“にじる” 現代の日常生活ではほとんどしない日本らしい動き。正座をしたまま手をぐーに結んで親指で畳を押しながら体を前に進める。茶室には“にじり口”という小さな入り口がある。入るには頭を下げ、無理な姿勢を強いられるのに、何故。
茶室の“にじり口”、見たこと、くぐったことがありますか。二尺二寸(約66センチ)四方位の入り口。当然立っては入れないので、膝を折って、頭を入れ、正座する形で入る。出る時もまず頭から出て足を出して外に出る。(出易いからといって足から出てはいけない)
“にじり口”は千利休様が、大阪枚方の川にうかぶ舟を見て思いつかれたという。舟の上にある部屋なので入り口は狭く、頭を下げるようにして入る。舟座敷は密談等の場面で時代劇でも時々出てくるので想像できるかと思います。
にじり口を入ったその先に広がる茶室という小さな非日常の空間、普通に和室に入るより鮮烈な清々しい印象がある。小さな戸口をくぐりぬけた時に目に入ってくる美しい床の間、釜の音。また部屋の中の客との連帯感、亭主と客との緊張感というのもにじり口があってこそ深まるという気がした。
にじり口が誕生した同じ時代、能や歌舞伎などの芝居小屋に入る“ねずみ木戸”というのもまたかがみ、足を折りながら出入りする入り口だった。ねずみ木戸の先にもまた非日常があった。
両方とも、簡単に日常を持ち込むことを拒む入り口であり、無理をしてくぐりぬけることで新しい世界が開ける入り口であるという意味で共通点があるといえるのではないだろうか。
また、”にじり口”には、武士も商人も誰も身分の差なく、同じように頭を下げなければ入れない、茶室に入れば平等であるという意味も込められていたようだ。実際、武士も大切な刀をとらなければにじり口はくぐれず、にじり口の上には刀掛(かたながけ)といって刀を預けておく掛け具がある。
利休という方はある意味すごい演出家だと思う。
茶室の“にじり口”、見たこと、くぐったことがありますか。二尺二寸(約66センチ)四方位の入り口。当然立っては入れないので、膝を折って、頭を入れ、正座する形で入る。出る時もまず頭から出て足を出して外に出る。(出易いからといって足から出てはいけない)
“にじり口”は千利休様が、大阪枚方の川にうかぶ舟を見て思いつかれたという。舟の上にある部屋なので入り口は狭く、頭を下げるようにして入る。舟座敷は密談等の場面で時代劇でも時々出てくるので想像できるかと思います。
にじり口を入ったその先に広がる茶室という小さな非日常の空間、普通に和室に入るより鮮烈な清々しい印象がある。小さな戸口をくぐりぬけた時に目に入ってくる美しい床の間、釜の音。また部屋の中の客との連帯感、亭主と客との緊張感というのもにじり口があってこそ深まるという気がした。
にじり口が誕生した同じ時代、能や歌舞伎などの芝居小屋に入る“ねずみ木戸”というのもまたかがみ、足を折りながら出入りする入り口だった。ねずみ木戸の先にもまた非日常があった。
両方とも、簡単に日常を持ち込むことを拒む入り口であり、無理をしてくぐりぬけることで新しい世界が開ける入り口であるという意味で共通点があるといえるのではないだろうか。
また、”にじり口”には、武士も商人も誰も身分の差なく、同じように頭を下げなければ入れない、茶室に入れば平等であるという意味も込められていたようだ。実際、武士も大切な刀をとらなければにじり口はくぐれず、にじり口の上には刀掛(かたながけ)といって刀を預けておく掛け具がある。
利休という方はある意味すごい演出家だと思う。
これだと雨が吹き込んでも部屋の中にはいってこない
戸の端が 入り口に被さるようになっており
戸の外側に敷居が 竹木舞 を挟んで 被さっている
戸はこの竹木舞の上を走る 水は挟んだその間から下に落ちる
舟には便利な戸の様式だ
しかし韓国の入り口は この挟み敷居である
利休さんは韓国のこの様式を取り入れたという説がある 韓国の住宅と似ている点は この挟み敷居ばかりではない 韓国の田舎は寒いので塗廻し小さい部屋に仕切られてるという そして 部屋の隅に柱がみえない 茶室に用いられている 塗り廻しとういう点もにているという
敷居、私は先生に寄せ敷居と聞いた気がするのですが、挟み敷居ともいう、同じものですかね。先生もにじり口の敷居は水が入り込まないつくりになっているとおっしゃっていました。
韓国の敷居もそのようなつくりだとは知りませんでした。利休様は舟を見て思いつかれたというのが定説のようですが、考えてみれば韓国・中国から様々な文化が入ってきたはずですし、それを取り入れられたのかもしれませんね。
韓国の建物についても勉強しなくては!新しい視点をありがとうございます。