日本庭園やお寺の通路に縄を十文字にかけて結んだ石が置いてあるのを見かけたことがありませんか。関守石(せきもりいし)と言います。
関守石とは、茶庭や露地の飛び石や延段の岐路に据えられる石です。石の置かれている先には入らないで下さいと客の出入りを遠慮してもらう為のしるし、関守(関所を守る人)の役割をしているためについた名称です。他に止め石、留め石、関石(せきいし)、極石(きめいし)、踏止石(ふみとめいし)とも呼ばれます。
大きさに決まりはありませんが、比較的座りのいい10-15センチ程の安定した石に棕櫚縄か蕨縄を十文字にかけて持ち運びできるようにしたものが一般的です。
簡素な作りながら味わいあるデザイン、小さく、周囲の風景に溶け込みつつも、これだけの存在感を示す石も他にないでしょう。露地内における用と風景美の両面を併せ持っています。必要な場所に必要な時に簡単に持ち運んで配置できる優れもの。お知らせというととかく立看板やビラを貼ることを思いつきますが、関守石は手間いらずの味わいのあるお知らせですね。
茶事でも別室で薄茶をという場合、客が迷わずに別室にたどり着けるよう関守石が置かれています。そういうところにも亭主の配慮が見られるということです。正客でないとついていけば済んでしまいますが、次回茶事があったら気をつけて拝見したいと思っています。
同じ関守石でも石の大きさや形によって風情が異なります。丸っこいのやゴツゴツしたの、平べったいのや厚ぼったいの、置いた方の人柄が偲ばれるようで見つめてしまいます。
こんな小さいものにも役割を与えた最初の方は一体誰だったのでしょう?
ということで関守石の由来を調べてみましたが、ネットでこのような説明につきあたりました。南方録の中に出てくる逸話からのようですが、私は全部を読んでいないので知りませんでした。
以下引用********************************
安土桃山時代(1568-1598年)茶道を大成した千利休(1522-1591年)が、小座敷に玄関をつけ、大阪堺の南宗寺の笑嶺和尚を招いて茶をふるまった際、その時、玄関口に関守といって壷または香炉を置いたことが伝えられています。
禅の修行において、修行者が悟りを開いたことを師から許可されることを「一関透過の義」と言いますが、それを踏まえ、利休が「壷が関をふさいで通れないので、どうか通れる方法を教えてください」と和尚に問いかけたものと思われます。
この記事は『南方録』のなかに出てきます。これがこの石の名となった由来のようです。
利休の頃には、単に飛石の上は小石二つ載せておいたこともあるそうです。
すなわち、関守石のアイディアや思想は、茶道を大成させた千利休の頃に生まれたものと言えそうです。
******************************************
やはり、用と美を兼ね備えた関守石は利休様から生まれたということでしょうか。偉大なるアーティストのアイデアはこんな小さな所にも生きている、すごい方だとまた思いました。
関守石とは、茶庭や露地の飛び石や延段の岐路に据えられる石です。石の置かれている先には入らないで下さいと客の出入りを遠慮してもらう為のしるし、関守(関所を守る人)の役割をしているためについた名称です。他に止め石、留め石、関石(せきいし)、極石(きめいし)、踏止石(ふみとめいし)とも呼ばれます。
大きさに決まりはありませんが、比較的座りのいい10-15センチ程の安定した石に棕櫚縄か蕨縄を十文字にかけて持ち運びできるようにしたものが一般的です。
簡素な作りながら味わいあるデザイン、小さく、周囲の風景に溶け込みつつも、これだけの存在感を示す石も他にないでしょう。露地内における用と風景美の両面を併せ持っています。必要な場所に必要な時に簡単に持ち運んで配置できる優れもの。お知らせというととかく立看板やビラを貼ることを思いつきますが、関守石は手間いらずの味わいのあるお知らせですね。
茶事でも別室で薄茶をという場合、客が迷わずに別室にたどり着けるよう関守石が置かれています。そういうところにも亭主の配慮が見られるということです。正客でないとついていけば済んでしまいますが、次回茶事があったら気をつけて拝見したいと思っています。
同じ関守石でも石の大きさや形によって風情が異なります。丸っこいのやゴツゴツしたの、平べったいのや厚ぼったいの、置いた方の人柄が偲ばれるようで見つめてしまいます。
こんな小さいものにも役割を与えた最初の方は一体誰だったのでしょう?
ということで関守石の由来を調べてみましたが、ネットでこのような説明につきあたりました。南方録の中に出てくる逸話からのようですが、私は全部を読んでいないので知りませんでした。
以下引用********************************
安土桃山時代(1568-1598年)茶道を大成した千利休(1522-1591年)が、小座敷に玄関をつけ、大阪堺の南宗寺の笑嶺和尚を招いて茶をふるまった際、その時、玄関口に関守といって壷または香炉を置いたことが伝えられています。
禅の修行において、修行者が悟りを開いたことを師から許可されることを「一関透過の義」と言いますが、それを踏まえ、利休が「壷が関をふさいで通れないので、どうか通れる方法を教えてください」と和尚に問いかけたものと思われます。
この記事は『南方録』のなかに出てきます。これがこの石の名となった由来のようです。
利休の頃には、単に飛石の上は小石二つ載せておいたこともあるそうです。
すなわち、関守石のアイディアや思想は、茶道を大成させた千利休の頃に生まれたものと言えそうです。
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やはり、用と美を兼ね備えた関守石は利休様から生まれたということでしょうか。偉大なるアーティストのアイデアはこんな小さな所にも生きている、すごい方だとまた思いました。
私も一度、ある先生の自宅でのお茶会に参加した時、お茶室からの帰り道がわからなくなりかけて、関守石を見て、これは違う道だ!と気づいたことがあります。
いつかはこんな立派なお茶室がある豪邸に住んでみたいものです。
これより立入禁止とかより、こういうのが風情がありますねぇ。
知ってて気づけばですが^^ 覚えておきますね^^
確かに関守石がおいてあるほどの露地って少ないですね。都会では特に、迷うほどの庭というのはありえません。。。。
是非立派な茶室をたてて茶事に招いて下さい!
そうですね、私もお茶をやるまでは関守石の存在など気にとめたこともなく。
立ち入り禁止ではなく、聖域への入り口の印、なるほど、神秘的ですね。
関守石ですか。遊びの中にパリエーションの陰影を配しているのですね。
利休で記事を入れてみましたのでTBさせていただきました。
よろしくお願い申しあげます。
記事興味深く読ませて頂きました。
利休様には色々な逸話があって興味が尽きません。
私にとっては茶を大成した大宗匠であり、学ぶべきところがたくさん。人間臭いところもまた魅力のひとつと感じています。
「南方録」は、その成立自体に様々な疑点があるようなので、これが事実かどうかは不明であるにしても、在家の千利休が、禅僧に公案を提示して答えを求めるとは、とても洒脱な趣向を考えるものですね。
その遊びの精神は、茶道を大成した利休という人物ならではのもののようにも思われます。
それでも正客はそこから入ろうしました。やはり関守石だったら間違えなかったのかしら、、、?
障子がいくつも並んでいて、とてもわかりずらいんですけどね、、、。
利休さんの楽しそうに問いかけている姿が目に浮かびます。
利休さんは「いたずらっ子」だったのかもしれませんね。
利休様の遊び心の様なものも感じられ、嬉しくなります。 今度よく観察してみます。
色々と勉強になり、これからますます楽しみです。