってくれたマリリン・モンローだった。
当時の資料を読み漁るうちに浮き彫りになったのは、
マリリンが受けた性的虐待、映画界の女性蔑視、
働く女性の苦悩、今の時代も根深く残る男性社会の問題。
主人公が学ぶジェンダー社会学の視点から考えるそれらのテーマは、
マリリンが生きた時代から60年が経過した
その歴史の記録とともに読者の心を強く揺さぶる。

杏奈はそうした話をゼミでし、
それを卒業論文としてまとめる。
題名は「セックス・シンボルからフェミニスト・アイコンへ
     マリリン・モンローの闘い」
マリリンは男社会のハリウッドで、
果敢に女性の権利を主張した人物、
闘う女だった。
もし彼女が現代に生きていたら。
セックス・シンボルでなくフェミニスト・アイコンとして、
認められた音のではないか、
というのが基調だ。
今生きていれば、98歳。
                   
コロナ禍の女史大生の苛酷な日常を描く本だと思っていたら、
詳細なマリリン・モンロー論に縁どられ、
ジェンダー問題をからませた、
実質硬派な小説だった。
マリリンとの電話は、後半出て来ないのが残念。
せめて「ありがとう」か「さよなら」の電話があっても
よかったのではないか。
どうせ、幻影なのだから。

私はマリリン・モンローは好きだし、
「お熱いのがお好き」(ビリー・ワンルダー監督 1959)は、
「宇宙旅行に持っていく10本の映画」の1本だ。


そこでもマリリンは、
男運のない、頭の弱い金髪娘を演じている。
でも、何と魅力的なこと! 
マリリンはこの作品で
ゴールデングローブ賞の主演女優賞(ミュージカル、コメディ部門)を受賞している。
映画そのものの評価も高く、
AFI(アメリカ・フィルム・インスティチュート)が
2000年に選出した
「アメリカ喜劇映画ベスト100」で、
第1位に選出されている。
マリリンは映画の歴史でも評価されているのだ。

私自身のマリリン像も一新させられる本だった。

 


浅田真央アイスショー「Everlasting33 」

2024年09月11日 23時00分00秒 | 映画関係

 [映像紹介]


         
今年6月に、立川ステージガーデンで15公演のみ開催され、
チケットが入手困難だったアイスショー「Everlasting33 」
6月16日の千穐楽公演の模様を収録して、映画館のスクリーンで上映。
劇場型アイスショーだというので、
興味を持って出かけた。

普通スケートのショーはアイスリンクで開催される。
360度の観客に囲まれ、全方向からの視線にさらされる。

今回はステージ上に氷を張り、
観客は、主に正面におり、


それに合った造形が要求される。
全く新しい試みだ。

結果は、堪能した。
「ファンタジー・オン・アイス」などの公演では、
スケーターが一人ずつ演技をし、
全員で滑るのはオープニングとフィナーレのみだが、
このショーでは、ソロ、デュエット、群舞と変化がある。
特に、群舞スケートの造形がことのほか美しい

フィギュアスケートの表現だけに留まらず、
空中を舞うエアリアルコンテンポラリーダンス
タップダンスなど新たな表現も取り入れている。

浅田真央は、シューズを脱いで裸足でコンテンポラリーダンスを、


タップシューズを履いてタップダンスも披露する。


エアリアルは、さすがに布を用いた演技は無理だったようだ。

音楽が素晴らしい。
「ボレロ」などクラシック音楽、
「眠れる美女」などのバレエ音楽、
「ゴッドファーザー」などの映画音楽、
「ウエストサイド物語」などのミュージカル、
ラテン音楽など
選曲のセンスが光る。
これは、音楽監督(指揮も)の井田勝大の功績だろう。


しかも、全曲オーケストラの生演奏
特にスケートはバレエ音楽との相性がいいと感じた。

スケーターはわずか11名だが、
もっと大勢いたように感じさせた。

浅田真央 田村岳斗 柴田嶺 今井遥 
小山渚紗 中村優 山本恭廉 松田悠良
マルティネス・エルネスト 今原実丘 小林レオニー百音
競技に出ない人たちのようで、知らない人たちばかりだが、
技量は確かだった。
タップダンスのゲストはHIDEBOH
コンテンポラリーダンスのゲストはSeishiro

2時間16分、全く飽きさせず、
料金一律3000円が安いと感じさせた。

総合演出は浅田真央
キャストの選出、振付、演出、楽曲、衣装とショーの細部に至るまで
全て彼女自身がプロデュースしたらしい。
演出家としての幅の広さと才能を感じさせた。

Everlasting は“永遠”という意味。
そして、33の薔薇の花言葉。
浅田真央の今の年齢でもある。

羽生結弦と浅田真央といえば、
日本フィギュアスケートの双璧。
しかし、引退後、一緒には仕事せず、
それぞれが座長としてアイスショーを続けている。
羽生結弦はついに、ワンマンショーにまで昇りつめた。
一方の浅田真央のこのショー。
スケートショーのジャンルを越えた
総合芸術としての水準を確立した。
ラスベガスの常設公演をしてもいいくらい。
二人の動向は目を離せない。