茶の湯 徒然日記

茶の湯との出会いと軌跡、お稽古のこと

鰻の話から平賀源内

2007-07-25 20:21:15 | 日本マメ知識
 もうすぐ土用の丑の日ですね。
 鰻の話の関係で、平賀源内の逸話を無料雑誌R25で見つけました。土用の丑の日に鰻を食べようというブームの仕掛け人の平賀源内、源内といえば静電気で火花を散らす装置“エレキテル”が有名ですが、他にも様々な発見をし、面白いエピソードを残しています。
 引用してご紹介しましょう。< >内は私の独り言です。

QUOTE*************************************************
① 贔屓にしていた鰻やとは神田にあった春木屋(関東大震災で消失)が有力。
② 湯島で日本初の物産展を開催した。
③ 石綿製の“火浣布”(ひかんぷ=燃えない布)、方角を測る“磁針器”、万歩計とほぼ同じ原理の“量程器”、“寒暖計”などを発明。
④ エレキテルの見世物興業で宣伝要員を起用。
⑤ エレキテルの模造品を作った人を奉行所に提訴、日本初の知的所有権裁判を起こした
⑥ エレキテルの実物は逓信総合博物館と平賀源内先生遺品館(香川県)で展示されている。
⑦ オランダ語で鰻は「サイテヤーク」(割いて焼く)、饅頭は「オストアンデル」(押すと餡出る)だとまことしやかに吹聴した。
⑧ 杉田玄白の解体新書の序文を書いた。
⑨ 歴代屁文化史「放屁論」を書いた。
⑩ 戯作集「根南志具佐(ねなしぐさ)」「風流志道軒伝」はベストセラーになった。
<よくぞまあ、色々なことに興味をもったものだ!>
 
 しかし数々の発明品は評判の割には売れず、晩年は山師呼ばわりされることもあった。
 杉田玄白は源内の墓碑に“非常の人”という言葉を贈っているという。ひとつのことに打ち込めば大成したかもしれないが天才肌だけにそれができなかったのだろうと。
<きっと、頭の中で次々にやりたいことが浮かんでじっとしていられなかったんだろうなあ>

 源内によればエレキテルは「静電気の火花によって病気を治す」装置、と同時に「効かなくても害はない」とも言っている。
<結構いい加減。。。>

 源内は生涯独身で片時もタバコを手放さなかった。本草学(薬物学)の研究者、鉱山採掘の事業家でもある。

 晩年にささいな勘違いから人を殺し、52歳で獄中死。
<ささいな勘違いがなんだったのか、とても気になる。誰かご存知の方いませんか>

UNQUOTE************************************************

 それにしても数々のエピソードを見るにつけ、発明家といわれるような人は奇抜で想像力が豊かなんでしょうね。常識人ではつとまらない、まさに非常の人と感じました。ドクター中松を思い出したのは私だけでしょうか。

鰻のはなし1-3
http://blog.goo.ne.jp/m-tamago/e/d1b44e288f1ed42492ab88624af0f7ba
http://blog.goo.ne.jp/m-tamago/e/8de04d996c355a6a62bee8b093f57b53
http://blog.goo.ne.jp/m-tamago/e/2a0d1cfd5e1f0c5b5a953fc20becb63b


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8 コメント

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ふむふむ (kazimodo)
2007-07-25 23:30:18

 源内先生は日本のダヴィンチってとこでしょうかね。絵画のたしなみはなかったのかしらん。
 ともかく、江戸の人物には興味ある人がたくさんいますよね。あげれば枚挙にいとまなし。私はあるとき、塙保己一と彼の大作群書類従にとーっても魅了されて、探しまくったことがありますよん。やっとみつけたらこれがまたメンタマ飛び出すお高い値で、なくなく図書館。これがまた、なかなか公開出来ない貴重品、やっとのことで、二巻ほど読ませていただきました。他にも、山鹿素行、だの石田梅岩、挙げていけばもう、、ごっくん、生唾人物伝ですね。おそらくたった一人でも全作読みきれないのではなかろうかとおもい、江戸恐るべしと思いましたよ。まだまだ、たまごさんのエッセイ続投おねがいしますね。毎回じつは、こっそりとひとりで楽しんでるんです、ハイ!!
 実はわたくし、明治もフリークなんでござんす
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土用の丑の日 (albireo)
2007-07-26 02:00:59
鰻屋に頼まれて書いた、広告のコピーが元だという話ですが、真実だとしたら、それで今でも鰻が食べられているというのは、凄いことですね。
ドクター○○と比べてられては、源内がちょこっと気の毒な気もします(笑)
でも、確かに山師的な面はあるかも知れません。
実際に、鉱山技師としての一面もありましたしね。
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大田蜀山人とも・・ (飛翔)
2007-07-26 15:17:02
 このブログ、とっても面白い!! 勿論 いつも興味津々ですけれど*^^*
平賀源内は、一度長崎に留学し、後に又来ています。とても癇癪もちで、それが
災いしたと書かれています。長崎で抜け荷をして、老中田沼意次に助けられたとも^^
 一方、この大田蜀山人って人、余り良くは知りませんが相当面白いです*^0^*/
この人も一時期、長崎奉行支配勘定方などに勤めていた事のあるお役人で、
源内と同一人物だったのでは?なんて噂もあったとか無かったとか?。^;ゞ 私は
個人的に、こちらにも興味津々!! 南畝(なんぽ)という号で、江戸の狂歌ブームに
火をつけて大ブレークしたんですって^^¥江戸の高級料亭や吉原にも足繁く通い、
相当な変り種だったとか!!父が好きでよく皆で唱和していた歌に、
  世の中に 蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶんといふて 夜も寝られず
  月見れば 千々に芋こそ 喰ひたけれ 我見ひとりの すきにあらねど

 あれ?・?ひょっとして、私タイトル取り違えてる?。?;^▽^; 
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ダヴィンチ (m-tamago)
2007-07-26 16:57:33
kazimodoさん、こんばんは。

ホント、江戸って時代は人物も文化も興味が尽きませんね。

>私はあるとき、塙保己一と彼の大作群書類従にとーっても魅了されて、探しまくったことがありますよん。
懐かしい。日本史で出てきた~って、中身は知りません。

>他にも、山鹿素行、だの石田梅岩、挙げていけばもう、、ごっくん、生唾人物伝ですね。
私も受け売りばかりで、、、見つけては感動しているんでございます。一緒に楽しんで頂けて嬉しいです。
kazimodoさんにも様々な方の人物伝書いて頂きたいです~。

>実はわたくし、明治もフリークなんでござんす
明治時代、是非書いて下さい!私は明治以降、近代はどうもよく繋がっていないことばかりです。
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土用の丑の日 (m-tamago)
2007-07-26 17:02:57
albireoさん、こんにちは。

本当に、鰻の話は色々ありますが、今も受け継がれているということは庶民に納得感があったということなのでしょうね。

>ドクター○○と比べてられては、源内がちょこっと気の毒な気もします(笑)
失礼しました!

平賀源内には一度会って話してみたいと思ってしまいます。
今回チョットかじって興味が沸いたのでそのうち伝記本でも読んでみようかしら。

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大田蜀山人 (m-tamago)
2007-07-26 17:08:52
飛翔さん、こんにちは。
楽しんで頂けて嬉しいです。私も受け売りなんですけどね、、、感動したものは皆さんと共有したくって。

>平賀源内は、一度長崎に留学し、後に又来ています。
長崎に縁があるのですね~。色々まだまだ逸話が出てきそうですね。

>大田蜀山人って人、余り良くは知りませんが相当面白いです*^0^*/
さすが飛翔さん、色々ご存知ですね。

>南畝(なんぽ)
>父が好きでよく皆で唱和していた歌に、
すごい目に浮かぶ歌ですね。私も夜蚊の襲撃にあって寝られなかったことある~、月から芋~、思わず笑ってしまいました。
江戸の人や逸話には本当にウィットと笑いが満載ですね!また色々教えて下さい~。
 
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Unknown (青い流れ星)
2007-07-26 18:23:24
>晩年にささいな勘違いから人を殺し、52歳で獄中死。
これ知りませんでした~教科書に書いてありましたっけ?
何が原因なのか、私も非常に興味があります。
分かりましたら、又お教え下さい。
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獄中死 (m-tamago)
2007-07-27 11:25:05
青い流れ星さん、こんにちは。
私も知らなくって、びっくりしたのです~。教科書にもなかったと思います~。
ささいなかん違いってなんでしょう。ああ、気になる。
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