松本零士さんが亡くなった。
訃報にふれて、なんとも悲しい気持ちと、懐かしい気持ちが入り混じった。
私は小学生の頃、宇宙戦艦ヤマトに夢中になった。
全て映画館で見て、ワクワクドキドキ。
古代進が好きだった。
沖田館長や、島大介、森雪、真田志郎、デスラー、スターシャ、などなど、どのキャラクターも忘れられない。ぞれぞれが愛すべきキャラクターだった。
その後は、銀河鉄道999に夢中になった。
ゴダイゴの曲と共に動き出す999の場面には今も心が躍る。
レコードも買って何度も何度も聞いた。
美しいメーテルと、ちょっとダサい、人間くさい鉄郎との旅。
鉄郎は本当に機械の体を手に入れるのか?
色々なことを感じながら、泣いたり笑ったり、ワクワクしながら見ていた。
2月21日の天声人語にはこうあった。
****************************
「私の作品に共通するものは『生きることの重さ』である」と(松本零士氏は)語った。
つまりは限りある命の尊さや、自由の大切さ、希望の持つ力を意味するのだろう。そうした価値観を幼い胸に染み込ませてくれたのは松本作品だった、という人は少なくあるまい。
「999」というタイトルは、即決だったという。千に一つ足りない。大人になる直前の青春の輝きを愛し、少年の心を最後まで持ち続けた人だった。
******************************
小さい頃経験した戦争というもの、疎開していた先での大自然が自身の作品に大きく影響していたとも紹介されていた。
戦争体験が『生きることの重さ』に繋がったのだと思う。
永遠の命とはどういうことか、限りある命とはどういうことか、
メーテルと鉄郎の旅ではずっと問い続けられていた。
銀河鉄道999に小学生の頃に出会えたこと、本当によかったと様々な視点から思う。
松本零士さん、ありがとうございました。
未だ、世界では戦争が絶えず、爆弾や突然の襲撃、略奪におびえる人が沢山いる。
自分の家に突然誰かが押し入ってくる、いつ爆弾がおちてきて死ぬかもわからない、大切な人をいつ死ぬかもわからない戦いに送り出す、考えただけで苦しくなる。
温かいお風呂に足を入れた時、
茶室で炉から湯気が上がり、障子に映る花の影をみて、思う。
ウクライナの方は、電気も湯もない寒さの中で、いつ終わるともわからない恐怖といる。
この温かさを皆で共有できたらいいのにと。私はこんなところでぬくぬくしていていいんだろうか。
地球に生きる仲間同士で戦う必要はあるんだろうか。
皆が好きなことをして幸せな時間を過ごせたら。
はだしのゲンが、広島の教育教材から教えるのに手間がかかるから、残酷だから削除されたとのニュースに触れ、違和感があった。手間がかかるから大変というのもわかる。だけど、戦争ってそれだけ大変なものなんだと思う。私は以前も書いたけれど、原爆の絵を見た時の恐ろしさ、戦争は絶対いけないんだと心に刻まれた瞬間を今も忘れていない。どんなにショックであっても、本当のことを知るのは大切なこと。
茶の世界は、禅と繋がっていて、掛軸の禅語に表されることが多い。
茶遊庵の御稽古の掛軸を選びながら、その意味を考えると、
これまで私が知った禅語の根底に流れているのは、同じことのように思う。
植物がその時が来たら美しい花を咲かせ、月が平等に皆を照らすように、自然があるがままにあるように、人も色々なことに捕らわれず、日々を、互いを尊重して感謝して生きていこうということ。
松本零士さんの訃報とその言葉に触れて、平和を改めて強く祈った。
世界がこれ以上戦争に向かっていきませんように。
心が怒りと憎しみに支配されませんように。
お互いが相手のために何ができるか、考えることができますように。
一服の茶から平和を。
特攻として戦争を体験した大宗匠の想い、私も平和の祈りをこめて一服を点てようと思う。
戦争と平和 「一盌からピースフルネスを」
https://blog.goo.ne.jp/m-tamago/e/6d3c0c55766ed44dcaccfb9d78d56768
明日への遺言
https://blog.goo.ne.jp/m-tamago/e/d546b139990e9f139f6d1b72398ea19a
訃報にふれて、なんとも悲しい気持ちと、懐かしい気持ちが入り混じった。
私は小学生の頃、宇宙戦艦ヤマトに夢中になった。
全て映画館で見て、ワクワクドキドキ。
古代進が好きだった。
沖田館長や、島大介、森雪、真田志郎、デスラー、スターシャ、などなど、どのキャラクターも忘れられない。ぞれぞれが愛すべきキャラクターだった。
その後は、銀河鉄道999に夢中になった。
ゴダイゴの曲と共に動き出す999の場面には今も心が躍る。
レコードも買って何度も何度も聞いた。
美しいメーテルと、ちょっとダサい、人間くさい鉄郎との旅。
鉄郎は本当に機械の体を手に入れるのか?
色々なことを感じながら、泣いたり笑ったり、ワクワクしながら見ていた。
2月21日の天声人語にはこうあった。
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「私の作品に共通するものは『生きることの重さ』である」と(松本零士氏は)語った。
つまりは限りある命の尊さや、自由の大切さ、希望の持つ力を意味するのだろう。そうした価値観を幼い胸に染み込ませてくれたのは松本作品だった、という人は少なくあるまい。
「999」というタイトルは、即決だったという。千に一つ足りない。大人になる直前の青春の輝きを愛し、少年の心を最後まで持ち続けた人だった。
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小さい頃経験した戦争というもの、疎開していた先での大自然が自身の作品に大きく影響していたとも紹介されていた。
戦争体験が『生きることの重さ』に繋がったのだと思う。
永遠の命とはどういうことか、限りある命とはどういうことか、
メーテルと鉄郎の旅ではずっと問い続けられていた。
銀河鉄道999に小学生の頃に出会えたこと、本当によかったと様々な視点から思う。
松本零士さん、ありがとうございました。
未だ、世界では戦争が絶えず、爆弾や突然の襲撃、略奪におびえる人が沢山いる。
自分の家に突然誰かが押し入ってくる、いつ爆弾がおちてきて死ぬかもわからない、大切な人をいつ死ぬかもわからない戦いに送り出す、考えただけで苦しくなる。
温かいお風呂に足を入れた時、
茶室で炉から湯気が上がり、障子に映る花の影をみて、思う。
ウクライナの方は、電気も湯もない寒さの中で、いつ終わるともわからない恐怖といる。
この温かさを皆で共有できたらいいのにと。私はこんなところでぬくぬくしていていいんだろうか。
地球に生きる仲間同士で戦う必要はあるんだろうか。
皆が好きなことをして幸せな時間を過ごせたら。
はだしのゲンが、広島の教育教材から教えるのに手間がかかるから、残酷だから削除されたとのニュースに触れ、違和感があった。手間がかかるから大変というのもわかる。だけど、戦争ってそれだけ大変なものなんだと思う。私は以前も書いたけれど、原爆の絵を見た時の恐ろしさ、戦争は絶対いけないんだと心に刻まれた瞬間を今も忘れていない。どんなにショックであっても、本当のことを知るのは大切なこと。
茶の世界は、禅と繋がっていて、掛軸の禅語に表されることが多い。
茶遊庵の御稽古の掛軸を選びながら、その意味を考えると、
これまで私が知った禅語の根底に流れているのは、同じことのように思う。
植物がその時が来たら美しい花を咲かせ、月が平等に皆を照らすように、自然があるがままにあるように、人も色々なことに捕らわれず、日々を、互いを尊重して感謝して生きていこうということ。
松本零士さんの訃報とその言葉に触れて、平和を改めて強く祈った。
世界がこれ以上戦争に向かっていきませんように。
心が怒りと憎しみに支配されませんように。
お互いが相手のために何ができるか、考えることができますように。
一服の茶から平和を。
特攻として戦争を体験した大宗匠の想い、私も平和の祈りをこめて一服を点てようと思う。
戦争と平和 「一盌からピースフルネスを」
https://blog.goo.ne.jp/m-tamago/e/6d3c0c55766ed44dcaccfb9d78d56768
明日への遺言
https://blog.goo.ne.jp/m-tamago/e/d546b139990e9f139f6d1b72398ea19a