茶の湯 徒然日記

茶の湯との出会いと軌跡、お稽古のこと

季節の便り、御礼状

2005-07-28 00:06:00 | m-tamagoの物想い
 Eメールが普及して、手紙を書くということが少なくなった。
大学時代、私は案内状と御礼状を書く幹事をし、今のようにパソコンもないので、手書きしていたと“サークルの幹事”の章でお話した。でも、私は手書きをあまり苦労に感じたことは無かった。これは、皆の協力もあるけれど、多分、手紙を書くということに抵抗がなかったことが大きかったと思う。
 子供時代、私は年賀状、暑中見舞い、残暑見舞い、クリスマスカード、お礼状など、都度書くよう躾られた。相手は学校の先生宛てが多く、文章を親に聞きながら形式的に書いたりもしたのだが、その御蔭で今は時候の挨拶や手紙の文章があまり考えなくても書ける。躾の賜物だと感謝している。
 Eメールの普及した今もきれいな葉書や季節のカード等見るのが大好きで、つい購入してしまう(鳩居堂の葉書は愛用品)。同年代とは連絡も早いので携帯かEメールで話すが、目上の人には葉書や封書を出すことも多い。Eメールもうれしいけれど、ふと郵便受けに届いた美しい葉書や手紙は思いがけない喜びをもたらしてくれる。私自身が嬉しいので、他の人もうれしいかなあと思って時折出すようにしている。先輩から引越の葉書を頂いた時、折り返し葉書を出したら、「皆Eメールで返事がくる中、とても新鮮だし、気持ちが伝わってくるね、と妻とも話したよ~」と言ってもらったこともある。うれしかった。
 個人的趣味なのだが、私の年賀状は未だにアナログタイプである。毎年ゴム版で版画を刷り、宛名は手書き、版画に一言添えて出状する。色々な方から年賀状を頂くが、表も裏もワープロで一言も手書きがないとがっかりする。出した側にそのつもりがなくても、リストから自動的に出状されたのかな、という印象が残る。折角なら手紙は定型でなくその人だけに向けて書きたいと私は思っている。

 茶事や茶会の際は、ご案内状も御礼状もなるべく早く客に出す。文字は人を現すというように、手書きにはその人の味が感じられる。人数にもよるし、ワープロの文字は整然として美しいとは思うが、時と場所を考えて上手に使い分けたい。
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